John Cage (nova musicha n.1) (1974/2012)
イタリアの Cramps Records が1974年に立ち上げた前衛音楽シリーズ、nova musicha の第一弾リリース。
このシリーズはフルクサスにも参加した芸術家ジャンニ・エミリオ・シモネッティ Gianni-Emilio Simonetti が監修を手掛けており、その第一弾がフルクサスを含む当時の前衛芸術全般に多大な影響を与えたジョン・ケージの作品集というのは非常に納得感がある。
参加ミュージシャンはシモネッティ自身のほか、
の3人。
ヒダルゴとマルケッティはフルクサスとも関わりの深い前衛音楽とパフォーミングアーツを中心とした芸術家グループ Zaj の創設者。
デメトリオはおそらく Cramps Records に所属する最もInternationalでPOPularなGroupであるところの AreA のヴォーカリスト。これ以前からヒダルゴやマルケッティと共同で前衛的なパフォーマンスに取り組んでいたという話もあるんだけどよくわからない。
ちなみにそのヒダルゴとマルケッティは AREA のアルバム『Crac!』収録の「Area 5」作曲者でもあります。
録音場所はミラノの Fono Roma で、エンジニアは Ambrogio Ferrario と Piero Bravin。アートワークは Cramps のアルバムの多くにクレジットされている al.sa sas 名義になってるんだけど、これがなにを示してるのかよくわかりません。なにかしらの芸術家集団なのかなんなのか
- Music for Marcel Duchamp (1947)
プリペアード・ピアノ曲「マルセル・デュシャンのための音楽」。
ハンス・リヒターによる映画『金で買える夢』内のデュシャンが担当するシーンのために作られた。
ヒダルゴによる演奏で、異物が挟まった弦を叩いた際の極端に残響が無くエッジの丸まった、どこかの民族楽器のようにも聴こえるモノトーンな音色とそれを強調するような音階、ダンパーから開放された他の弦が共鳴するゴウゴウとした残響が耳に残る。
『金で買える夢』からのクリップ。『階段を降りる裸体 No.2』と同じ女性が階段を降りるモチーフやみんな大好き Vertigo レーベルの例のあのぐるぐる。
- Music for Amplified Toy Pianos (1960)
トイ・ピアノ曲「増幅されたトイ・ピアノのための音楽」。
複数のトイ・ピアノとたぶんその時次第で集められた道具を図形楽譜に基づいて演奏してるっぽいもの。タイトルからしてその演奏をマイクで拾ってアンプを通すところまで含めて「楽曲」ということなのだろうか。
ここではシモネッティ、ヒダルゴ、マルケッティの3人による演奏で、左chからはじまって曲の進行に合わせ右chに移動していくヤギの鳴き声(が出るおもちゃ?)が印象的。
音と音の隙間が広く取られているせいか、聴いてると鳴らされる一つ一つの音に注意を払うことになり、特にトイ・ピアノの響きの複雑さに意識が集中したりする。
以前子供のいたずらみたいと言っている人がいたんだけど、思い返してみれば自分も子供の頃、子供なりにいろんなモノから出る音と真剣に向き合おうとした結果近いアプローチのことをやったりしていたように思う。だからどうって訳じゃないけど。
- Radio Music (1956)
「ラジオ・ミュージック」。
シモネッティ、ヒダルゴ、マルケッティの3人がラジオ受信機を演奏。
弦楽器3つによる合奏曲が弦楽三重奏だとするならここでの演奏はラジオ受信機三重奏とでも言うべきもので、当時のミラノで受信できたいろいろなラジオ局の音が聴ける。
考えてみるとこの楽曲をコンサートで採り上げたり録音して販売したりするのって著作権的にどういうことになるんだろう。なにかしらの曲がそれと聴き取れる形で入っちゃうとサンプリングと同じ扱いになったりでもするのだろうか。
- 4'33" (In Tre Parti: 0'30"/ 2'23"/ 1'40") (1952)
「4分33秒」。
おそらくジョン・ケージの作品の中でも特に演奏機会の多いもので、自分も学生時代に友人に第1楽章のみ披露したことがある。
楽器や編成の選択肢がわりと多い楽曲だが、ここではシモネッティのピアノによる演奏。
デイヴィッド・チューダーの初演に倣ってピアノの蓋の開け締めで各楽章の開始と終了を示しており、その操作音もステレオ録音を活かして楽章ごとに位相を変化させている。
このアルバムではタイトルに各楽章の演奏時間が併記されており、初演版とは微妙に異なるものの合計で4分33秒となる。
しかしここで示される演奏時間はピアノの蓋を開け始めてから締め終わるまでのものである。となるとピアノの蓋の開け締めが演奏に含まれることになり、「TACET」とは違ってしまうのではないかという気がしないでもないような、どうでもいいからさっさとこの記事書き上げてビール飲みたいような。
- Sixty-Two Mesostics Re Merce Cunningham (Frammento) (1971)
「マース・カニンガムにまつわる62のメソスティックス」からの断片。
メソスティックスはいわゆる「縦読み」のことで、この楽曲の譜面は縦に並んだ様々な単語から演奏者が即興で歌唱するものになっている。たぶん曲名で画像検索したほうがイメージつかみやすいと思います。
また演奏時間はひとつにつき発声部と無音部あわせて1分30秒、つまり速く歌えば歌うほど次までの無音が長くなる=そこで帳尻を合わせるという取り決めになっている、らしい。
このアルバムではデメトリオ・ストラトスが6つのパフォーマンスを披露している。
演奏時間はひとつにつき1分30秒を守っているものの、最後のひとつは発声部が終わったところでトラックが終了してしまうので、収録時間は結果的に8分30秒程度。最後の無音部はリスナーが各自塩梅してくれということだろうか。
デメトリオはなにせ持ち声がよくてパワフルなので聴き応えがあるが、まだこの録音の時点では後の『Metrodora』以降ほどには幅広い発声法を身に着けておらず鳴りそのものも後年(といってもほんの数年なわけだが……)ほど豊かでないことが伺えて、多少一本調子な傾向があるようにも思える。
このアルバムはイタリアの前衛音楽の記念碑的作品で、ジャケットのキャッチーさやケージの代表的な使用楽器であるプリペアド・ピアノ、トイ・ピアノやラジオ受信機をひと通り押さえた収録曲、デメトリオ・ストラトスのネームバリューもあってか80年代末からちょくちょくCDでリイシューされている。
現状最新は2012年のイタリア盤で、同じ音源が配信もされている。詳しいクレジットがないもののおそらくリマスタリングされていて、聴いた感じ音質的には問題なし。もともとの録音品質が当時のイタリアのそれなので、特にプリペアド・ピアノ曲とトイ・ピアノ曲はより新しいものと較べてダイナミック・レンジやヒスノイズといった点で物足りない面はあると思う。
2007年にはなにをとち狂ったか(褒め言葉)日本の Strange Days Records から Cramps Label Collection の一環として紙ジャケ盤もリリースされたりした。まあ同じシリーズでコーネリアス・カーデューのアルバムとかも紙ジャケ化されたことを思えばこれはまだ普通かもしれんけど……