ベートーヴェン交響曲全集 シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管、ロイヤル・フィル (1950s/2020)

 

ベートーヴェン:交響曲全集/序曲集

ベートーヴェン:交響曲全集/序曲集

 

 

3月頃発売だったはずがいつの間にか延期になってたブツが最近やっと入手できたので、とりあえずファーストインプレッション的なものを……と思ってたんだけど、Amazonの「海外のトップレビュー」に表示されてるJohn Fowlerってかたのレビューに必要なことも気になったことも全部書かれててもうなにも書き足すことがない状態なので、このかたの文章を踏まえつつざっと流します。

 

 

概要

Q:これはなに?
A1:CD
A2:ベートーヴェン交響曲全集。
A3:ヘルマン・シェルヘンが1950年代にWestminsterレーベルに残したベートーヴェン交響曲全曲のモノラル録音に序曲や大フーガ、さらに50年代末にステレオで再録音された交響曲2つを加えたCD8枚組のボックスです。
各種音源は2000年代にTahra(シェルヘンの娘も運営に関わる復刻レーベル)から良好な音質のCDがリリースされていましたが、ここではDeutsche Grammophonレーベルの保有するオリジナル・テープから新たに制作されたマスターが使用されています。

ちなみにボックスのデザインは50年代当時の米Westminster盤レコードのものに準拠してる。

 

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ベルリン生まれのヘルマン・シェルヘン Hermann Scherchen(1891 - 1966)はバロックから現代音楽まで幅広く扱う指揮者であり、同時に雑誌書籍や論文、講演を通して古典の分析、現代音楽の普及や若手作曲家および指揮者の指導にも務めた人物。
レオ・ボルヒャルト、カレル・アンチェル、エルネスト・ブール、ルイジ・ノーノやレオン・シドロフスキーなどの指導者として、そしてなによりヤニス・クセナキスを支援し成功へと導いたことで知られる。

 

Westminsterは1949年ニューヨークで設立され、大戦後の政治および経済状況を時代背景にウィーンを中心としたヨーロッパ現地の演奏家たちとレコード制作を行ったレーベル。
シェルヘンはこのレーベルにまとまった(リイシューはさっぱりまとまってないが)録音を残しており、なかでもベートーヴェン交響曲はColumbiaによるブルーノ・ワルターニューヨーク・フィルハーモニックのもの、RCAによるアルトゥーロ・トスカニーニNBC交響楽団のものに次ぐ3つ目のLPレコードによる全集だった。

 

収録内容

この交響曲全集は1951年から1954年にかけて、Westminsterレーベルの音楽監督だったクルト・リストのプロデュースのもとロンドンでロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、ウィーンでウィーン国立歌劇場管弦楽団という2つのロケーションと2つのオーケストラを振り分けて制作された、んだけども。

 

まずロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団だが、オリジナルのWestminster盤にロイヤル・フィルの表記は無く、すべて「The Philharmonic Symphony Orchestra of London」やそれに類する表記になっている。契約上の都合とかでロイヤル・フィルの名前を出すわけにいかなかったらしいです。
基本的にWestminsterのレコードは指揮者がエーリッヒ・ラインスドルフでもエイドリアン・ボールトでもロイヤル・フィル関係は全部この嘘表記になってる。

 

次にウィーン国立歌劇場管弦楽団なんだけど、そもそもWestminsterレーベルにおける「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」と実際の国立歌劇場専属オーケストラが必ずしも同一のものではないらしいという問題がある。
つまりWestminsterレーベルにおけるこの表記は、タイミングやギャラ次第でその時々に集まったウィーン周辺の演奏家たちによって構成される臨時オーケストラをひとまとめに呼称したものっぽい。

基本的にはフォルクスオーパーの楽団員が中心だったそうだが、ときにウィリー・ボスコフスキーワルター・バリリといったウィーン・フィル楽団員を含む豊かな演奏のこともあれば、フォルクスオーパーとかそういうどころの話ではない悲惨な演奏のこともある。

バッハのマタイ受難曲ロ短調ミサの名演とラヴェルボレロの工夫してみたけどどうにもならなかった感漂うアレが同じ「ヘルマン・シェルヘン指揮ウィーン国立歌劇場管弦楽団」表記で並んでるのはもう笑うしかない。
レコードによってそもそもオーケストラの表記がなかったり、ウィーン交響楽団って表記されてるけどどう考えても違うだろみたいな盤もあったり(これは本当にウィーン交響楽団との録音もある上での表記ミスかもしれない)、それらが全部再発時に「ウィーン国立歌劇場管弦楽団」とひとまとめにされてたり。
怒られなかったのかむしろ名前を使わせてもらってたのか、あるいは英語の「Orchestra of the Vienna State Opera」みたいな盤によってまちまちな表記に終始することで、きちんとした団体のほうの「ウィーン国立歌劇場管弦楽団 Wiener Staatsoper Orchester」とは違いますよと言外に主張してたりするのか。ほらウィーンって首都であると同時に都市単独で1つの州でもあるから、ここでのStateは「国立」じゃなく「州」って意味で、この表記はウィーン州のオペラのオーケストラってぐらいの意味しかありませんよ〜みたいな。思いつきで書いてみたけどそもそもウィーンは連合軍に分割統治されてる時期だからやっぱわからんすね。

 

第9の合唱はウィーン・アカデミー合唱団 Vienna Academy Choir とクレジットされている。ちょっと詳しいことはわからないんだけど、普通にシュターツオーパーのコーラス・アカデミーの人達かあるいはウィーン国立歌劇場管弦楽団と同じパターンだと思われる。

ソリストは、

  • Magda László:ソプラノ
  • Hildegard Rössel-Majdan:アルト
  • Petre Munteanu:テナー
  • Richard Standen:バス

となっている。

 

各曲の録音年と場所は以下の通り。

  • 1951年:6番、7番(ウィーン)
  • 1953年:9番、3番(ウィーン)
  • 1954年:2番、4番、5番、8番(ロンドン) 1番(ウィーン)

ブックレットによるとウィーンでの録音はすべてコンツェルトハウス Wiener Konzerthaus のモーツァルト・ザール Mozart-Saal 、ロンドンでの録音はウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール Walthamstow Assembly Hall で行われている。
バランス・エンジニアは基本ウィーンがKarl WolleitnerでロンドンがHerbert Zeithammerなんだけど、なぜか3番だけウィーン録音なのにHerbertさんになっていて、これが正しいのか表記漏れなのかちょっとわからない。

 

 

今回のボックスはモノラルの交響曲全集のほかに同じくモノラル録音による序曲たぶん全曲と『大フーガ』、ステレオによるベートーヴェン最大のヒット曲として名高い『ウェリントンの勝利』とそのリハーサル音源、そしてボーナス扱いで交響曲3番と6番のステレオ再録音も併録されている。

ちなみにシェルヘンの『ウェリントンの勝利』はシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮したリハーサルと本番の映像も残ってたり。

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『大フーガ』はフェリックス・ワインガルトナー編曲の弦楽合奏版で、オーケストラ名はイングリッシュ・バロック・オーケストラとなっているが、これもWestminsterレーベルがバロック期の音楽をレコーディングする際のお決まりの名前という以上のものではないと思われる。

 

これらの録音年と場所は

  • 1952年:レオノーレ1番、2番、3番、フィデリオ
  • 1954年:コリオラン、シュテファン王、プロメテウスの創造物、アテネの廃墟、献堂式、命名祝日、大フーガ
  • 1958年:交響曲3番、6番
  • 1960年:ウェリントンの勝利およびそのリハーサル

『大フーガ』のみウォルサムストウ・アッセンブリー・ホール録音で、他はすべてウィーン・コンツェルトハウスのモーツァルト・ザールで録音されている。
バランス・エンジニアは序曲がKarl Wolleitner、『大フーガ』とステレオ録音の3曲がHerbert Zeithammerによる。

 

『エグモント』は1953年に全曲を録音しているが、逆にそれ故か今回のボックスには収録されなかった。
シェルヘンのWestminsterへのベートーヴェン録音はほかにオラトリオ『オリーヴ山上のキリスト』と、パウル・バドゥラ=スコダをソリストとしたピアノ協奏曲全曲がある。
ピアノ協奏曲はパウル・バドゥラ=スコダのWestminster録音集に収録されてるとして、『エグモント』と『かんらん山上のキリスト』って正直こういう箱にでもまとめて放り込んでおかないとこのご時世単体ではあんまり商品になりそうにないんだけど、どうするんでしょうね……(どうする気もなさそう)。
ちなみにここまであえて触れるのを避けてましたが、『橄欖山のキリスト』は2016年にDGからリリースされた『The Art of Hermann Sherchen』というCD38枚組ボックスにも収録されています。
このボックス、そりゃ欲しいか欲しくないかで言ったら欲しいんだけど、絶妙に痒いところに手が届かない感じもあったり同じ時期に同じタイトルで同じような趣旨の27枚組ボックスがScribendumレーベルからもリリースされたりして、ふえ〜ってなってるうちに時が過ぎ去っていました。

 

演奏内容

ワルタートスカニーニ、加えてヴィルヘルム・フルトヴェングラーらのベートーヴェン交響曲の録音がともすると彼ら自身の強烈な音楽性により作品を歪めてしまっている感じがあるのに対し、シェルヘンの場合は感傷を排しスコアを突き詰めていった結果これはこれでシェルヘン自身の強烈な音楽性、徹底した構造の把握とそれを元にした時として極端ですらある描き分けによるゴツくて辛口でガシガシいく感じ、が現れているような印象。

シェルヘンはこの全集で2つのオーケストラを振り分けているが、そうした表現の方向性自体は一貫しているように思う。どの曲もしっかりとした足取りで進む演奏で、緩徐楽章などかなりじっくり取り組む場合もある。

その上で比較すると、ロイヤル・フィルの演奏の滑らかさに対してウィーン国立歌劇場管は演奏自体は基本的にちゃんとしてる(ところどころ危うい)ものの多少音色が荒めで、録音の古さも相まってゴツい印象に拍車をかけているような。

第9の4楽章はラストのアレを除いて全体的にやたら遅く、マーチでのシンバルとトライアングルがけっこうな危なっかしさでハラハラする。ソリストたちは音色的にかなり古さを感じさせるが歌唱自体はしっかりしていて、合唱も危惧したほどぐしゃぐしゃになったりはしていない。モーツァルト・ザールというちょっと小さめのロケーション(とそれに合わせた編成)が功を奏した面もあるんじゃないだろうか。

 

序曲全集や『大フーガ』は基本的に交響曲全集とおなじ方向性で演奏されている印象。なかなか珍しい楽曲まできっちり演ってくれてるのがうれしい。

 

交響曲3番と6番のステレオ再録音はどちらも旧録音と比べて演奏が全体的に速くなっている。
さらに重要なのは、ここでの3番1楽章がコーダでトランペットが「落ちる」演奏、しかもあきらかにリスナーがそれと聴き取りやすいよう意識したミキシング、になっていること。
トランペットが落ちるということは、つまり旧録音が当時の慣習通りワインガルトナー改訂版を使っていたのに比べてよりオリジナルのスコアに忠実であろうとしているということで、演奏速度が上がったのもその一環ではないだろうか。
これはトランペットの脱落が聴き取れるもっとも初期、あるいは一番最初の録音だと思われる。
シェルヘンのこの録音の後、1961年にルネ・レイボヴィッツベートーヴェンの指定した演奏速度に可能な限り忠実に従ったという録音をおこなっているが、トランペット等は往来の改訂版のままだった。
次にトランペットを落とす演奏を録音したのは1962年ピエール・モントゥー指揮ロイヤル・コンセルトヘボウということになるか。

個人的にこの交響曲3番1楽章のトランペット脱落はアーノンクール盤で出会ってすごく音楽的な展開に納得して、それ以来再現部のティンパニと並んで好きなポイントだったりします。

6番は旧録音の前半2楽章がかなりじっくり行く演奏だったのと較べてだいぶ速めで、1楽章のたったか行く感じは続けて聴くとびっくりするくらい。2楽章も2分以上短くなっている。その一方で5楽章は再録音のが気持ちじっくりめでほんの少しだけ長い。

この3番と6番はステレオ初期の各パートがくっきり分離して並べられるミキシングなのだけど、前述したトランペットの脱落のように各パートが混じらないことを活かして楽曲の構造を詳らかにするような録音となっていて、演奏自体も旧録音より滑らかで充実したとても良いものになっていると思います。

ちなみに3番2楽章の前半クライマックスみたいに音量が上がる箇所でオケに気合を入れてるとおぼしきシェルヘンの掛け声がきこえる。

 

ウェリントンの勝利』は大砲や銃ではなく大太鼓とラチェットではあるが、いかにもステレオらしい左右への音の振り分けやスネアドラムの音量変化など当時としてはなかなかに趣向を凝らした録音になっている。演奏もしっかりしたもので、少なくとも例のボレロとは大違い(まだ言ってる)。

こういうGoogleのサジェストで真っ先に「ウェリントンの勝利 駄作」と出てくるような曲でも手を抜かず真っ向勝負で取り組む姿勢には好感が持てるし、そもそも自分みたいな素人が作品の出来やら好き嫌いやらにああだこうだ言えるのも、それがどんな楽曲であれまずこういうしっかりした録音を残してくれる演奏家やレーベルがいてこそなんですよね。

 

音質

今回のボックスに収録されている音源はすべてEmil Berliner StudiosでRainer Maillardによって新たにリマスタリングされている。
Tahraのものもずいぶん音質が良かったが、今回のものはそれと比較しても遜色ない優れた仕上がりだと思う。

あえて言うならTahraのがノイズ除去をちょい強めにかけてありクリアな空間にふわっと音が広がる感じなのに対し、今回のものはテープ由来のノイズを多少残してありその分キレがよく残響などの情報量的にも少々有利と言えるかもしれない。
『The Art of Hermann Sherchen』がリリースされたときなんできちんとベートーヴェン交響曲全曲をリマスタリングして収録しないのかと思ったけど、今回のボックスがすごく良い出来なので結果オーライです。

 

ピッチの問題+α

2000年代後半にTahra盤がリリースされた際、Westminsterベートーヴェン録音はピッチがおかしくTahra盤ではじめてそれが修正された、という話があった。

今回のボックスとTahra盤を較べても大半のトラックがTahra盤のが数秒ほど短く、ピッチも少し高くなっている。

おそらくマイルス・デイヴィス『Kind of Blue』の場合などと同じように録音時にテープの回転スピードが少し遅くなってしまっていて、それが今回のボックスに至るまで修正されていないということなのだろう。

ただこうした古い録音の再生速度の問題って正直自分みたいな絶対音感があるでもない素人はどこまで踏み込んだものか、またどの程度重視したものか微妙なとこではあり、この録音も単体で聴いてピッチに違和感を覚えるほどではない。

自分としてはオリジナル・リリースのピッチもそういうものとして聴きつつTahra盤のように修正されたものもそれはそれとしてありがたく拝聴させていただきたい、という両取りが基本的なスタンスではあります。

別にどっちかを残してもう一方を破棄する必要なんてないし、そもそも今となってはたいした容量のデータでもないわけですし。

 

それよりもってことはないんだけど、今回DG全集とTahra盤を聴き比べるまですごく重要なことをすっかり見落としてしまっていたことに気づいた。

すなわち、Tahra盤に収録されている交響曲3番は1951年1月録音のもので、DG全集収録の1953年10月録音のものとは異なる音源でした

つまりシェルヘンはWestminsterに3種類の交響曲3番を録音している…なんで今まで気づかなかったのか……。

Tahra盤の1951年録音ではスケルツォ楽章前半のリピートをしておらず、その結果1953年録音と比べて2分近く短くなっているので気が付きました。

 

それにしても、1951年時点ではスケルツォ楽章のリピートもしなかったシェルヘンが1958年にはテンポを速めトランペットの脱落まで行うようになっていたというのは、彼の最新の研究を演奏に反映させていく姿勢を象徴しているのではないだろうか(大げさに言ってみる)。

 

その他

John Fowlerさんが言及している通り、ブックレットに記載されている『ウェリントンの勝利』リハーサル音源の英語訳へのアドレスが間違っていて閲覧できない。正しいアドレスは以下の通り。

https://album.deutschegrammophon.com/fileadmin/redaktion/2013/westminster-legacy/pdf/Transcript-Scherchen-Rehearsal-Wellingtons-Victory.pdf

 

 

今回のボックス音源はそれぞれのディスク単品でさっそくSpotifyApple Musicで配信されているが、ボーナス扱いのステレオの3番と6番だけは除外されている。

open.spotify.com

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全部貼るのがクソめんどくさかったのでSpotifyApple Musicで全部入りプレイリスト作りました。

 

それはさておき、ステレオの3番と6番の音源自体は2001年にDeutsche Grammophonが単品リリースした際の音源が配信されているので今のところ普通に聴けます。リマスタリングはUlrich Vetteによる。

open.spotify.com

 

 

またApple Musicでは今回比較対象にしたTahraレーベルの音源も配信されているのでぜひ聴き比べてみてください。

music.apple.com

というわけでプレイリスト。

 

最後に

ざっと流すとはなんだったのかって記事になってしまった……。

 

 

2020年6月13日追記:いろいろ書き足したりしました。