WEATHER REPORT (1971/1991)
1971年5月12日リリース。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターがマイルス・デイヴィスのもとを離れ構想を練っていた新グループにミロスラフ・ヴィトウスが合流する形で結成されたジャズバンド、WEATHER REPORTのデビュー・アルバム。
オーストリア出身のジョー・ザヴィヌルは1932年生まれ38歳、ニュージャージー出身*1のウェイン・ショーターは1933年生まれ37歳。
これに対してチェコ出身のミロスラフ・ヴィトウスは1947年生まれ23歳で、多少の年齢差がある。
3人ともここに至るまでのキャリアがある方々だけど自分は「Mercy, Mercy, Mercy」くらいしか知らないので、これを取っ掛かりにできたらいいなという気持ちで書いてます。
とりあえずマイルス以外でもこの前年にレコーディングされたジョー・ザヴィヌル『Zawinul』ですでに3人は共演していて、ミロスラフ・ヴィトウス『Purple』*2にザヴィヌルが参加したりもしているっぽい。
- ウェイン・ショーター Wayne Shorter:Saxophone
- ジョー・ザヴィヌル Joe Zawinul:Electric and Acoustic Piano
- ミロスラフ・ヴィトウス Miroslav Vitouš:Electric and Acoustic Bass
- アルフォンス・ムゾーン Alphonse Mouzon:Drums
- アイアート・モレイラ Airto Moreira:Percussions
この時点でのWEATHER REPORTはザヴィヌル、ショーター、ヴィトウスの3人によるグループと言って過言ではなくその他のメンバーは流動的で、アルフォンス・ムゾーンとアイアート・モレイラもこの1作のみの参加。
パーカッションは雰囲気作り、ドラムは3人の演奏に薪をくべるのが主な仕事となっている。
クレジットされていないがドン・アライアスとバーバラ・バートン*3がパーカッションで参加してるらしい。
エンジニアはWayne Tarnowskiだけど、いつ頃どこのスタジオでレコーディングされたのかは明記されてなくてよくわからん。とりあえずWikipediaによると1971年の2月から3月にかけて作業が行われたっぽいが。
ジャケットの写真はEd Freemanによるもの。長いことネット上の小さい画像でしか見たことなくて、ぼんやり雪山の航空写真かなにかだろうと思ってたらもっとよくわからないものだった。
あとなにげに裏ジャケにはクライヴ・デイヴィスが文章を寄せている。
基本的にアルバム全編を通じて最初に主題を提示してソロを回していくオーソドックスなスタイルの演奏ではまったく無く、3人が持ち寄った素材を元にスタジオで相互反応的に作曲行為を積み重ねていった様子の記録のようであり、むしろそうであるかのように事前に計画されたもののようでもある。
自作曲でも主題を自ら提示するのを避けるザヴィヌルの演奏に顕著だけどショーター、ヴィトウスも必要な場面以外でははっきりメロディを提示しきってしまうことをなるべく避けて断片的なものに留め、他の奏者のための空間の余白をつねに確保しているような、そう聴こえるように作曲されているような。
いかにも即興っぽい奏者が他の奏者に反応した結果の積み重ねのようでありつつ、エレピの左右のパンニングやオーバーダブなど、事前に計画されていなければ最終的にこんなふうに整えられないんじゃないか?と思わせるような箇所が散見される。
ザヴィヌルが関わった時期のマイルス・デイヴィスは、スタジオでまとまりのない散漫なセッションを演りっぱなしにし、そのテープをテオ・マセロが自由に切り貼りしてアルバムという完成品へとでっち上げ、それを聴いたマイルスが次のセッションにフィードバックし……というスタイルをまさに確立する時期にあった。
ザヴィヌルとショーターがそういった工程をどの程度認識していたかはわからないけど、少なくとも本人たちがスタジオで行った演奏と実際に出来上がったレコードの間にある多大なギャップは明白なわけで、それらの音楽的成果を踏まえた上で「複数の立場の人間が関わって知らんうちにそうなってた」のではなく「あくまで自分たちのコントロールで行う」というのがこの時点でのWEATHER REPORTだったんじゃないかという気が今はしてるんだけど、今後いろいろ聴いたりザヴィヌル関係の書籍とかをちょろっと読んだりしたら一瞬で撤回することになるかもしれない。「けど」が多すぎるけどそこまで考えてるとなんも書けなくなるのでこのままいきます。
あと正直このアンサンブルにパーカッション要らなくね?と思っちゃったりするんですが、パーカッションによるお膳立てみたいなものによって主役3人が演りやすく、もっと言えば「音を出さない」という選択肢をとりやすくなっている面があるのかもしれない。
ステレオのレイアウトからして3人のスペースは一定以上確保されるようになっているので、そうした沈黙の際にたとえパーカッションが鳴っていともその瞬間その場所はあくまで空白であると認識できるようになっている。
でもこれらのパーカッションのうちどれほどが他の楽器と同時に演奏されどれほどが後から追加されたのかさっぱりわからんし、この文章全部自分の妄想でしかないんですよね。
とりあえず書いてる本人が自分でよくわかんなくなってる御託を抜きにしても、ヴィトウスのけっこうグイグイ行くベースがかっこいいし、ザヴィヌルのエレピの一粒一粒が磨かれたようなサウンドが最高に気持ちいいのは確かです。
こういう音源をYouTubeのビットレートで聴くのはけっこうきびしいな……
A1「Milky Way」
アルバムの導入にあたる不思議な音響の小品。ザヴィヌルとショーターの共作。
1:11あたりのアタック感や全編を通じて聞こえるゴソゴソとかカチャカチャしてる音などから考えて、ピアノの弦をなにかしらの方法で鳴らし、それを切り貼りして制作したんだと思う。音の印象的にピアノのダンパーを勢いよく開放した際にうっすら鳴る開放弦の音を増幅したような感じ。
あと1:37あたりで一瞬だけサックスっぽい音が紛れ込んでびっくりしたり、遠くでこの音響と関連しているのかそもそも意図したのかどうかすらわからない別の音楽らしきものがうっすら鳴ってたり。ピアノを録ってる最中に隣の部屋でやってたリハかなにかが乗っちゃったとかもありそう。
環境音楽的という表現がされたりして実際後年のそういったものに影響を与えた側面もあるんだろうけど、これ自体はどちらかというと現代音楽的な、ピアノの音響に対するアイディアと実践そしてその成果報告、みたいな趣のトラック。
あえて音量を絞って再生すると、環境音やホワイトノイズが小さくなって相対的にメインの音響が浮かび上がり、「ピアノの弦の音(たぶん)の切り貼り」じゃなく「不思議な音の連なり」という印象が強くなる。
A2「Umbrellas」
ここからグループとしての演奏が始まり、ドラムのビートとブイブイいうエレキベースで前曲とのコントラストが強調されてる感じ。ザヴィヌル、ショーター、ヴィトウスの共作。
A→B→Aという楽曲構成があって、AからBへの特徴的なリズム・チェンジとかそれを踏まえてかまされるソプラノ・サックスの「プッ」てひと吹きがあまりにも『Bitches Brew』期マイルスなんだけど、むしろあの音楽性に対する自負からこういう演奏をしてるのかもしれない。
とはいえアンサンブルのあり方は独自色が強く、ベースがドラムの支援のもとある程度演奏を主導していくような立ち振舞をしつつもサックス、エレピと対等に近い、互いに互いの出方を見つつ押したり引いたり、あるいは互いに反応して形を変えつつ自らの領域の収縮拡張を繰り返していく関係性を構築している。
A3「Seventh Arrow」
ヴィトウスの楽曲。
前曲に引き続きアップテンポなリズムに乗って3人が相互に反応していく楽曲なんだけど、その3人のやり取りのかなりの部分が事前に作曲されているようにも思える。本当にそうなのか、だったとしてそれを手掛けたのがヴィトウスなのかちょっとわからないが。
ベースはアコースティックながらこちらもずいぶんブイブイいっており、エレピもリングモジュレーターでちょっとやんちゃする。
A4「Orange Lady」
ザヴィヌルの楽曲で、これ以前にマイルス・バンドでも録音している(発表はこちらが先)。
マイルス版の初出は1974年の『Big Fun』でその際は「Great Expectations」後半部分という扱いだったが、「Orange Lady」自体の楽曲構成はおなじA→B→A(マイルス版は前半A部分の繰り返しがやたら多いけど)。
マイルス版ではB部分で明確にリズムが強調され盛り上がるのに対してこちらはリズムは明瞭にならず、ゆったりとリラックスした演奏のようであり、ベース、エレピ、サックスの3者が互いに相手の様子を探りながら慎重に駒を進めていく独特の緊張感がある演奏がもともとの曲調や散りばめられたワールド・ミュージック的なパーカッション類によって偽装されているようでもある。
A部分では主題をサックスとベースのボウイングで合わせてるんだと思うけどちょっと自信ない。
この楽曲自体「In a Silent Way」にテオ・マセロが加えた編集を踏まえたもののようにも思える。
B1「Morning Lake」
ヴィトウスの楽曲。
他の楽曲と比べて「雰囲気の維持」が主要な目標として掲げられているような趣があって、そういう意味では「Milky Way」より環境音楽的。
つまりエレピ、サックス、ベースの3人全員が旋律的になり過ぎず、あくまで抽象的断片的な範囲内で一定の空気感を維持し続ける試み、みたいな感じのもの。
あくまでそういう試みなので演奏上の目印みたいなものはあっても他の楽曲ほどきっちり構成されておらず、聴かせたいとこを聴かせたらさくっとフェードアウトする。でも右側に出てくるエレピって後から追加で弾いたものだと思うのでやっぱりどの程度作曲されてるのかわからん。
パーカッションは正直ちょっと説明的すぎて過剰なような。
B2「Waterfall」
ザヴィヌルの楽曲。「Morning Lake」に近いコンセプトだけどこっちのほうががっちり作曲されてる感じ。
左右に配置されたエレピの音の粒の連なりによって空間が維持および操作される。
タイトルとエレピのリフレインがあまりにもイメージ通りすぎて逆に枷になってる気も。
B3「Tears」
ショーターの楽曲で、ザヴィヌルやヴィトウスのものと比べると旋律的というか叙情的というか。
途中から混ざってくる男性のスキャットはタイトルのイメージから来てるんだろうけど、最初に聴いたときお風呂で気分が良くなったおじさんの声と思ってしまったせいでそのイメージから逃れられなくなってる。
B4「Eurydice」
ショーターの楽曲。
今作に収められたアンサンブルのなかで唯一ベースが明確にリズムを刻んでいるトラック。
そういう意味ではこのアルバムでいちばんオーソドックスなアンサンブルなんだけど、ここまでの楽曲でエレピ、サックスとベースがより対等に近い関係性で演奏を紡いでいくのを聴いてきたうえでこの楽曲に至ると、逆に違和感というか如何ともし難い不自由さを感じるようになる。
つまりベースがエレピ、サックスとの対等な関係を離れ一定のリズムを刻むということは、音楽のなかの一定のスペースをベースが占有し続けるということで、そうなるとサックスのほうもエレピと対等な関係性を築くにはスペースが足りず、ソロ楽器として振る舞うしかなくなってしまう。上を飛ぶか引っ込むかという極端な二択しか選べない、みたいな感じ。
WEATHER REPORTはこのアルバムのあとパーカッションをドン・ウン・ロマンに交代しヨーロッパ・ツアーを行うが、その途中ドイツでBeat-Clubに出演している。曲名は「Waterfall」になってるけど「Seventh Arrow」と「Umbrellas」のメドレー。
こうして聴くとライブでは全員もっとガンガン演奏してるし、ドラムとパーカッションもスタジオでよりずっと重要な役割になっている。そういえばクイーカはマイルス・バンドでもけっこう存在感がある(他の奏者がしっかりレスポンスを返す)楽器だった。
あとヴィトウスが若くてかわいい。
Reissue
今作は1991年にColumbia Jazz Contemporary Mastersシリーズの一環でVic Anesiniによるリマスターが施され、今に至るまで新規にリマスターされることもなければ廃盤になることもなくずっと売られ続けている。自分が聴いてるのもこれです。
記事冒頭に貼ったのが現行品で、こっちは2009年のリプレス。
日本では独自にMaster SoundとかDSD Masteringで何度かリイシューされている。正直マイルス・デイヴィス関連とかで何枚か持ってるDSD Mastering盤は音圧高すぎて聴けたもんじゃなかった印象があるんですがこれはどうなんでしょう。
これは2007年DSD Masteringによる廉価盤。
こっちは2017年に出た英Talking Elephant盤。これといってリマスターの表記はない。Talking Elephantはライセンス元のリマスター音源をそのまま使ってるのがよくあるパターンだから、これもふつうにVic Anesiniリマスターかもしれない。
SpotifyやApple MusicにはVic Anesiniリマスターが配信されてるけどジャケット画像までColumbia Jazz Contemporary Mastersの赤枠そのまんまで、正直見栄えのいいものではないのでどうにかしてほしい。
Weather Report - Album by Weather Report | Spotify
あと上に貼ったBeat-Clubの出演映像は放送されたのこそあれだけだけど実際にはもっと長時間撮影されていて、2010年になって『Live in Germany 1971』というタイトルで全編収録のDVDがリリースされた。
なんか『Live in Hamburg 1971』ってタイトルになってるが。