A Passion Play / JETHRO TULL (1973/2014)
1973年7月13日リリース。JETHRO TULLの6枚目のアルバム。
前作とおなじくアルバム1枚を通して1曲というスタイルで、前作ほど手厚くリスナーを導いてくれる構成ではないものの、より目まぐるしくより有機的な変化に富んだ楽曲展開とそれを裏付けるハードでテクニカルな演奏による非常に聴き応えのある作品。
あきらかにJETHRO TULLのひとつの到達点であり、最高傑作とすら言えるんじゃないだろうか。
Château d'Isaster
- イアン・アンダーソン Ian Anderson:Vocals, Acoustic Guitars, Flute, Soprano And Sopranino Saxophones
- マーティン・バー Martin Barre:Electric Guitars
- ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ, Synthesizers, Speech
- ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Vocals
- バリモア・バーロウ Barriemore Barlow:Drums, Timpani, Glockenspiel, Marimba
なにげにアルバムを2枚続けておなじメンバーでレコーディングしたの初めてでは?
JETHRO TULLはアルバム1枚1曲のコンセプト・アルバム『Thick as a Brick』が商業的に成功したのをうけ次なる策として「レコード2枚組に曲を詰め込んだコンセプト・アルバム」を計画、1972年9月*1に税金対策を兼ねてフランスのエルヴィル城 Château d'Hérouville でレコーディングにとりかかった。エンジニアはRobin Black。
エルヴィル城は18世紀に築かれた城館の一部を宿泊可能な音楽スタジオとして整え1969年に開業した施設で、エルトン・ジョンが『Honky Château』から『Goodbye Yellow Brick Road』までの3作をここでレコーディングしたことで有名になった。『Honky Château』の“Château”はまさにこのエルヴィル城のこと。
エルトン・ジョン以外にもマーク・ボランやデヴィッド・ボウイ、RAINBOWなどが訪れたエルヴィル城だが、JETHRO TULLとそのスタッフはここで壊れた機材、不潔な寝具とトコジラミそして食中毒を引き起こす食事に迎えられた。
バンドは日ごと削られていく気力と体力のなか全部で4面ある2枚組レコードのうち3面にあたる内容まで制作したものの結局ロンドンに撤退。一旦それまでに制作したすべてのマテリアルを放棄しMorgan Studiosでレコーディングを仕切り直すこととなったのでありましたとさ。
この際に放棄されたセッションはChâteau d'Isaster Tapesとして1988年の『20 Years of Jethro Tull』や1993年の『Nightcap: The Unreleased Masters 1973–1991』といったコンピでとりあげられ、2014年に後述する本作リイシューにてあらたにリミックスのうえ現存する全てのマテリアルが収録された。
A Passion Play
本作『A Passion Play』は劇仕立てのコンセプト・アルバムで、テーマはおそらく「死と再生」。
表ジャケットにはステージに横たわる流血したバレリーナのモノクロ写真、裏ジャケにそれから数ヶ月後そこには元気にアラベスクを決める彼女の姿がなカラー写真があしらわれ、オリジナルのLPではゲートフォールドの見開きにリンウェル劇場の公演プログラム(を模したブックレット)がはさまれていた。
写真はすべて手持ちの紙ジャケ国内盤CD
このリンウェル劇場なる架空の地方劇場における『A Passion Play』公演プログラムはようするに前作『Thick as a Brick』の新聞とおなじノリの創作物で、架空の役を演じる架空の役者とそのプロフィールが掲載され、各俳優の顔写真はメンバーが仮装したものになっている。一部の俳優は『Thick as a Brick』の新聞にも名前が出ていたり。
あと劇団スタッフとかのクレジットはそのままアルバム制作に関わった方々やChrysalisレーベルのスタッフのものになっていると思われる。
「The Passion Play」といえばジーザスなクライストの受難劇だが、このプログラムに目を通すことでどうやらこの劇がキリストの死と復活になぞらえてロニー・ピルグリムなる若者が死に3日後に復活を果たすまでの旅路を描いているということがわかる、ようなつもりでいたんだけど今回記事にするにあたってあらためて確認したらそこまではっきりわかるような書かれ方はしていませんでした。でもまあだいたいそういう感じのストーリーです。
「The Passion PlayじゃなくてA Passion Playなんでイエスじゃなくてそこらのあんちゃんの話です」ってノリは『Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire)』ってタイトルで「キング・アーサーじゃなくてアーサーって名前のどこにでもいるようなおっさんの話です」ってやったどこぞのバンドを思い出す*2。
今作『A Passion Play』は劇仕立てというだけあって全4幕で、第2幕と第3幕のあいだに休憩もとい幕間劇がはさまる構成になっている。
しかし幕と幕は明確に区切られているわけじゃなく、自然に移行していってしまうので普通に聴いてるとあまり意識しないと思う。
ちなみにレコードでは幕間劇の途中でA面がおわりB面にひっくり返すようになっていたが、CDだと初期のものは全1トラック、リマスター盤で幕間劇冒頭で区切られた2トラック、リミックス盤はもっと細かくトラック分けされているのでレコードと同じ箇所でトラックが区切られているものは無いんじゃないだろうか。ちょっとELP「Karn Evil 9」を思い出す。
イアン・アンダーソンの今作での歌唱は「役者としての演技」を意識しているからか、普段の「イアン・アンダーソンというキャラクター」らしいしゃがれっぽい声とは違った豊かな声量によるなめらかで品のあるバリトンボイスとなっていて、これはこれで魅力的。
今作ではフルート以上にソプラノとソプラニーノのサックスを多用しており、複雑なアンサンブルをバックにばりばりソロをとる場面はかなりジャズ・ロックに接近した音楽になっている。
ジョン・エヴァンのオルガンは今作のアンサンブルの重要な位置を占めていて、ダークでヘヴィという今作のイメージはこのオルガンによるところが大きいと思われる。
逆にマーティン・バーのエレクトリック・ギターは一部のギターリフが強調される場面以外では相対的に引っ込み気味。
またJETHRO TULLは今作とその前のセッションからレコーディングにシンセサイザーを導入していて、リード楽器のひとつとして違和感なく溶け込ませているのに加えて「Forest Dance」パートではメルヘンチックな空間の広がりを効果的に演出している。『デュープリズム』のフィールドBGMってちょっとこれっぽい気が。
タルは1972年のツアーからライブでEMS VCS3を導入していた(そして制御に苦労していた)が、「Forest Dance」で使用してるのは同社のSynthi AKSらしい。
Music & Lyrics
前作『Thick as a Brick』のオープニングがカラッと明るいフォーク調で楽曲が展開していってもある程度その乾いた感じが保たれたのに比べて、今作『A Passion Play』は短調のしっとりと薄暗い感じが全体を覆っている。ジャケットの色合いからくる印象とか、前作が高音域寄りでドライな音質だったのに比べて今作の中低音域が充実していることも影響してると思う。
劇仕立てなだけあって歌い出しはもっともらしく上品だが、楽曲が激しさを増していくにつれて歌詞の方も猥雑やナンセンス、道徳や宗教に対する皮肉や揶揄が矢継ぎ早に飛び出してくるように。それでもどこか品があるように思えるのはイアン・アンダーソンの歌唱によるところが大きいだろうか。
前作はいくつかの特徴的なメロディやフレーズが展開を明確に区切っていく構成になっていたので覚えやすくとっつきやすかったが、今作では象徴的なメロディやフレーズこそあるものの展開と展開、部分と部分の繋がりがより有機的かつ連続的で目まぐるしく変化していく。
前作までは「テクニカルな演奏と捻った展開をそのまま繰り返す」みたいな部分が目に(耳に)ついたが、今作では展開を繰り返した際のアレンジの変化が楽曲をより複雑な印象にしている面があるんじゃないかと。
アルバムを通して何度か登場するメロディも前作のように「はいこのメロディを覚えておいてね〜」みたいな感じにわかりやすく提示されるものはわずかで、展開の中にごく自然に紛れ込んでいたり。
メンバーたちも認めるとっつきにくいアルバムではあるが、それは逆説的に制作者側が「やりすぎた」という程に中身の詰まった作品ということなわけで、むしろこれこそがJETHRO TULLのひとつの到達点であるとまで言ってしまっても過言ではないと思います。
とはいえ全米1位をとったのは内容が評価されたというより人気が高まってなに出しても売れるターンに入ってたからとしか思えないけど。
以下のトラック名やタイムスタンプはApple Musicで配信されてる同アルバムのAn Extended Performance版に準拠。
- Act I Ronnie Pilgrim's Funeral: a winter's morning in the cemetery
「Lifebeats / Prelude」
奇しくも今作の数ヶ月前にリリースされたPINK FLOYD『The Dark Side of the Moon』とおなじ心音ではじまり、前奏の最後で主人公の死を表すかのようにそれが途切れる。
「The Silver Cord / Re-Assuring Tune」
いかにも演劇っぽい主人公の独白風な歌唱で開幕。
“There was a rush along the Fulham Road. a)There was a hush in the Passion Play b)Into the Ever-Passion Play”という前奏で予告された象徴的なラインが登場し、第1幕はこのメロディの変奏が基本になる。
The Silver Cordとは臨死体験をしたひとの話によく出てくる「自分と自分の体を繋ぐ糸」のことだと思われる。
- Act II The Memory Bank: a small but comfortable theatre with a cinema screen - the next morning
「Memory Bank / Best Friends」
第1幕からの流れでするっとはじまるのでここで次の幕に移ったとは気づきにくい。
第2幕はおそらく主人公が生前の行いを元に裁かれるまでの一連の場面なんだけど、イアン・アンダーソンが宗教ネタ扱うときの常としてやたら俗っぽいことに。
曲調が目まぐるしく変わっていく個人的聴きどころのひとつで、最後チャチャンって感じにひと区切りっぽく終わる。
「Critique Oblique」
前曲のチャチャンから食い気味にはじまるA面のクライマックスとなるヘヴィなトラックで、『A Passion Play』ツアー以降のライブでも演奏された。
いよいよ主人公の裁きがはじまるのはいいとして、なんか彼は関与してないであろう妹の初体験の話とかされたりする。
歌詞は主人公を裁く側の一人称で、いわゆる「裁きの場」がその対称となる人物の生前の行いをスクリーン上映して暴き立て観客の方々に楽しんでいただくという趣向の凝らされた場として描かれている。プライバシーポリシーが現代社会とは違うからね、仕方ないね。
劇中の人物の人生を劇になぞらえることによってジェフリー・ハモンドが演じるMax Quadが演じるRonnie Pilgrim(ただし声はイアン・アンダーソン)が演じる……といい具合に入り組んできた感じ。
最後に“There was a rush along the Fulham Road. a)There was a hush in the Passion Play”のくだりが再現してA面の流れに区切りがつく。
ちなみに“How does it feel to be in the play? / How does it feel to play the play? / How does it feel to be the play?”のくだりはジャケットに掲載されてる歌詞には載ってません。
「Forest Dance #1」
第2幕の最後だけど、むしろ幕間劇への導入となるインストパート。
- The Story of the Hare Who Lost His Spectacles
ビアトリクス・ポターの『ピーター・ラビット』やケネス・グレアムの『たのしい川べ』を思い起こす、フクロウさんやイモリさんといった擬人化された畜生どもがわちゃわちゃするナンセンスもの幕間劇。
冒頭のタイトルコールはジョン・エヴァン、朗読はジェフリー・ハモンドにより、デヴィッド・パーマーがアレンジを手掛けている。ライブでの上映用に映像も制作された。
ジェフリーの朗読はランカシャー訛りで、いろいろな言葉遊びが散りばめられいてる。彼の朗読に合わせた劇伴がまた見事なんだけど、王立音楽アカデミーでリチャード・ロドニー・ベネット*3に作曲を学んだデヴィッド・パーマーにはこういう仕事はお手の物なのだろう。
- Act III The business office of G. Oddie and Son - two days later
「Forest Dance #2」
第3幕の導入というより幕間劇の後奏。
2つの「Forest Dance」はベースのリズムが冒頭の心音と共通というけっこう重要そうなポイントがあるんだけど、どんな意味があるのかはさっぱりわからん。
「The Foot of Our Stairs」
G. Oddieってもしかして神様・・・ってコト!?
第3幕は神のビジネス・オフィスという天国に通じる階段(つまり煉獄か)で2日間を過ごした主人公がその有り様に満足せず、むしろ階段の下=地獄に落ちることを希望する場面。
音楽的にはここから「Flight from Lucifer」までひと繋がりで展開していき、どんどん移り変わっていく曲調がたのしい。
「Overseer Overture」
なんか急に主人公がノリノリで喋りだしたと思ったら地獄にやってきた主人公にルシファーが一席ぶってる場面なのかも。
ここから「Flight from Lucifer」は特に音楽的なハイライトだと思う。
- Act IV Magus Perdé's drawing room at midnight
「Flight from Lucifer」
前曲を受けて「あっダメだわこいつ」となった主人公。
最初「地獄に落ちた主人公がそこに満足せずふたたび現実の世界で生きることを選ぶ」みたいな感じかと思ってたけど、べつに地獄堕ちはしてなくて「階段の下まで行ってルシファーさんのお話を伺ってみたけど思ってたのと違うから引き返しました」くらいの話かもしれない。
“Time for awaking / the tea lady's / making a brew-up and / baking new bread”のくだり、主人公が行動に移ることを示すとともに、イギリスの「have a bun in the oven」という女性の妊娠をあらわすスラングを念頭に置くとなんとなく意味合いが浮かび上がってくる感じ。
Breadといえば聖体パンでキリストの復活になぞらえてあるっぽいのだけど、主人公が現実世界で死んで埋葬されたとしたらむしろ生まれ変わりとか輪廻転生的なほうが近いのでは?
「10:08 to Paddington / Magus Perdé / Epilogue」
前曲からクロスフェードで移行する「10:08 to Paddington」はアコギのインストで、急に「Magus Perdé」のギターリフが入ってきて何回聴いてもビクってなる。
10時8分発パディントン行きに飛び乗って一息ついた主人公を叩き起こすような感じで、Drawing Roomは応接間というより列車の特別客室を指すのかも。
「Magus Perdé」は物語のクライマックスであり、天国と地獄の両方をめぐった主人公がいよいよそのどちらでもなく人生を、つまりふたたび受難劇の役者となることを決断する場面なわけだけど、正直ストーリー的にはどうなってんのかよくわからない。そもそもMagus Perdéって誰……?
歌詞のなかで実際に天国や地獄といったものを扱うことで、これまでよりも率直に宗教的な価値観からの脱却とある種の人間讃歌を歌っているようにも思える。「Life Is a Long Song」にちらっと言及されるのもその一環だろうか。
音楽的には独特なギターリフが特徴なフルートやタンバリンが祝祭的雰囲気を盛り上げる楽曲。
一旦アコギに転じて切迫感を強める展開を挟んで3:40あたりでギターリフが再登場、しかし他の楽器に遮られるのを3回繰り返し、ぐっとテンポを落として再スタートするとこが好き。
最後はなんやかんやで主人公が復活を宣言、あるいは自らの人生を肯定して演奏は収束。
「Epilogue」で“There was a rush along the Fulham Road. b)Into the Ever-Passion Play”のくだりが再現し劇の終わりを告げる。
そこから第2幕の最後とおなじ「Forest Dance」へ移行する展開に入りかけるも音楽は急転直下、フェードアウトで幕となる。
最後の最後、フェードアウトの最中に聞こえるジェフリー・ハモンドの叫び声は「Steve! Caroline!」と言っているらしいが、具体的になにを指しているのかは不明。
SteveはChâteau d'Hérouville Sessionsでレコーディングされ次作『WarChild』に収録された「Only Solitaire」の最後の一節“But you’re wrong, Steve. You see, it’s only solitaire”のSteveと同一人物だと思われ、どうも評論家やラジオ局への揶揄っぽい。
ところでこのアルバムの主人公であるロニー・ピルグリム、そもそも物語冒頭で本当に死んだのだろうか?
いやむっちゃCemeteryって書かれてるんだけど、どうも「主人公が臨死体験のなかで天国と地獄の両方を見て回り、最終的に現実世界で生きることを選択して息を吹き返した」みたいに解釈したほうが話がすんなり通る気がするのですが。
その場合アルバムの最後で、主人公の心臓の鼓動をあらわすであろう低音のリズムが再現したとたん音楽が急転直下となるのも「Steve! Caroline!」の声も、どちらも主人公を看取ろうと集まった人々の驚きやひとを呼びにやる声としてするっと飲み込めるし(人名のチョイスはともかくとして)。
さてさて、今作のストーリー構築で手応えを掴んだイアン・アンダーソンは次なる試みとして映画製作に乗り出すのであったが……?
2014 An Extended Performance
2014年にリリースされた2CD+2DVDのデジブックで、Steven Wilsonによるアルバム本編とChâteau d'Hérouville Sessions全編のリミックスを収録。
- CD1:アルバム本編のSWステレオ・リミックス
- CD2:Château d'Hérouville SessionsのSWステレオ・リミックス
- DVD1:アルバム本編のSWステレオおよびサラウンド・リミックス+アルバム本編のフラット・トランスファー+当時のライブで使用された映像集
- DVD2:Château d'Hérouville SessionsのSWステレオおよびサラウンド・リミックス
もうフラット・トランスファー以外ぜんぶSteven Wilson。
JETHRO TULLのバックカタログは2008年の『This Was』以降Collector's Editionシリーズとして順番にリイシューされてきたが、『Aqualung』でSteven Wilsonを起用してアルバム本編のステレオおよびサラウンド・リミックスを制作して以降『Thick as a Brick』『Benefit』とそれが定番化する。
そしてこの『A Passion Play:An Extended Performance』でいよいよ「Steven Wilsonによるステレオおよびサラウンド・リミックス」「Martin Webbによるメンバーを中心に当時の関係者の証言を大量に含む詳細なブックレット」「デジブックのパッケージ」というフォーマットが固まった。
それに伴い「Collector's Edition」という単語がはずされて、今作の「An Extended Performance」や『Stand Up』の「The Elevated Edition」など、それぞれのアルバムに合わせた表現が使われるようになった。
つまり厳密にはこのリリースがファンの間でリミックス・シリーズとか呼ばれる一連のリリースの最初の1つということになるのです。
Stereo & Surround Remix
先に触れておくべきこととして、Steven Wilsonの手掛けた今作のリミックスは一連のリミックス・シリーズのなかでも比較的オリジナル・ミックスからの変更点が目立つ仕上がりになっている。まあ目立つと言ってもなんか変わるほどの違いじゃないんだけど。
Steven Wilson本人がブックレット内の記事で経緯に触れているのでここではさらっと流すが、ようするに今作にネガティブな印象を持っていたイアン・アンダーソンが大胆に手を加えてしまう提案をしてきたので、それをなんとか説得して最終的にほとんど弄らずに納得してもらえたよ的な話っぽい。
個人的には削除されたといういくつかのサックスのフレーズより「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」内のオリジナルだとA面が終わる部分で鳴るシンセの音と、「Flight from Lucifer」の歌詞で言うと“baking new bread”直後にメンバーの誰かがあげる声の2箇所が消されているのが「あれ?」ってなる。
さらに「The Foot of Our Stairs」には今回のリミックスで追加されたパートがあり50秒程度長くなった。オリジナルでは何かしらの理由でカットされていた部分がテープの変換作業の際に発見され、検討の結果本来あった場所に戻すことにしたらしい。
このカットされていた部分はがっつり歌パートなので、オリジナルでは繰り返しが多くなりすぎるみたいな判断があったのかも知れない。ブックレットに掲載されている歌詞はしっかりこの部分も文字に起こしてくれています。
といったところであらためてSteven Wilsonの手掛けたステレオ・リミックスは、マスター・テープより前段階のマルチトラック・テープに記録された音の鮮明さをそのまま活かしつつ、オリジナルのレイアウトやリバーブ等の処理を執拗なまでに分析し忠実に再現してある。
ただ『Thick as a Brick』やそれ以前のアルバムのリミックスはオリジナルで減衰していた高音域やカットされていた低音域が蘇ったりあるいはミックス段階で生じた歪みが取り除かれたりといった大きな変化があったが、今作に関してはむしろオリジナルのバランスの良さとサウンドの豊かさを再認識するという面があるかもしれない。
今作はオリジナルにしろリミックスにしろ、JETHRO TULLのアルバムのなかでも2インチテープ16トラック・レコーダーの、24トラックと比べて1トラックのテープ幅に余裕がある分たっぷりした太い音が録れるという、1970年代前半にレコーディングされたアルバムならではのサウンドの魅力が特に表れていると思う。ほとんど同じ条件だったはずの『Thick as a Brick』がダメなわけじゃないんだけどなんかそういう感じじゃないのはなんなんだろう。
サラウンド・リミックスはとても良いです。
これ以前の作品と比べてあきらかにアンサンブルの密度が上がった今作にはリア側に積極的に音を振ったレイアウトが非常に効果的で、シンプルに楽しいしステレオでは得られない没入感がこのとっつきにくいアルバムを聴き込む上での大きな助けにもなる。
とはいえ基本的にはステレオ・リミックスの発展形としてアンサンブルのバランスが変わるような組み換えやオリジナルにない新たなギミックの追加は避けるという方針自体に変わりはない。
Flat Transfer
前述したようオリジナル・ミックスの太くなめらかなサウンドがおそらく下手なLPやCDより良好な状態で楽しめる素敵な音源。
サイドごとに再生をはじめるときと終わるときのノイズまでそのまま入るのが好感持てる。
Château d'Hérouville Sessions
Château d'Hérouville Sessionsは前述の通り1972年9月に『A Passion Play』本編のレコーディングに先駆けて取り組まれ、最終的に放棄された音源たち。
これまでに『20 Years of Jethro Tull』や『Nightcap: The Unreleased Masters 1973–1991』でここからの音源がとりあげられてきたが、その際にイアン・アンダーソンはあらたにフルートをオーバーダブするとともにミキシングもより「現代的」なものに仕上げていた。
イアン・アンダーソンとしては未完成な状態の他人に晒すことを意図していない音源がそのままの形で世に出てしまうことに抵抗があったそうだが、このリリースではSteven Wilsonの説得もあってオーバーダブは取り払われ、ミキシングも『A Passion Play』リミックスと同等の、当時マルチトラック・テープに記録された音をそのまま伝えるものに模様替えされた。
Steven Wilsonも最終的に首を縦に振ってくれたイアン・アンダーソンもありがとう。ライブ音源のヴォーカルを何十年も経ってから差し替えるどこぞのミックなジャガーとかピーターなガブリエルは見習っていただきたい。GENESIS関係は言いはじめたらそれだけじゃ済まないが。
今回のリリースではトラック名や曲順が現存する3つのリールテープ(それぞれがレコードの1つの面に相当すると考えられる)とその箱に書かれた情報に可能な限り沿っていて、これまで未発表だった2つのトラックを含め完全収録された。
このセッションで制作されたトラックに含まれる楽曲や音形のいくつかは『A Passion Play』の原型となったほか、「Skating Away On the Thin Ice of the New Day」「Only Solitaire」の2つはデヴィッド・パーマーによる編曲が施され次作『WarChild』に収録された。
「Law of the Bungle」も次作の「Bungle in the Jungle」の原型だけど、これはあくまでアイディア元くらいな感じでほとんど別物。
またSide 3の一部はテープを切り取られ『A Passion Play』内の「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」に流用されたため現存しないらしい。
ひとつの作品群として通して聴いた感じこれはこれで『A Passion Play』に通じる意欲的な展開や逆に『A Passion Play』とは違った耳を惹く瞬間があったり、『WarChild』に拾われた2曲がやっぱりむちゃくちゃ良かったりとかはするのだけど、全体としては間延びする部分が多いというのが正直なところ。
特に『A Passion Play』では煮詰められた結果目まぐるしい展開として魅力を発揮することになる数々の要素が、後からオーバーダブを加える予定だったにしてもここでは根本的にずるずるっと持続し過ぎてしまうような印象。
仮にアルバム全曲のベーストラックを収録するところまでこぎ着けていたとしても、かなり厳しいものになっていたかあるいはやはり内容を再検討することになっていたんじゃないだろうか。
とはいえこの音源に関しては、とにかくこの歴史的なセッションをこういった形で聴くことが出来るということ自体がありがたい、内容についてあれこれ言えるのもそもそも出してもらえたからという類のリリースであり、しかもSteven Wilsonがステレオだけでなくサラウンドでもリミックス(もともとミックスダウンまで行き着かなかった音源だから厳密にはリミックスとは違う気もする)してくれているわけで、最高の条件のリリースでもってファンの間であれこれ言われ続けるこの音源に大きなひと区切りをつけてくれた、と言えるんじゃないかと。
長年語り草になっていていよいよ公式に登場したらやはりそれだけのことがある内容の充実ぶりで、でもなんか手放しで称賛できるかというと「うーん・・・」ってなる感じもつき纏うとこまで含めてTHE BEACH BOYSの『The Smile Sessions』とイメージが被る。
Video Clips
DVD1には当時ライブで上映するために制作された映像も収録されている。
「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」
当時のライブで実際に幕間劇として上映されたフィルムで、前後の「Forest Dance」パートも含んでいる。1973年2月頃に撮影された。
アルバム通りジェフリー・ハモンドがナレーターを務め、アルバム・ジャケットでモデルを担当したダンサーのJane Colthorpeがバレリーナその1として参加したほか、着ぐるみを纏ったタルのメンバーやRobin Black、ティーレディ姿のJaneの母親といった関係者が総出でわちゃわちゃやってる味わい深いとしか言えない映像になっている。
なんというかノリがTHE BEATLESの『Magical Mystery Tour』やモンティ・パイソンからこれを経てジョージ・ハリスン「Crackerbox Palace」*4やTHE DUKES OF STRATOSPHEAR「The Mole from the Ministry」のPVに繋がっていくようなああいう感じ。
着ぐるみの蜂さんがワイヤーで吊り上げられて飛んでいくシーンなにげにちょっと怖いなーと思ったんだけど、なかに入ってるバリモア・バーロウが飛びたがってこうなったらしい。
これ以前に1994年『25th Anniversary Video』に収録されたほか、『A Passion Play』2003年リマスターCDもエンハンスド仕様でこの映像と公演プログラムの画像が収録されていた。
ちなみに今回のブックレットにはJane Colthorpeさんへのインタビューが掲載されていて、JETHRO TULLとの一連の仕事について詳しく回想してくれている。モンティ・パイソンの『人生狂騒曲』にも出演したそうです。
「Opening/Closing Ballet Sequence」
ライブでの『A Passion Play』上演の最初と最後に映されたフィルムで、ジャケットの「死と再生」のイメージを映像化した感じのもの。
DVD1のアルバム本編リミックス再生時の画面もこの映像からのループになっている。
じつは個人的にAn Extended Performance最大の問題点はこの「DVDのリミックス本編再生時の画面」で、再生している間ずっとアルバム・ジャケットとおなじポーズのバレリーナがこちらを見続けている、しかも静止画じゃないから微妙に動いていて余計に存在感がある、というどうにも落ち着かない状態で音楽を聴くことになってしまうのです。