『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(1973/2005)

 

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 特別版 [DVD]

ビリー・ザ・キッド 21才の生涯 特別版 [DVD]

  • 発売日: 2010/04/21
  • メディア: DVD
 

 

ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』(Pat Garrett and Billy the Kid)はサム・ペキンパー監督、ルディ・ワーリッツァー脚本による西部劇映画。MGM制作で1973年公開、メトロカラー/パナビジョン。

 

いわゆるビリー・ザ・キッドものだがリンカーン郡戦争については描かれず、原題のとおりアウトロービリー・ザ・キッドクリス・クリストファーソン)と彼を捕らえんとする保安官パット・ギャレット(ジェームズ・コバーン)、そして彼らを取り巻く人々のドラマに焦点を絞った作品。結果的に『チザム』(1970, アンドリュー・V・マクラグレン監督)の後日譚っぽい時系列になってるといえるかも。

 

最後の西部劇監督とも言われたサム・ペキンパーの最後の西部劇であり、西部開拓時代の終焉と現実の西部劇の時代の終焉をオーバーラップさせるかのように去りゆく人々が淡々と、しかしどこか優しげな共感を交えた視点で描かれている。

ワイルドバンチ』のようなド派手なバイオレンスはないが、 なにせ去りゆく人々を描いているのでわりとぼろぼろ人が死んでいく作品でもある。

 

この作品に登場する人物たちの大半は言うなれば時代に取り残された人々で、彼らはみなどこか諦めたような目をしている。

ビリー・ザ・キッドはそうした人々のなかのより若い世代にとっては輝かしい憧れであり、近い世代にとっては愛すべき友であり、より老いた世代にとっては懐かしくも眩しい存在なのだ。

つまりスターみたいなもんで、だからというわけじゃないけど作中彼をキリストになぞらえるような描写がちょこちょこ出てくる(『ジーザス・クライスト・スーパースター』の映画版も同じ1973年公開でしたね)。

そのビリーに人一倍の巨大感情をむけるのがパット・ギャレット。

彼自身かつてはアウトローだったが寄る年波と時流の変化から法と秩序の側に鞍替えし、妻と一軒家まで手に入れる。その対価は昔馴染みのアウトローたちやなにより「自分の子供のようにかわいがっていた」と言われるビリー・ザ・キッドを狩ることであった。

この作品のパットとビリーの関係は上記した『ジーザス・クライスト・スーパースター』におけるユダとキリストみたいな、人一倍焦がれるがあまり自分の手で「ケリ」を着けずにはいられなくなってしまった人間となんかそれを受け入れがちな人間という面もあるだろう。(2020/11/26追記:この文章をおぼろげな記憶頼りに書いたあとでJCSの映画版観直したら全然ってわけではないけどあんまりそういう感じじゃなくてびっくりした。なにか別の作品と混同してたのかあるいは気付かないうちに自分の中のユダ像が煮詰まってたのか……)

 

ビリーはいわばアウトローたちのヒーローであるが、なにせアウトローなので彼自身はたんに無軌道なだけともいえる。

捕まれば脱走するがさりとてどこか遠くへ逃げるでもなく、かといって徒党を組んで迎え撃つでもなく、一瞬メキシコに渡る気になってもすぐ戻ってきてしまう。結局彼はただ友人が訪ねてくるのを待っている。

対するパットもアウトローを保安官助手に任命してみたり「ビリーの居場所を探る」とか言って寄り道してはいるが、なんのことはないビリーはずっとフォート・サムナーに居て、パットだってそのことはうすうすわかっているのだ。

音声解説でも同じようなことを言われているが、これはいうなれば「捕まえたくない男と待っている男の追走劇」なのだろう。

それに巻き込まれるパットの昔馴染みたちやビリーの仲間たちも災難だがやつらはある程度自業自得として、かわいそうなのはパットの「俺もいい年だし所帯でも持って身を落ち着けるか」的なそもそも本人の素質とも願望ともズレた行動に付き合わされるはめになった彼の妻で、家に独りきりで夫の帰りを待ち続け、その夫はやっと帰ってきても仕事の話ばっかりで手も握りやしねえってのに外では娼婦と豪遊してやがるのである。

まあ人生の大半をアウトローとして過ごしてきたであろうパットに妻との接し方がわかろうはずもなく、そうした問題をストレートに表現しているのが街中に建つ違和感バリバリのパットの一軒家なのではあるが。

ついでに書くと妻の手も握らず何人もの娼婦を侍らせはしても(このシーンのパットの見苦しさはおそらく意図されたものだろう)はたして直接的な行為に及んだかはなんとも言えないパットが唯一はっきりと「その気」になってるのはビリーの「お気に入り」とふたりきりの間だけ。そこに彼がビリーとマリアの行為が終わるまで待つ描写が加わることで倍率ドン!みたいなとこもありますね。

 

 

その他スリム・ピケンズやチル・ウィルス、ジェイソン・ロバーズ、L・Q・ジョーンズ、ハリー・ディーン・スタントンといった個性的な俳優たちが多く参加し、それぞれに印象深い役どころを演じている。

 

博士の異常な愛情』(1964)でコング少佐という「カウボーイ」のある種のステロタイプを演じていたスリム・ピケンズが、ここでは人生に疲れ切った保安官役を演じている。

「ボートでこの土地を出ていきたい」と語り実際にボートを作ってもいる彼はその死に際して川辺に向かい、それを見届けたパットは後に川を筏で下っていく年老いたガンマンとその家族に出会うことになる。

また伴侶役のケティ・フラドの肝っ玉母ちゃんぶりが強烈で、どう見ても劇中最強戦力である。

 

これ以前にも『昼下りの決斗』や『砂漠の流れ者』などペキンパー作品に出演していたR・G・アームストロングが保安官のボブを演じているが、彼は正式な保安官ではなくあくまで代理っぽい。このボブやアラモサ・ビルなどの描写から、パットは行く先々で相手に恩を売って自分の立場を有利にしていっている、しかもどうやら昔からそういう奴っぽいということが伺える。

ちなみにボブは「a buck-sixty」がこめられてるというショットガンでビリーを脅すが、ビリーがそのショットガンを撃つ場面では銃口からあからさまに硬貨が飛び出す描写になってたりする。そしてビリーはカッコつけて「keep the change」と言っといてあとで馬の交換を持ちかけるときその硬貨をダシにするのである(身体に埋まってるから掘れば?的なろくでもねーこと言ってるけどまあなにせろくでなしなので)。

 

ギョロ目が強烈なジャック・イーラム演じるアラモサ・ビルはそこそこ名の通ったアウトローだったようだがどういった思惑からかパットに声をかけ保安官助手に任命される。

彼とビリーの決闘シーンはその直前の食事シーンも手伝って悲しい場面だけど、どうしようもない奴らのどうしようもなさ比べみたいな妙な可笑しさもある。

 

ワイルドバンチ』であのマパッチ将軍を演じたエミリオ・フェルナンデスはなんだかよくわからんけどとりあえずかわいそうな役どころ。かわいそうなんだけど急に出てくるしキャラとしての立ち位置がわからんので、ビリーたちと仲がよくかつてはチザムとも争ったとしてじゃあそれでこの人はなんなの?となる、ある意味エイリアスより浮いたキャラになっている。おかげで2つの音声解説と映像特典の解説全部で「このシーンいらんでしょ」とか言われてたり。

まあなんにせよ彼が今際の際に語る夢はパット・ギャレットが本人さえその気なら実現しうるもので、そのパットはあのありさまというのが冒頭から示されているのである。

 

イージー・ライダー』のヒッチハイカーやリー・ヴァン・クリーフがクリス役だった『荒野の七人』の続編で死亡フラグをうまいこと生存フラグに反転させるガンマンを演じていたルーク・アスキューが、ここでも用心深く抜け目のないアウトローを演じている。どのくらい抜け目がないかというとちょくちょく登場するにも関わらず最後までパット・ギャレットと直接対峙しないのである(この映画でのパットはいうなれば時代の尖兵なので、彼に声をかけられるとろくな目にあわない)。クライマックスでパットの放った銃声に真っ先に反応して飛び出してくる描写が入るのが、そういう場面じゃないんだけど彼のキャラクターをよく表していてクスッとなる。

 

ゴッドファーザー』シリーズや『ゲッタウェイ』に出ていたリチャード・ブライトもビリーのアウトロー仲間を演じている。冒頭ではスーツだったのに再登場したら他のアウトローたちと同じような汚い格好になっててちょっと戸惑う。

彼がパット・ギャレットと対峙するシーンはパットが下手打つと4対1になりかねない状況で相手にプレッシャーを与えながら抵抗手段を奪っていく様がたくみに描かれていて緊張感があり、5人全員の演技が魅力的。

 

ビリーのアウトロー仲間で冒頭から彼の横にいるドニー・フリッツはシンガー・ソングライタークリス・クリストファーソンのバンドのキーボーディスト。この後1974年に1stソロ・アルバムをリリースするが、そのジャケットはどうやら本作撮影中のオフショットのようだ。

Prone to Lean by Donnie Fritts (2007-12-15)

Prone to Lean by Donnie Fritts (2007-12-15)

 

 

ビリーといい感じになる女性役は当時クリス・クリストファーソンと結婚していた歌手のリタ・クーリッジ。こんだけビリーをキリストとオーバーラップさせてる作品でキャラ名が「マリア」だとやっぱりマグダラさんちのひとを連想してしまう(マグダラは地名)。

 

脚本のルディ・ワーリッツァーと監督のサム・ペキンパーもそれぞれちょい役で出演している。

当時36歳くらいのクリストファーソンがとても21歳の「Kid」に見えないというのはしょっちゅう言われるが、当時40代後半のペキンパーなんかもうほとんどおじいさんである。

 

そしてボブ・ディラン

ボブ・ディランはもともとルディ・ワーリッツァーの知り合いだったそうで、彼にこの映画への楽曲提供を頼まれサム・ペキンパー(彼はディランのことを知らなかったそう)に「Billy 1」の原曲を披露したところ気に入られ、その場で俳優としてもオファーされたらしい。

ボブ・ディランの演じるエイリアスはビリーに憧れる若者を象徴するかのような役回りで、ビリーの周囲をちょろちょろついてまわる。ちょっと神経質そうな挙動も含めて愛嬌があり、たまにかけるメガネもキュート。

劇場公開版では出番がほとんどカットされているらしいんだけど、プレビュー・バージョンと特別版ではこのエイリアスが物語の序盤で脱走するビリーに向ける視線と終盤でビリーとパットに向ける視線が、登場人物たちの彼らに向ける視線を代表したもの(あるいはもっと広く「この作品を象徴したもの」と言ってしまってもいいかもしれない)となっていて、だからこそ「エイリアス」なのではないだろうか。

この2つのシーンはビリーとパットがそれぞれ「人を殺して街を立ち去る」場面で、保安官を殺したうえに馬から落ちるわジャケット忘れて引き返してくるわとなんともしまらないビリーのしかしどこか微笑ましい描かれ方と、「札付きの悪党」を始末したパットを人々が遠巻きに眺める寒々しさが対比されているようにも見える。

さらにパットが劇中一貫して着けなかった保安官バッジを着けいよいよ立ち去るラストシーンは、子供の行動や画面の構図からして『シェーン』に対するオマージュなのだろう。

 

音楽

Pat Garrett & Billy the Kid

Pat Garrett & Billy the Kid

  • アーティスト:Dylan, Bob
  • 発売日: 2008/02/01
  • メディア: CD
 

 

ボブ・ディランによる劇伴は、2つの主題の変奏といくつかの小曲による。

ひとつはブルース・ラングホーンのリード・ギターが美しい「Main Title Theme (Billy)」と歌入りの「Billy 1」「Billy 4」「Billy 7」というバリエーション。

もう一方は「Cantina Theme (Workin' for the Law)」にはじまり「River Theme」そして有名な「Knockin' On Heaven's Door」やゲイリー・フォスターによるリコーダーが素晴らしい「Final Theme」に引き継がれるもの。こっちは主題というか動機だろうか。

ぶっちゃけボブ・ディランに映画の劇伴を手掛ける能力があるのか疑問ではあるが、どちらも非常に印象的で耳に残る音楽となっている。

実際のところ映画の長さに対してあきらかに音楽の量が足りておらず同じトラックの使い回しが多いのだけど、この限られたバリエーションによるシンプルな音楽の繰り返しと無音のコントラスト、そしてたまに出てくるヴォーカルがディランの声質を含めてこの作品にはよくマッチしていて劇伴として物足りない感じはまったくしない。

 

本作の劇伴はもともとペキンパー作品を多く手掛けた映画音楽家ジェリー・フィールディングが担当する予定だったが、プロデューサーであるゴードン・キャロルの後押しもあってボブ・ディランの音楽を加えフィールディングは音楽監督を担当することに。その判断に怒ったフィールディングは降板してしまい、残されたディランが全編の音楽を担当することになったらしい。

しかしフィールディングは映画音楽に不慣れなボブ・ディランのために嫌々ながら監修として関わったという話もある。

セッションそのものはディランがおもむろにギターをかき鳴らしながら歌いはじめ参加したミュージシャンやスタッフたちが総掛かりでそれを形に仕上げていくという、言ってしまえばディランのいつものやり方で制作されたと思われるが、出来上がったトラックの劇伴としての整合性の高さがジェリー・フィールディングによる監修の結果だとしたら納得がいく(フィールディング自身はディランの音楽的な語彙の乏しさにあきれ気味だったようだが)。

あるいはディランのひとつの楽曲に対しアレンジを変えながらどんどんテイクを重ねていくという録音スタイルが、共通の主題によるバリエーションが効果を発揮しやすい映画音楽とうまいこと噛み合ったという面もあるかもしれない。

 

なおサウンドトラックとシングル「Knockin' On Heaven's Door」は映画本編の公開から2ヶ月後にリリースされ、特に「Knockin' On Heaven's Door」は世界中で大ヒットし名実ともにボブ・ディランの代表曲の1つとなった。

 

版とソフト

本作には3つの主要なバージョンが存在する。

  • 1973年劇場公開版(106分)
  • 1988年ターナー・プレビュー・バージョン(122分)
  • 2005年特別版(115分)

 

劇場公開版はその名の通り1973年に劇場で公開されたバージョン。ほか2つとはだいぶ編集方針に違いがあるらしいが、現状ソフトや配信で観る手段がなく自分も観たことない。

ターナー・プレビュー・バージョン(1988 Turner Preview Version)は1988年にTurner Home Entertainmentから家庭向けLDとしてリリースされ、今作の再評価のきっかけとなったバージョン。1988年と銘打たれているが実際は劇場公開版より以前にサム・ペキンパー自身が試写用に完成させたものである。

ペキンパーとそのスタッフたちの常であればこのプレビュー・バージョンをベースに劇場公開用のフィルムをある程度時間をかけて練り上げるはずが、撮影中にはすでに表面化していたペキンパーとMGM経営陣の激しい対立や非常識なほど短い編集期間から、劇場公開版は突貫工事的に制作された。

2005年特別版(2005 Special Edition)は2005年Warner Bro.からのDVDリリースに合わせて新たに制作されたバージョン。プレビュー・バージョンと劇場公開版のいいとこ取りをして、当時ペキンパーとそのスタッフたちが十分な時間をかけて劇場公開版の制作にあたっていたらきっとこうなっていただろうと思われるものに可能な限り近づけている。

 

プレビュー・バージョンと2005年特別版をかんたんに比較すると、プレビュー・バージョンがかなりざっくりした編集で無駄が多い(試写用だから当然だが)のに対して、特別版は編集が洗練されていて話の流れも自然になっている。とはいえあくまでペキンパーとそのスタッフたちが劇場公開版のために行った編集を尊重して可能な限りそのまま使用しているということらしい。

さらに特別版はフィルムのレストアやカラーコレクションの調整がおこなわれ全体的に画面が綺麗になり質感も高められている。

 

プレビュー・バージョンでは一部屋外のシーンが不自然に暗く特別版ではこれらが明るく修正されているが、この点に関してはちょっと疑問が残りもする。

こうした不自然に暗いシーンのうちひとつはパット・ギャレットが保安官二人を引き連れてビリーの居るフォートサムナーに乗り込む場面で、この後画面が街の中に移ると外はとっぷりと暗くなる。ということは乗り込む場面は時刻的に夕方から日没頃だったはずで、ここが明るいといきなり夜になった感じで不自然なのだ。

撮影期間の都合とかで日の入りや日の出に撮影できず、試写版を作る際にとりあえず暗くしておいたとかそういう可能性もあるんじゃないだろうか。

まあ仮にそうだったとしてじゃあ「日が落ちはじめ暗くなってきた」というよりただ「画面が不自然に暗い」だけのあのままのがよかったかというとそんな訳ないしだからといって後から特殊効果等で手を加えてしまうのはそれはそれでやり過ぎだろうし、残された素材から鑑みて特別版の編集が最善だろうとは思うけど。

 

そして特筆すべき大きな違いが、ボブ・ディランの代表曲のひとつとして名高い「Knockin' On Heaven's Door」の扱い。もともとこの映画のために制作されサウンドトラックに収録されているにも関わらずプレビュー・バージョンでは使用されておらず、特別版であらためて追加された(劇場公開版はどうだったのかわからない)。

ただ個人的には、この情感あふれる音楽と多分に状況説明的な歌詞はいささかセンチメンタル過剰(ナンバガか)であるとも思えて、わりとあっさり次の場面に切り替わってしまうのもあってどちらのほうがより好ましいかというのは正直決めがたい。プレビュー・バージョンの「River Theme」が流れるこのシーンも十分に雄弁で美しく、あえて使わずに済ませたのもそれはそれで英断だったのではという気がしなくもない。

 

手持ちのソフトは前述のWarner Bro.リリースによるDVDで、2005年特別版とターナー・プレビュー・バージョンの2バージョンに音声解説や特典映像を加えた2枚組。

本編の英語音声はどちらもモノラルのDolby Digitalのみで、2005年特別版には日本語吹き替え音声も収録されている。

一部のサイトだとDolby Digital 5.1chの記載があったりするけどこれば間違いじゃないかと。2020年現在までに流通した日本盤DVDはどれも同じ仕様でモノラル音声しか収録されててないと思います。

海外ではBDも発売されてるらしいが収録バージョンや音声の仕様がよくわからないしたぶん日本語字幕もついてない。

 

プレビュー・バージョンの英語モノラル音声は荒れている部分があるが、特別版では全体的に綺麗に整えられ柔らかく広がる感じもあり聴いていて快適。

ドンパチの派手さよりも台詞と音楽、あるいはそれらの空白を「聴かせる」たぐいの映画なこともあってこれで十分満足で、むしろ迂闊にサラウンド用にリミックスをしたらモノラルだからこその密度感や滑らかさが失われ、スカスカのカスカスになってしまうのではという気もする。

 

日本語吹き替えはコバーンを小林清志、クリストファーソンを堀勝之祐、ディランを松橋登が担当。

 

音声解説はニック・レッドマン、ガーナー・シモンズ、デイビッド・ウェドル、ポール・セイダーの4人による対談で、作品内容から試写版とディレクターズ・カットの違い数種類のエンディング特別版の編集方針その他製作中の雑多なエピソードなどにいたるまで2つのバージョンの本編に乗せて喋りまくっていてすごい情報量。いい年した映画オタク(みなさんペキンパーについての著書もある立派な監督や編集者の方々です)が寄り集まってあーだこーだやってるのを聞くのは楽しいぜ。

べつにどっちから聞いてもいいだろうけどいちおうDisc 2のプレビュー・バージョンから収録しているっぽい。

 

Disc 1には映像特典として『昼下りの決斗』『ワイルドバンチ』『砂漠の流れ者』『ゲッタウェイ』『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』『ジェームス・ディーン コレクション』の予告編を収録。

Disc 2の映像特典は以下の3つ。

ひとつは本作制作当時サム・ペキンパーの公私ともにパートナーだったケイティ・ヘイバーのインタビューと、音声解説にも登場したポール・セイダーによる解説を組み合わせたちょっとしたドキュメンタリー。インタビューは多くのトラブルに見舞われていた撮影現場の様子やペキンパーの人となりについて触れており、解説に関しては音声解説で詳しく語っていることの要約的な内容。ケイティ・ヘイバーは「パナソニックのレンズに問題があってずいぶん苦労した」と言ってるんだけど、パナビジョンの間違いだろうか。あと字幕ではここ「40インチのレンズ」となってるが40インチのレンズとか天文台の大型屈折望遠鏡でもそうそう無いようなサイズだし(今ざっと調べたらヤーキス天文台にある世界最大の屈折望遠鏡がちょうど40インチらしい)ふつうに14インチの聞き間違いだと思います。

もうひとつはクリス・クリストファーソンとドニー・フリッツへのインタビューで、クリストファーソンがミュージシャンとしてデビューするまでの経緯やふたりとペキンパーのエピソードなどが語られている。

最後にクリス・クリストファーソンが本作撮影中に作曲しペキンパーの追悼式でも演奏した彼ゆかりの楽曲を披露している映像で、この2枚組DVDは締めとなる。

 

 

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