Thick as a Brick / JETHRO TULL (1972/1997/2012)

 

Thick As a Brick

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1972年3月リリース、JETHRO TULLの5枚目のアルバム。

各種シングル曲のフォーク調で親しみやすいメロディ、『Benefit』の叙情性や凝ったアレンジ、『Aqualung』の聴かせどころを絞った明快さ、そしてジェフリー・ハモンドと、これまでに培ってきたものをひとつのレコードひとつの楽曲にまとめて投入した痛快な作品。

アルバム1枚通して1曲というと身構えるひともいそうだけど、いつくかの非常に印象的で覚えやすいメロディが楽曲の進行に合わせて繰り返し登場してそれぞれの展開を区切ってくれる面倒見の良い構成になっていて、そのメロディ自体の良さもあってむしろタルがここまでにリリースした5枚のアルバムのなかでいちばん聴きやすいとすら思う(個人の見解)。

 

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Lead Vocals, Acoustic Guitar, Flute, Violin, Trumpet, Saxophone
  • マーティン・バー Martin Baree:Electric Guitar, Lute
  • ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ, Harpsichord
  • ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Vocals
  • バリモア・バーロウ Barriemore Barlow:Drums, Percussion, Timpani

オーケストラの指揮とアレンジはデヴィッド・パーマー。

 

口ひげを蓄えたらトム・サヴィーニみたいになったドラマーのクライヴ・バンカーは家庭をもったのを機にバンド稼業から足を洗い、後任としてこれまたJOHN EVAN BAND時代のバンド仲間バリモア・バーロウが参加。もうマーティン・バー以外みんなJOHN EVAN BANDじゃねーか。

 

バリモア・バーロウは安定感と手数の多さ両方を兼ね備え、変拍子を多用するタルのアレンジにも余裕を持って対応できる優れたドラマー。

クライヴ・バンカーだって良いドラマーではあるんだけど、コンビを組んでいたグレン・コーニックの解雇と後任のジェフリー・ハモンドが絵画ほどにはベースに精通していなかったこともあって、それまでのマーティン、グレン、クライヴの3人でそれとなく支え合うバランスが崩れてどうにも心もとない状態になってしまっていた印象。

ともかくバリモア・バーロウの加入によってリズム面の不安が一挙に解決され、より複雑な曲展開をより安定して演奏することが可能になったのはたしかで、彼の加入がなければあるいは今作『Thick as a Brick』自体このような形にはなっていなかったかもしれない。

 

バリモア・バーロウを加えたJETHRO TULLはさっそく1971年5月ロンドンのSound TechniquesでEP『Life Is a Long Song』の5曲を録音*1

その後北米ツアーを挟みつつ8月〜10月と11月〜12月の2度に渡ってMorgan Studiosで今作『Thick as a Brick』のレコーディングが行われた。

Morgan Studiosはこれまでも『Stand Up』や『Benefit』のレコーディングで使用した馴染みのスタジオで、エンジニアもそのときとおなじRobin Black。『Benefit』は8トラック録音だったけど今作の頃にはMorgan Studiosにも16トラック録音の環境が整えられていたと思われる*2

マスタリングはRobin Blackが1972年1月の半ばにApple StudiosでGeorge Peckham立ち会いのもとで行ったが、バンドはヨーロッパツアーの真っ最中だったので彼に一任されていたのだろう。前作のマスタリング時はイアン・アンダーソンがいないとどうにもならない状況だったのと比べると雲梯の差。

ちなみにその前作『Aqualung』で痛い目を見たIsland StudiosやJohn Burnsはこれ以降二度と起用されることはありませんでした。

 

コンセプト

今作が最初にリリースされた際のパッケージはたんに新聞を模したデザインではなく「本物の新聞を折りたたんでレコードを包んだ」風のもので、開くとちゃんと縦長の新聞サイズになった。

 

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25th Anniversary Editionのオマケの新聞

このThe St. Cleve Chronicle and Linwell Advertiserなる地方紙の一面記事は、Gerald “Little Milton” Bostockという8歳の少年による叙事詩『Thick as a Brick』がThe Society for Literary Advancement and Gestation*3(通称SLAG*4)のコンテストで優勝したものの、最終的にそれが撤回された顛末を伝えている。また人々の不満の声やGeraldとその両親への慰めとしてこの詩の全文が7面に掲載されるとも。

 

新聞は12ページあり、他愛がなかったりあきらかに変だったりする報道やらウサギやらいろんなコーナーの山に混じってGeraldのガールフレンド(一面の写真でわざとスカートのなかを見せてるやつ)が彼の子供を妊娠しているが医者の見解では「あきらかに本当の父親を守るために嘘をついている」という記事や、有名なビート・グループJETHRO TULLがGeraldの詩をレコード化するという記事なども見当たる。

そしてGerald関係とタル関係で「詳しくは7面で」みたいに誘導されるその7面は「Gerald “Little Milton” Bostockによる叙事詩『Thick as a Brick』全文掲載」の体で歌詞が、「JETHRO TULL新作アルバム・レビュー」の体でメンバーや担当楽器などのクレジットが掲載されているという寸法。

つまりこの新聞を読むことでモリーおばさんのケーキレシピやLittle Miltonとかなんとかいうマセたガキの詩にJETHRO TULLが音楽をつけてレコード化したという「設定」などがわかるようになっているのだ。

 

ようするに本物の新聞のパロディで記事はしょーもないナンセンスの寄せ集めになっているわけなんだけど、全部創作ということはつまりとんでもない作業量ということになる。

よくよく読むと記事をまたいで共通の出来事に触れいてたり、広告とちょくちょく名前が出てくる人物のあいだに関連性があったり、詩や小説が掲載されてたり、変なものが売りに出されてたり。誰か全文解説してくれ。

これらの記事はイアン・アンダーソンとジェフリー・ハモンド、ジョン・エヴァンが中心となって作り、Chrysalisレーベルの広報で記者としての経験があるRoy Eldridgeが新聞としてまとめたらしい。イアンの話ではアルバムのレコーディングより時間がかかったとか。

 

表ジャケにあたる一面の左上はここだけ赤のインクで「JETHRO TULLのことは7面で」と目立つように印刷され、見出しとしてアルバム・タイトルである『Thick as a Brick』がどどんと鎮座することで、きちんとアーティスト名とアルバム・タイトルが目にとまるようになっている。右上の「No. 1003」はレコードのカタログナンバー“CHR 1003”に合わせてあり価格についてはよくわからん。

裏ジャケにあたる部分では「Chrysalisレコードが『Thick as a Brick』の全売上をBostock Foundationへ寄付」という記事の体でレーベルロゴを、また新聞の印刷元という体(いや間違ってはいないんだけど)で実際の印刷会社E.J. Day Groupをクレジットしてあり抜かり無い。

 

ちなみに今作のリリースから数ヶ月後にジョン・レノンオノ・ヨーコがおなじ新聞をパロったジャケットのアルバムをリリースするというネタ被りが発生した模様。

 

アルバム内容

ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気で音楽を聴いてる。

 

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これは複数あるエディット版のひとつ

今作はレコード1枚で1曲なわけだけど、レコードがA面とB面に分かれる関係で2部構成とも言え、ジャケットに掲載された詩で示されている区切りに従うなら6部、後にデジタルリリースされた際のトラック割りでいくとAB面それぞれが4トラックずつの合計8部、さらにその8つのトラックにつけられているトラック名で区切ると13部に分けることができる。

この13部分というのがだいたいの曲調の切り替わりを表した数字になると思う。

 

ていうかJETHRO TULLのレコード契約ってどんな感じになってたんだろ。たとえばKING CRIMSONの『In the Court of Crimson King』で長めの楽曲がその構成とはほとんど無関係に“including なんちゃら”みたいな表記をつけてたのは契約の都合上曲数を水増しする必要があったからなはずだし、逆にマイク・オールドフィールドが『Amarok』でCD1枚1トラックをやったのも曲の長さに関わらず収録曲の数で金額が決まる契約なのに抗議する目的があったからなわけで。まあタルの場合は自分たちのマネージャーが起こしたレーベルで後年に至るまで良好な関係を維持してるから、そこらへんクリムゾンとはまったく違う環境だっただろうけど。マイクとリチャード・ブランソンもあれ不仲といっても金持ち同士の過激なスキンシップみたいな特殊な関係性やし……。

 

それはさておき、楽曲は比較的早い段階で示されるいくつかの主題がその後も要所々々で再現して展開をリードしていく構成になっていて、たとえば冒頭のアコースティック・ギターの主題は楽曲中4回登場し、どれも大きな区切りとなる重要な場面である。

全体としては多彩な曲調を持つが、それぞれの部分はたとえば明るいフォーク調で親しみやすい歌メロを持つパート、変拍子の強烈な演奏を決めるパート、エレキギターのボリューム奏法を駆使した叙情性のあるパートなど、はっきりとカラーが決まっているうえにきっちり区切られてもいる。

アンサンブルはこれまで以上に凝ったものになり、鍵盤楽器の重要性が増しイアン・アンダーソンもフルートだけでなくサックスやヴァイオリンを持ち出してくる一方で、オーバーダブはギターソロや管楽器、オルガンとピアノが同時に要求される場面など最低限、エレキギターの音作りも素朴でサウンド的にはむしろシンプルになったとすら言える。リズムギターとヴォーカルに至ってはほとんどライブ録音といっていい状態らしい。

これらを踏まえて個人的には特定の部分以上にその橋渡しとなる場面や瞬間をたのしみに聴いてる面があります。それこそ冒頭のアコースティック・ギターの主題がA面後半でオルガンに合わせて再登場する瞬間の気持ちよさとか。

 

歌詞のほうはいかにもJETHRO TULLを好んで聴くタイプの人間がよろこびそうな“Really don't mind if you sit this one out”という文句で幕を開け、まあよくわかんないんですけど、ある意味「作者は8歳の子供」という設定を十分に活用した一貫してちょっと老成した感じの上から目線で語られるものになっているっぽい。

構成的にもかなり練られていて、歌詞にこだわるあまり音楽のほうが一定の調子を保ちすぎるような部分もあるものの、おなじ構造を反復した際の内容の変化や以前に登場したフレーズが再び現れたときの印象深さなどとても効果的。そして最後は音楽も詩もストンと落ち着くべきところに落ち着いたように終結する。

 

歌詞に散りばめられているであろうネタの数々に関しては時代的にも地域的にも自分にはさっぱりわからない。

how to sing in the rain”というくだりがあるけど、大元のミュージカル映画はともかくとして映画『時計じかけのオレンジ』はアメリカでの公開が1971年12月19日、イギリスでの公開は1972年1月13日なので、リスナー側はマルコム・マクダウェル演じるアレックスの姿を連想せずにはいられなかったかもだけどレコーディング中のイアン・アンダーソンは逆に意識しようもなかったんじゃないだろうか。自分はアンソニー・バージェスの原作小説は未読でして、有名な映画撮影時のエピソードから考えると小説には「Sing in the Rain」は出てこないと推察されるんだけどわかりません。

歌詞の盛り上がりどころでスーパーマンやロビン(ロビン・フッドじゃなくてバットマンのほうだろうか)とあわせて言及されるビグルスは赤衣枢機卿にして異端審問官であり今でも「スペイン宗教裁判」と唱えるとどこからともなく……というのはともかく、ジャケットの新聞にもいかにもビグルスのパロディっぽい戦記物の小説が掲載されている。日本人にはまったく馴染みのないキャラクターなんだけど、イアンも子供の頃に親しんだくちなのだろうか。

 

作品そのものとは関係のない話で恐縮なんですが、これまでイアン・アンダーソンがわりと頻繁に家族との関係に題材を求めた私小説的な詩を書いてきたことと、前作の「Cheap Day Return」が彼のすっかり年老いた父親を見舞った体験を綴ったものだという説があわさると、あれからなんかあったんすか?みたいにちょっと気になってしまう感じがあったり。

そうでなくてもなんとなく歌詞の雰囲気的にロールモデルの喪失というか、対等だったりあるいは指導的な立場の相談相手がいなくなった彼自身を客観的に歌詞のネタにしてるような感じがしなくもない。

加えてジャケットに妙に妊娠ネタが多かったり詩にも子供やその誕生を連想するような要素が散見されるのも、おもわず彼の私生活上の出来事に関連付けたくなってしまう。

まあ繰り返すけど作品そのものとは関係ないというか、むしろイアン・アンダーソンのような捻りを加えずもっとストレートに思想や現実の出来事に対する直接的言及を作品に投入するタイプの作者であってすら、作品と作者や現実の間には如何ともし難い断絶があるというのが自分の考えです。

 

 

1997 25th Anniversary Edition

Thick As a Brick

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1997年のアルバム25周年ついでにEMI100周年盤(ここ伏線)。

丈夫な紙製ボックス入りで、オリジナルのジャケットを再現した新聞が付属するなかなか気合の入ったリイシュー。

 

リマスターとは表記されているけどそれ以上の詳しいクレジットはない。『Aqualung』の25周年盤にはPrism Sound Noise Shaping Systemがどうとか記載されてたけどそういうのも見当たらず。

聴いた感じはノイズの少ない高音域のクッキリしたクリアな仕上がり。数年遅れでこの盤を入手したときはけっこう良い印象だったけどさすがに今あらためて聴くとちょっと音圧が高めで、オリジナルでもヴォーカルが強調されるとキツくなりがちだった高音域が厳しく部分も。とはいえサブスクでも聴けるオリジナル・ミックスのリマスター盤としてまだまだ現役です。

JETHRO TULLの場合音源の管理がきっちりしてたおかげで70年代までの全アルバムがリミックスで聴けるようになっているので、逆にオリジナル・ミックスはがんばってノイズ抑えるよりフラット・トランスファーやそれに近いなるべく手を加えない音で聴きたいという贅沢な欲求が強まっている感がある。

 

ボーナス・トラックとして同「Thick as a Brick」の1978年マジソン・スクエア・ガーデン公演ライブ音源と、メンバーへの1997年当時のインタビューを収録。

ライブの方は12分程度で前半の美味しいところをいい感じに聴かせるアレンジになっていてベスト盤等の抜粋版よりは聴き応えがありつつさくっと流せるのだけど、ヴォーカルとかけっこう手直しされている印象。

インタビューはここに収録されてるものと同時期、あるいはまさにこのインタビューの未収録部分が次のエディションのブックレットに掲載されてます。マーティン・バーがちょっと喋りをそのまま収録するのはためらわれそうなジョン・エヴァンの小便事件を暴露してたり。

 

 

2012 40th Anniversary Special Collector's Edition

なんかAmazonの商品画像が1997年盤のになってるけど実物は縦長のデジブック

 

2012年にCollector's Editionシリーズの一環としてリリースされたもので、前2011年の『Aqualung』に続いてSteven Wilsonがリミックスを手掛け、以降のシリーズで標準となるデジブックがはじめて採用された。

 

  • CD:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • DVD:SWステレオおよびサラウンド・リミックスのアルバム本編+フラット・トランスファー+Radio Spots

収録内容はアルバム本編のみで、ボーナス・トラックはDVDに入ってるRadio Spotsのみ。このRadio Spots自体はアルバムのコンセプトにあわせてBBCラジオのニュースという体裁をとっていてわりといい。

とはいえ他にボーナス・トラックの類がないのは出し惜しみしてるのか、これといってアウトテイクや関連音源が存在しないのか。

実際のとこ『Thick as a Brick』のあとはコンピレーション『Living in the Past』、次のアルバムに向けた(そしてポシャった)Château d'Hérouville Sessionsとなり、このあたりから数年イギリスでのシングル・リリースも途絶えるのでこれといったマテリアルが思い浮かばず、あえて言うならプロモーション盤やヨーロッパとアメリカ向けに存在した「Thick as a Brick」シングル・エディットを収録してほしかったくらいだろうか。あとマルチトラック録音されたライブ音源はいくらあってもよい。

 

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貼るタイミングを探っていた

Steven WilsonなんかYES『Tales from Topographic Oceans』のリミックスでシングル・エディットをぽこぽこ作ってたくらいだし、これや『A Passion Play』のエディットも許可さえされればおもしろがって作るんじゃないですかね(適当)。

あとブックレットには新聞全ページの内容が紙質まで寄せて収録されているんだけど、レイアウトはデジブックにあわせてかなり変えられている。そのかわり記事ひとつひとつの文字もちゃんと印刷されてて25周年盤の新聞より読みやすいです。モリーおばさんのタンポポ入りケーキを本当に作ったひといるんだろうか(ていうかちゃんと作れるレシピになってるんだろうか)。最初てっきり焼き上がったケーキにタンポポを添えてデコレーションするのかと思ってたら普通にぶっ込んでびっくりしたんだけど、調べてみたら実際にタンポポをケーキやマフィンの生地に混ぜて焼くようなレシピがあるっぽいですね。

 

Aqualung』2011年盤とおなじくステレオもサラウンドもSteven WilsonのリミックスをPeter Mewがマスタリングして仕上げている

ダイナミックレンジはだいたい1997年盤と揃えられていて、せっかくバランスが整えられたのに音圧上げちゃったら元の木阿弥、とまでは言わないにしてもかなりもったいないというのが正直なところです。

そしてサラウンド・リミックスはそれだけの問題では済まなかった……。

 

Stereo Remix

前作『Aqualung』やこれ以降のリミックスと方針的にはまったく共通で、オリジナル・ミックスを限りなく尊重したレイアウトや音の処理になっている。

聴く側はぼんやりおんなじだな〜と思ってれば済むけど、オリジナル・ミックスを丹念に聴き込んでマルチトラック・テープからレイアウトだけでなく局所的にかけられたリバーブなど細かい音の処理まで再現してるわけで、毎度のこととはいえとんでもない作業なのでは。だからこそマスタリングで音圧上げてしまうのはもったいない。

その上でだけど、今作のリミックスはアコギの弦をピッキングしたときの接触音などの高音域がオリジナル・ミックスとは比較にならないほどクッキリしてどの楽器もより直接聴こえる感じになったとはいえ、もともとの音作りがわりとシンプルなこともあってこのシリーズのなかでは変化が少なめの仕上がりだと思う。25周年リマスターがクッキリ系だから余計そういう印象になる面もあるかもしれない。

楽曲のいちばん最初のアコギといちばん最後のアコギの音がなんか違うのはオリジナル・ミックスよりもはっきりとわかります。

DVDにはハイレゾ収録だけどどうせ音圧が……。

 

Surround Remix

こちらもオリジナル・ミックスを尊重しつつ5.1chへの拡張を行っているのだけど、前作までと比べて音作りはシンプルでも繰り広げられるアンサンブルはより複雑になった本作ではこれまでより積極的にリア側にも音が配置されるようになり、それが十分な効果をあげている印象。それ故にこっちまで音圧が揃えられちゃってるのが……(まだ言ってる)。

 

そしてこのDVDのサラウンド・リミックスにはもっと根本的な欠陥があって、Side Oneの02:49前後で瞬間的なドロップアウト(音の欠落)が発生する

このために当時メーカー側で交換対応がとられたんだけど、自分はそんなことになってるとはつゆ知らず数年経ってから中古で購入してあらびっくり。なんの説明もなかったぞ(恨み言)*5

聞いた話では交換ディスクで差し替えられたサラウンド・リミックスはPeter Mewマスターではない純粋なSWリミックスらしい*6。しんどい

 

じつは同じようなエラーは『Aqualung』の2011年40th Anniversary Collector's Editionでも発生していたらしく、あちらはDVDのサラウンド・リミックスにクリックノイズがあったとか。

Peter Mewがどうとかよりメーカー側の不手際であり、EMIは全く同じ時期にGENTLE GIANT『Free Hand』のDVD収録Quad音源でもチャンネルの割り振りがむちゃくちゃというミスを犯している。はいこっちもそうとは知らずに後から中古で購入しました。ふて寝しました。

拝啓EMI殿どうなってるの?ってところなんだけど、そのEMIは2011年からソニーやユニバーサルによる買収が進んでいてこの後2013年にはEMIグループ自体が解散してロゴすら使われなくなるので、どうもこうもない状況だったりしたのかもしれない。1997年には100周年盤とかリリースしてたけど諸行無常

 

ともかくJETHRO TULLに関しては、そもそもSteven Wilsonが納得行くバランスに仕上げてイアン・アンダーソンだって確認しているはずのリミックスをさらにマスタリングする必要があるのかという問題があり、加えて2013年にPeter MewAbbey Road Studiosを退職*7したこともあってか、これ以降のリリースでは基本的にSteven Wilsonが手掛けたリミックスはそれ以上弄らずそのまま収録する方針へと改められたのでありましたとさ。

 

Flat Transfer

気を取り直したことにしてフラット・トランスファーだけど、マスターテープ由来のノイズはしっかり入っているものの十分鑑賞に耐えうる音源。

25周年リマスターがクッキリ系なのと比べると高音域がまったり柔らかめで中低音もそれなりながら、オリジナル・ミックスってそういうものですよねという感じ。

ただ、基本的にはそういう感じなんだけど、以前持っていたLPや非リマスターCDに比べるとそこはかとなく音圧高めなように思えるのはなんなんだろう。

あと非リマスターCDには楽曲が終わった最後の無音部分に歌い終わったイアン・アンダーソンの“Yeah”って声が入っていたのだけど、Peter MewマスタリングのSWリミックスにもこのフラット・トランスファー音源にもその声は入っていない。もともとのLPには無いものだからカットしたのか、じつは非リマスターCDとこの音源で元になってるマスターテープが違ったりする可能性もあるだろうか。

 

 

2015年以降の配信音源

Aqualung』の記事でもちらっと触れたけど、『Aqualung』と今作『Thick as a Brick』は2015年のデジタル・リリースではじめてPeter Mewマスタリングではない純粋なSWステレオ・リミックスが登場した。しかもApple Musicで聴けます(SpotifyにはPeter Mewマスタリングのほうしか無いっぽい)。

ということは40th Anniversary Special Collector's Editionの交換ディスクに収録の純粋なSWサラウンド・リミックスと組み合わせれば両方を聴ける…ってやってられるかー

ぶっちゃけとっくの昔に売り切れた上に交換ディスクが手に入る保証はまったくないCollector's Editionのことは一旦忘れて、サブスクやハイレゾ音源のダウンロード購入でステレオ・リミックスを聴いておくのが現状の最適解だと思います。

たぶんきっとそのうち『Aqualung』のAdapted Editionにあたるようなものがリリースされるはず……(というか来年50周年だしわりとマジでありうるのでは?)

 

 

geo.music.apple.com

純粋なSWステレオ・リミックスは楽曲が終わったあとにイアンの“Yeah”が入っているので、入っていないPeter Mewマスタリングと簡単に判別できます。

 

 

*1:リリースは9月頃

*2:Morgan Studiosに16トラック録音用機材が導入されたおそらくごく初期の録音に1970年4月THE KINKSの『Lola versus Powerman』関連セッションがある

*3:Gestationは妊娠(期間)や、そこから連想されるアイデアを温めていた期間、病気が潜伏していた期間などの意。どちらにせよなんでやねん

*4:鉱滓、転じて「残りカス」だが、もっと汚いニュアンスが含まれる言葉でもある

*5:というか最近某ディスク○ニオンが中古品入荷のお知らせでこのエディション紹介してたけど、やっぱりDVDがエラー盤なのか交換済みなのかにはまったく触れられてなかった

*6:ステレオ・リミックスのほうはPeter Mewマスターのままらしい

*7:なにせTHE BEATLESのレコーディング・セッションでも卓についたベテランなので、けっこうなお年であったことだろう

Aqualung / JETHRO TULL (1971/2011/2016)

 

Aqualung

Aqualung

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1971年3月19日リリース、JETHRO TULLの4thアルバム。

音楽的には前作を引き継ぎつつ、ひとつひとつの楽曲に投入する要素を絞ってより明快に仕上げた傑作。「Aqualung」「Locomotive Breath」といったハード・ロックの名曲、フォークタッチの魅力的な小曲たち、そして「My God」「Wind-Up」等のこれまでよりインパクトの強いテーマを扱いつつ音楽面の聴かせどころも用意された楽曲を含む。オリジナルのステレオ・ミックスはあんま音質よくないです。

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Flute, Acoustic Guitar and Voice
  • クライヴ・バンカー Clive Bunker:A Thousand Drums and Percussion
  • マーティン・バー Martin Barre:Electric Guitar and Descant Recorder
  • ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ and Mellotron
  • ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Alto Recorder and Odd Voices

 

JETHRO TULLは前作『Benefit』ののち1970年4月にMorgan Studiosで次なるアルバムのためのセッションを開始するが3曲ばかり作ったところでツアーに入り、ワイト島フェスティバルやカーネギーホール公演など、この時期のハイライトとなる充実したパフォーマンスを行った。

そしてイアン・アンダーソンはツアー終了とともにオリジナル・メンバーでベーシストのグレン・コーニックを解雇、JOHN EVAN BAND時代のバンド仲間で絵画の勉強をしていたジェフリー・ハモンドを加入させる。とうとうやりやがったなこいつ……

 

アルバムのレコーディングは1970年12月から翌1971年1月にかけて、設立されて1年に満たないIsland Studiosでおこなわれた。ちょうどLED ZEPPELINも4枚目のアルバムのレコーディングをしていて両者の間で交流があったとか。

そしてこのレコーディングがえらく難航した。エンジニアは馴染みのRobin Blackと予定が合わず、代わりにこれまでセカンド・エンジニアを務めツアーのローディーも担当したJohn Burnsを起用したものの彼はこの時点でまだ経験が浅く、慣れないスタジオでメンバーもエンジニアもはじめての16トラック録音、停電やコンソール・ルームごとの音響の違い、どうにかこうにか形にしてマスタリングのためにApple Studiosに持ち込んだらIslandで再生するのと全然違った音になってまた混乱と、苦難の連続だったらしい。

結局出来上がったアルバムは内容面の充実に対して音質はもやっとしていてどの楽器もナローレンジ、レイアウトもベースやギターが謎にちょっとずらして配置されてたりとこれぞブリティッシュ・ロックの醍醐味的なサウンドとなった。

 

ジャケットのイラストはイアン・アンダーソンの当時のパートナーであるジェニー・アンダーソンが撮影した浮浪者の写真をもとに、アメリカの画家Burton Silvermanが手掛けている。

基本的にテリー・エリスの采配のもとあつらえられたもので、イアン自身ジェニーの写真にインスピレーションを得てAqualungというキャラクターというかコンセプトを作り出したものの、ジャケットの浮浪者の容貌があきらかに彼に寄せられていることは知らなかったとか。

加えて完成したアルバムはLPのA面に“Aqualung”、B面に“My God”とそれぞれ副題がつけら、裏ジャケには両者を結びつける大仰な文章が記載されたが、このあたりについてイアンがどの程度関わっていたのだろうか。

 

 

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A1「Aqualung

ギターリフとそれに伴うアコギが猥雑さを強調する感じの、ジャケットに描かれる浮浪者Aqualung(呼吸するたびに潜水器みたいな音でも立ててるってことだろうか)の一人称歌詞ではじまり、アコースティックの引いた曲調に移って天の声的なやつが登場し、そこからテンポを上げてギターソロに突入する。このギターソロが絶品なのだけど、バックの音形が完全にBLUE ÖYSTER CULT「Astronomy」だったりすので案外これが元ネタかもしれない。

上に貼ったクリップはわりと最近になってタルの公式アカウントがアップロードしたMV。50周年だからでしょうか。

 

A2「Cross-Eyed Mary」

メロトロン! それはそうと後にIRON MAIDENがシングルB面でカバーした曲。

 

A3「Cheap Day Return」

アコギの小曲その1で、歌詞とあいまってなんとも侘しい感じ。

他の曲で言及される地名がロンドンのハムステッドなのに対しここではプレストンまで足を伸ばしていることが伺える。ちなみにイアン・アンダーソンはブラックプール出身。

 

A4「Mother Goose

リコーダーなアコースティック曲。前作『Benefit』ではどの曲もアコースティック一辺倒やハード・ロック一辺倒にならないようあれこれ手を加えてる印象だったけど、今作ではアルバムの要所になるいくつかの曲を除くとわりとひとつの曲ではひとつの調子を維持する傾向がある。

 

A5「Wond'ring Aloud」

ピアノがいい味出してる小曲。歌詞は朝チュン

 

A6「Up to Me」

フォークタッチな小曲たちのなかでも、これはちょっと塩辛い感じ。

 

 

B1「My God」

イアン・アンダーソンのフルートを大々的にフューチャーしたトラックで、フルートソロで最初激しくブロウしてると思ったらおもむろに響きを整えて合唱が入ってくるのが好き。

タイトルはよく欧米の宗教家のかたの著書名として紹介されるやつ。

 

B2「Hymn 43」

キャッチーな曲調とキャッチーな歌詞のもの。

 

B3「Slipstream」

後にビデオのタイトルになったアコースティックな小曲で、デヴィッド・パーマーによるストリングス・アレンジが秀逸。

 

B4「Locomotive Breath」

ピアノのイントロからギターが入ってきてベースがブンブンいうところはやたらかっけーのだが、そこから先これといってなにも起こらないのでかなり戸惑ったトラック。歌詞の方ではいろいろ起こってそうな様子。

 

B5「Wind-Up

ピアノとアコギでなにやら信仰の告白のようにはじまり、次第に熱量が増加していってエレキギターがフューチャーされたハードなパートに突入。

前作『Benefit』収録「For Michael Collins, Jeffrey and Me」とも共通するんだけど、「My God」にしろこの曲にしろ単純な宗教批判というよりは「既存の共同体からの疎外感」みたいなものがテーマの中心にあるように思える。その疎外感は宗教とも密接に結びついていて、そうした点がより多くの人々に訴えかけたんじゃないだろうか。

 

 

コンセプト・アルバム

イアン・アンダーソンや他のメンバーたちは一貫して否定しているが、「『Aqualung』は宗教を題材としたコンセプト・アルバムである」というような受け取られ方や評価のされ方をすることは非常に多い、あるいは多かった、らしい。

 

たしかに歌詞の内容はA面でAqualungという象徴的な「疎外された」人物が登場し天の声っぽいものまで聞こえてくるタイトル・トラックを手始めにそれぞれ内に疎外感を抱えた人々を描写していき、B面に入るとより内面とそこで当然行き当たる宗教との関係に踏み込み、最後「Wind-Up」でいよいよ核心の一端に触れる、と容易に解釈できる。

ビジュアル面でいうと寓話的なイメージを増幅させる水彩画によるイアン・アンダーソン「扮する」浮浪者のジャケット、見開きにはおなじくメンバーたちが扮する乱痴気騒ぎに興じる人々、そして裏ジャケの「Aqualung」と「My God」を結びつける聖書になぞらえた文章。

ひとつのパッケージとしてみた場合、こんだけやっといてコンセプト・アルバムじゃないと言う方がむしろ無理があるとすら思える。

なんならアルバムをそのアートワークやそこに記載された文章までアーティストから提供されたものとして信頼して目を通した好意的なリスナーほど、今作をコンセプト・アルバムとして受け取ったんじゃないだろうか?

一方でそれぞれの楽曲に音楽的な繋がりはほぼ無いと言ってよく、たんに歌詞のテーマが似たりよったりな曲を並べてみたらこうなった、というのも状況的にはそのとおり。

 

まあぶっちゃけアルバムというフォーマットが複数の楽曲を並べてそれを連続で聴いていく形になってる以上、聴く人間は編集者の意図がどうであれその楽曲間になんらかの繋がりを見いださずにはおれないわけで、そこに偶然にせよ狙ったにせよこれだけお膳立てが整ったものがお出しされたらそりゃコンセプト・アルバム認定待ったなしやろなぁ、というのが正直なところです。たぶんコンセプト・アルバムということにした方が売れると考えた誰かがいたのでしょう。

別な言い方をするなら、たとえば『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』がコンセプト・アルバムな程度にはこれだってコンセプト・アルバムだし、違う程度には違うんじゃないでしょうか。

せっかくだしコンセプト・アルバムにしといたほうが都合良さそうなとこではコンセプト・アルバムでございってことにしといて、うかつにそういう事言うと面倒くさそうな場面ではコンセプト・アルバムだなんて滅相もございませんとか言っときゃ良いんじゃないかと思わんでもないし、実際本人たちが意図したかはともかくそれに近いどっちつかずな立ち位置にうまいこと収まったような気もする。

もちろんそれは「そんなに言うなら本当の「コンセプト・アルバム」ってやつをみせてやらぁ!」みたいなノリで作られた次作『Thick as a Brick』があったうえでのものなわけだけど。

 

 

2011 40th Anniversary Collector's Edition

Aqualung: 40th Anniversary

Aqualung: 40th Anniversary

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2011年のアルバム40周年を記念してリリースされた、1LP+2CD+DVD+BDの豪華ボックス*1

持ってないけど次のエディションとの内容の差異がすごくめんどくさいことになってるので、整理するためにこちらの内容についても触れておきます。

 

これは2008年『This Was』、2010年『Stand Up』に続く3つ目のCollector's Edition(しれっととばされる『Benefit』)で、はじめてSteven Wilsonがリミックスを担当し、ステレオだけでなくJETHRO TULLのアルバムでおそらく初となるサラウンド・リミックスまで制作された。

このリミックス作業とその仕上がりでイアン・アンダーソンの信頼を得たSteven Wilsonはこれ以降JETHRO TULLのバック・カタログのリミックスを全面的に任されることになるが、それだけでなく翌2012年にはイアンの新作ソロ・アルバム『Thick as a Brick 2』のミキシングまで担当することに。このように、このリイシューはこれ以降の一連の流れのきっかけとなった重要なプロダクトだったと言えるんじゃないだろうか。

ただしこのリイシューの段階ではSteven Wilsonにすべての裁量が委ねられていたわけではなく、Steven Wilsonが手掛けたステレオとサラウンドのリミックスを最終的にベテランエンジニアのPeter Mewがあらためてマスタリングして仕上げられている。サブスクでステレオ・リミックスを聴いた感じSteven Wilsonだったらやらない程度には音圧が上げられ、ブライトだけど多少窮屈さを感じる音質になっている。

 

収録内容

  • LP:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • CD1:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • CD2:Additional 1970 & 1971 Recordings
  • DVD:SWステレオ及びサラウンド・リミックス、Quadミックス
  • BD:DVDの内容に加えアルバム本編フラット・トランスファー

CD1とCD2の2枚組パッケージもリリースされ、そちらはサブスクでも配信されている。

 

 

Associated 1970 & 1971 Recordings

CD2とDVDのAssociated 1970 & 1971 Recordingsは、読んで字の如く『Aqualung』前後の1970年から1971年にかけて制作された別テイクやボツ曲、そしてEPのトラックを収録。

基本的にSteven Wilsonによってあらためてリミックスされており、一部を除いてステレオだけでなくサラウンドも制作されているが、EP『Life Is A Long Song』のB面に相当する3曲だけはオリジナル・ミックスのPeter Mewリマスターが収録された。

 

CD2-1「Lick Your Fingers Clean」

シングル曲になる予定でChrysalisのカタログナンバーまで割り振られたものの、なんか計画が流れたトラック。のちに改造手術が施され「Two Fingers」の名で『WarChild』に登場した。

 

CD2-2「Just Trying to Be」

このあとコンピ『Living in the Past』に収録されたボツ曲。1970年4月の録音だけどベース不在のアコースティック曲なのでグレン・コーニックは不参加。

 

CD2-3〜7はアルバム制作中のアーリー・テイクが中心。

これらのうちCD2-3「My God (Early Version)」は1970年4月のテイクで、グレン・コーニックによるマスター・テイクより積極的なベースが聴けるほか、中間部のアレンジも興味深い。

またCD2-5「Wind-Up (Early Version)」は1974年に制作されたQuadミックス版でなぜかマスター・テイクと間違えて使用され、後に1996年のリマスター盤CDに「Quad Version」として収録された経緯がある。

このCollector's Editionでは「My God (Early Version)」のみステレオ・リミックスだけでなくサラウンド・リミックスが制作されたが、後にAdapted Editionで「Wind-Up (Early Version)」のサラウンド・リミックスも追加された。

 

CD2-8「Wond'ring Aloud, Again (Full Morgan Version)」

1970年4月に制作されたトラックで、アルバムに収録された「Wond'ring Aloud」の初期バージョンにあたるもの。

アルバムでは2分に満たない小曲だがこちらは7分という「My God」に並ぶ長さで、もともと『Benefit』の延長線上にある手の込んだ楽曲だったその前半部だけがアルバムに採用されたことがわかる。

不採用となったこのテイクの後半部分は「Wond'ring Again」のタイトルで1972年のコンピ『Living in the Past』に収録され、このAssociated 1970 & 1971 Recordingsではじめてその全容が明かされた。

このトラックもCollector's Editionではステレオ・リミックスのみだったが、Adapted Editionであらたにサラウンド・リミックスが追加された。

 

CD2-9〜13は『Aqualung』より後、1971年9月にリリースされたEP『Life Is a Long Song』のトラック。

これらは1stアルバム以来となるSound Techniquesでレコーディングされ、ドラマーがクライヴ・バンカーからバリモア・バーロウに交代して初の作品となった。Island Studiosで痛い目にあったから懐かしのスタジオに戻ってみたとかそういうのもあるだろうか。

ここではA面の2曲がSWリミックス、B面の3曲がオリジナル・ミックスのPeter Mewリマスターで収録されているが、この後Adapted EditionではA面2曲のSWリミックスと5曲すべてのフラット・トランスファー音源という形に置き換えられた。

 

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CD2-14は恒例のUS Radio Spot。

 

 

2016 40th Anniversary Adapted Edition

Aqualung

Aqualung

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2016年にリリースされた40th Anniversary Adapted Editionは、先に扱った40th Anniversary Collector's Editionの内容を引き継ぎつつ、パッケージを2CD+2DVDのデジブックに変更して再発したもの。

BDがオミットされてDVDが2枚になり、収録内容の追加や音源の差し替えなどが行われている、言ってしまえば「修正版」とか「アップデート版」みたいなもの。

 

Adapted Editionでの変更点を挙げると、

 

  • Steven Wilsonによるリミックス音源のマスタリング

Collector's EditionではSteven WilsonのリミックスすべてにPeter Mewがマスタリングを行い音圧高めに仕上げていたが、このAdapted Editionではそれらのマスタリングが取り除かれSteven Wilsonがミキシングしたそのままの音源に差し替えられた。全体的に音圧低めダイナミックレンジ広めで、個人的にはCollector's Editionより好ましい音質。

 

同EPからの5曲はCollector's Editionでは2曲がSWリミックス、残り3曲がPeter Mewリマスターで収録されていたが、Adapted Editionではあらたに全曲のフラット・トランスファー音源が用意された。それに合わせてAssociated 1970 & 1971 RecordingsはSWリミックスの2曲とフラット・トランスファーの5曲両方を収録する形に変更となっている。

 

  • BDがオミットされDVD2枚に

Adapted EditionではBDがなくなったので、各種サラウンド音源のDTS-HD Master AudioがなくなりDTS 96/24とDolby Digitalのみ(つまり非可逆圧縮の音源のみ)になった。
その代わりAdapted EditionのDVDには2曲のサラウンド・リミックスとEP『Life Is A Long Song』5曲のフラット・トランスファー音源、そして「Life Is A Long Song」PV映像が追加収録された。PVは上に張ったBeat-Clubのものから映像に被せてある女性や文字を取り除いて音源をSWステレオ・リミックスに変更したもの。

 

という感じで、収録音源もちょっと増えたけどそれ以上に問題なのはそのマスタリングの違いとなっている。ついでに言うと「Steven Wilsonがミキシングしたそのままの音源」がリリースされたのは2015年のデジタルリリースが最初だけど、同時期に出た単品CD(記事の頭に貼ったやつ)のほうはPeter Mewマスターのままだったりした。

自分は最初のうちそもそも40th Anniversary Collector's Editionと40th Anniversary Adapted Editionが別のタイミングでリリースされたものだってことすらわかってなくてすごく混乱しました。ていうかこの記事を最初「いうてそこまで違いはないっすよ」くらいのノリで書いてたら変更点がぼろぼろ出てきて何回も書き直した。

 

 

以下はAdapted Editionで聴いた各種音源の所感。

 

Quad Mix

1974年にイアン・アンダーソン監修のもとRobin Blackによって制作された音源で、CD-4方式のLPのほか8トラック・カートリッジとリール・テープでリリースされた。

Aqualung」は昔のQuad盤でよくある「ほ〜ら4chですよ〜」みたいにやるために1曲目だけやたら変なミックスになってるやつでヴォーカルに変なエコーがかかってる。

Wind-Up」は上記したように別テイクで、マスター・テイクと比べて練れてない腰の軽い感じがある。オーバーダブも最低限でサウンド自体ちょっとショボい。

レイアウトは全体的にごちゃっとしていて、楽器をあっちゃこっちゃ配置した結果リズムの要になっている楽器と他の楽器のあいだのつながりが途切れてしまい、ステレオとおなじトラックからミキシングしてるはずなのにそうは思えないような箇所が散見されたり。

でも音質自体は2chステレオよりあきらかに良くて、各楽器の音の質感や量感に加えてQuadミックスでしっちゃかめっちゃかになってる結果オリジナルのステレオ・ミックスのレイアウトの微妙さから解放されてもいるのですよね。

海外の掲示板でSteven Wilsonによるリミックスがリリースされるより前の「Aqualungのベスト・バージョンはQuadリール!」みたいな書き込みを見かけた記憶があるけど、こうして聴いてみるとたしかにその意見にも一理あると思える。当時はだれにも相手にされてなかったけど(たぶんリール・テープなんて限られたひとしか聴いてなかったんだろう)。

 

Stereo Remix

一言でいうと劇的改善。オリジナルのステレオ・ミックスと比べてあきらかに音質が良く、すべての楽器のスカスカだった中低音や減衰していた高音が蘇っている。おそらくミックスダウン作業の拙さの結果ヒストリカルな響きになってたピアノがちゃんとピアノの音になっているし、パタパタポコポコとヘッドの音がするばかりだったドラムの胴鳴りが聴き取れる。

レイアウトは見事なまでにオリジナルのステレオ・ミックスを再現していて、中途半端な位置にずらされたベースまでそのまま。そりゃ弄っちゃったら全部の音の関係性にまで影響してしまうといえばそのとおりなんだけどさぁ……。

なんならこれからこのアルバム聴くひとはこっちだけ聴いときゃ十分なんじゃないでしょうか。

Associated 1970 & 1971 Recordingsのほうのステレオ・リミックスも良好です。

 

この記事を書き上げた当初続けて

ただちょっと気になるのが、後述するアルバム本編のフラット・トランスファーとあらためて聴き比べると、このステレオ・リミックスは特に高音域に妙な窮屈さというか、音が詰まった感じがあるようにも思えるんですよね。おなじSteven Wilsonが手掛けた他のアルバムのステレオ・リミックスではこういう感じは受けないんだけども。

という文章を載せてあったんですけど、じつはこれ書いてた時点でDVD収録のハイレゾ音源ばっかり聴いてCDのほうは聴いてなかったんですよね。

上記した2011年盤の「Steven WilsonのリミックスをPeter Mewがあらためてマスタリングした」という話でふと思い至ってCDやサブスクにある2011年版と2016年版それぞれのステレオ・リミックス音源と比較したりしたところ、具体的な数値で出せないあくまで印象でしかないんだけど、「Adapted EditionのDVD収録のステレオ・リミックス音源は、Collector's EditionとおなじPeter Mewマスターではないか?」という疑念が拭えなくなってきました。

でも自分の感覚ほど当てにならないものもありはしない訳でして、ちゃんと検証するにはDVDからデータ取り込んだりしなきゃならないんだけど正直しんどい。勘違いであってくれ。

 

Surround Remix

ステレオのレイアウトをとても尊重していることが伺えるリミックスで、曲によって鍵盤がリアに定位したりエレキギターやドラムの一部がリアに単身赴任してくることもあるが、基本的にかなりフロント側重点。

Quadのように各トラックを4つのスピーカーにあらためて配置し直すのではなく、ステレオのレイアウトを元にリア側にも各トラックの音が混ぜ込まれ、音同士の繋がりを維持しつつ前後感を出して重層的に配置していってる感じ。

オリジナルのステレオ・ミックスにおける音と音の間の繋がりや関係性はそのまま2つのスピーカーという制約から解き放たれているイメージで、ステレオ・リミックスで感じた妙な窮屈さもこちらには無い。

「My God」でフロント側にフルート3つ、リア側に合唱が対峙する場面とか「そうそう、こういうのが聴きたかったんです!」ってなる。

ただしQuadが「まあどうせ当時のミックスだしな〜」と逆にいいとこ探しみたいな姿勢で聴きがちなのと比べると、「この音とこの音がおなじトラックに詰め込まれてなけりゃ……」とか「そもそもなんでオリジナルのミックスはこんなちょっとずらした音の配置してんだ」みたいな歯がゆさを感じる箇所があったりもする。

「Hymn 43」は音がフロントにまとまっててステレオ・リミックスとおなじようにあんまぱっとしないし、「Wind-Up」中間部のエレキ・ギターもオリジナルのレイアウトと同じくバッキングがフロント左、ツインギターがヴォーカルに寄り添うフロント・センター寄り右に定位しててスパッと左右対称にも前後対称にもなってくれない。

Associated 1970 & 1971 Recordingsのほうのサラウンド・リミックスも同じく良好で、もともとアルバム本編ほど作り込まれた状態じゃない分逆に引っかかるような箇所もないかもしれない。

特に中間部のアレンジの違いがおもしろい「My God (Early Version)」や奇しくもQuadミックスと聴き比べできるようになった「Wind-Up (Early Version)」あたりは素直にサラウンドをたのしめる。

 

Flat Transfer

これまでに扱ってきた『Stand Up』『Benefit』のフラット・トランスファー音源と比べてはっきりとマスターテープの劣化が音に現れている。

でも全体的に曇ってるなりに伸びやかでなめらかな音で、これはこれで捨てがたい魅力のある音源です。

 

 

ところでJETHRO TULLのバックカタログはサブスクに旧リマスター、SWリミックスが揃ってることがわりと多くて(例外は『WarChild』くらいだろうか)、『Aqualung』にいたってはSWリミックスのPeter Mewマスターと非マスターまで聴き比べることができるので、ちょっと試しに並べてみました。

 

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1996年版、25周年リマスター。

 

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2011年版、Steven WilsonリミックスのPeter Mewマスター。

 

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2016年版とおなじ純粋なSteven Wilsonリミックス。

 

さあみんなも聴き比べてみよう!

 

 

*1:なおBD1枚あれば収録音源ぜんぶ聴ける模様

Stand Up / JETHRO TULL (1969/2010/2016)

 

Stand Up

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1969年7月25日リリース。イギリスのバンドJETHRO TULLの2ndアルバム。

JETHRO TULLのアルバムではじめてイアン・アンダーソンが全曲の作詞作曲を手掛け、前作の延長線上にあるブルース調のヘヴィ・ロックからフォーク色の強いトラックにクラシックの翻案など、グッとバラエティ豊かになった(わりにきらびやかさに欠けるあたりがこのバンドらしい)。

 

  • グレン・コーニック Glenn Cornick : Bass Guitar
  • クライヴ・バンカー Clive Banker : Drum, All manner of Percussion
  • マーティン・バー Martin Lancelot Barre : Electric Guitar, Flute on track 2 and track 9
  • イアン・アンダーソン Ian Anderson : Flute, Acoustic Guitar, Hammond Organ, Piano, Mandolin, Balalaika, Mouth Organ, Sang

 

1stアルバム『This Was』と続くシングル「Love Story」を最後にそれまで重要な役割を担っていたギタリストのミック・エイブラハムズが脱退。

これによってイアン・アンダーソンがバンドの実権を掌握し、以降今日まで続くJETHRO TULL=イアン・アンダーソンという図式が出来上がる。

 

次なるギタリストはバンドと交流があったトニー・アイオミ*1なる人物に決まりかけたものの、彼はバンド内の人間関係に馴染めずTHE ROLLING STONESが主催した『Rock and Roll Circus』の撮影に参加したのみで離脱してしまう。これはイアン以外のメンバーは当て振りだったので、残念ながらタルにおけるアイオミのプレイの記録は残されなかった。

THE NICEのデヴィッド・オリストやTOMORROWのスティーヴ・ハウに声をかけてみたり紆余曲折あったようだが、結局次のギタリストはGETHSEMANEというバンドにいたマーティン・バーに決定。なかなかになかなかな名前のバンドやなぁと思ったけどそれを言ったらNAZARETHとかも大概だしそんなもんか。

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バンドは彼が加入して早々のヨーロッパ・ツアーから初のアメリカ・ツアー、その道中でシングル「Living in the Past」レコーディングと精力的に働き、1969年の4月17日から5月21日にかけてロンドンのMorgan Studiosで2ndアルバムの制作に取り組んだのでありましたとさ。

プロデュースは前作とおなじくマネージャーのテリー・エリスとバンド自身により、エンジニアはAndy Johns。

 

JETHRO TULLのイアンに次ぐ重要人物となるマーティン・バーは以前日本で「マーティン・バレ」というフランス読みのカタカナ表記で紹介されたりミドルネームが「Lancelot」だったりと、いかにもフランスっぽい名前なバーミンガム出身のギタリスト。家系のルーツはフランスにあるらしい。

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彼のギターは今作の段階ではミック・エイブラハムズと比較すると物足りない面がないとは言い切れないが、メンバー個々の演奏を主軸にしていた前作からアレンジや音作りにこだわった楽曲そのものを聴かせる方向性が強まった今作の変化によく適応していて、すでにエイブラハムズの抜けた穴を補って余りある成果をあげているんじゃないかと。

加えて前作『This Was』は4トラック録音だったが今作は8トラック録音であり、エンジニアのAndy Johnsがレコーディングに際して様々なアイディアを提供したことも相まってメンバーの創作意欲が高まり、自ずと録音作品として趣向を凝らす意識が強まったのではないかと思う。

 

前作ではミック・エイブラハムズがリズムの要だったが今作ではマーティン・バーが健闘してるのに加えて、クライヴ・バンカーのドラムもよりシャープになったように感じる。一方グレン・コーニックのベースが意欲的にソロをとったりしつつもなんとなくもたつく感じなのは指弾きだとそうなりがちって面もあるだろうか。

 

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アルバムのジャケットは渡米中に知り合ったJames Grashowという木版画家による作品で、ゲートフォールドの見開きにはバンドメンバーのポップアップがあしらわれていた。

ジャケットの可愛いようで可愛くないわりとキモいデフォルメされたメンバーのイラストとファンシーみあるポップアップからの、いざアルバムを再生すると“It was a new day yesterday, but it's an old day now”とかいう「My Back Pages」のネガティブなパロディみたいな歌詞の重っ苦しい曲がはじまりなんか思ってたのとちゃうぞってなるのでした。

 

 

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A1「A New Day Yesterday」

前作の延長線上にあるヘヴィなブルース・ロック。ミック・エイブラハムズがあくまでピッキングのニュアンスを失わない範囲内でギターを歪ませていたのに対して、こちらはもっと思いきりよくサウンドを弄っている。また前作ではギターソロのバッキングにうっすらともう1本ギターを加える程度だったがこのトラックでは最初から大胆に2本のギターを使っていて、アプローチの違いとともにMorgan Studiosの8トラック録音をさっそく活用している様子が伺える。なんでもギターにレスリースピーカー風の効果を加えるためケーブルに繋いだマイクロフォンを振り回して録音したりしたらしい。

 

A2「Jeffrey Goes to Leicester Square」

ジェフリーふたたび。イアン・アンダーソンがエフェクトのかかったバラライカを弾いてる。なんかフレーズがちょくちょくレナード・バーンスタインの「America」っぽいような。フルートはイアンじゃなくてマーティン・バー。イアンより上手くね?

 

A3「Bourée」

JSなバッハのリュート組曲主題を用いたジャズ色強めのインストで、前作の「Serenade to a Cuckoo」とこのトラックの違いがブルースやジャズ的な演奏重視からより作曲を重視する方向へ移行したことを象徴しているような感じもある。制作が難航した結果このトラックだけ4月24日Olympic Sound Studiosでのテイクが採用されている。ちょうどこの日はMorgan Studiosが使えず、Andy Johnsに頼んで彼の兄Glyn Johnsが働くOlympic Sound Studiosを都合してもらったらしい。

 

A4「Back to the Family」

なかなか凝った展開でハード・ロック的な盛り上がりもあるトラック。歌詞はイアン・アンダーソンの私小説風。

 

A5「Look into the Sun」

イアン・アンダーソンがいよいよ詩人としての才能も発揮しはじめたのと同時に、いよいよ自分が苦手なタイプのやつも出てきたなってなるトラックで、詩とその雰囲気作りを重視するあまり音楽的にはほとんど停滞してしまっている。こうなると自分のような空気も読めなきゃ詩情も解さない木偶の坊はぼんやり曲が終わるのを待ってることしかできなくなるのです。エレキギターがひかえめに賑やかしてはいる。

 

 

B1「Nothing Is Easy」

これもわりと凝った展開の楽曲で、ライブでとりあげられる機会が多かった。

 

B2「Fat Man」

歌詞に感動した。それはともかく東欧というかインドというかなフォーク曲で、イアン・アンダーソンがマンドリンも弾いてる。間奏をはさんでレイアウトが左右反転するのはなんか意味があるのかやってみただけなのか。

 

B3「We Used to Know」

12弦ギターのイントロとレゲエのリズムを加えていれば全米第1位が狙えたやつ。マーティン・バーがワウを効かせたなかなかドラマティックなギターソロを披露している。あとギターソロがあけてちょっとしたあたりで左chのアコギが一瞬空振りしてドキッとしたり。

 

B4「Reasons for Waiting」

イアン・アンダーソンがめずらしく素直に朗々と歌ってるアコースティック中心のトラック。ともすると「Look into the Sun」とおなじ問題が頭をちらつくけど、こちらはデヴィッド・パーマーのストリングス・アレンジが華を添えている。

 

B5「For a Thousand Mothers」

ヘヴィ系の「A New Day Yesterday」に対するハード系みたいな激しめの楽曲。一度終わったように見せかけてまたはじまるけど、このとき転調してちょっと明るい雰囲気になるのがいい。これも家族ネタっぽい歌詞。

 

 

このアルバムはイギリスでアルバム・チャート第1位を獲得、ヨーロッパやアメリカでも成功をおさめバンドにとって重要なステップアップになった。

本人たちも手応えがあったらしくインタビューでお気に入りのアルバムみたいな話になるとたいてい言及されてる気がする。

 

 

2010 Collector's Edition

Stand Up

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2010年にリリースされたCollector's Editionは2CD+DVDの3枚組。ポップアップも再現。

  • CD1:2001年リマスターのアルバム本編+ボーナストラック
  • CD2:新規ステレオ・リミックスによる1970年11月4日カーネギーホール公演ライブ音源
  • DVD:新規ステレオ&サラウンド・リミックスによる1970年11月4日カーネギーホール公演ライブ音源(音声のみ)+イアン・アンダーソンへの2010年インタビュー

リマスターとリミックスはすべてPeter Mewによる。

 

CD1

アルバム本編は2001年リマスターの使いまわしといえば聞こえは悪いが、特に不満のない出来栄えなのでべつにこれでいいんじゃないでしょうか。

 

ボーナストラックは2001年盤からかなり増えている。

 

CD1-11および15「Living in the Past」とCD1-12「Driving Song」は『Stand Up』に先駆けて1969年4月末にリリースされたシングルのAB面。

 

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「Living in the Past」

JETHRO TULLにしてはめずらしいポップな佳曲で、タイトルを読んで字の如きテーマの歌詞と古めかしいストリングスにモヤッとした音質が相まって「Village Green」あたりの(つまりわりと近い時期の)THE KINKSというかレイ・デイヴィスを連想する雰囲気がある。

アメリカ・ツアーの途中ニュージャージー州エスト・オレンジにあるVantone Sound Studioというボロい(らしい)スタジオで録音され、New York Symphony Orchestraなる楽団のメンバーを雇ってLou Tobyというアレンジャーのもとストリングス・アレンジが施されたが、楽団員たちはきちんとリズムがとれず苦労したらしい。

New York Symphony Orchestraとは?ってなるけどまあたぶんニューヨークフィルのことじゃないかな……(さすがに“Living in the Past”ってフレーズとニューヨークフィルの来歴を踏まえてあえてこう記述したわけでもないだろう)。

それはさておきマネージャーの「ここらでひとつヒット曲作れない?」って要望に合わせさくっと作られたこの曲はさくっとイギリスのシングル・チャートで3位まで上昇し、押しも押されぬバンドの代表曲のひとつになったのでした。たぶんJETHRO TULLというバンドを「「Living in the Past」のヒットで知られグラミー賞を受賞した…」みたいに紹介するとむっちゃ嫌がられる。

1972年には同じ『Living in the Past』というタイトルのコンピレーションにステレオ・リミックス版が収録されたが、これは一部演奏の差し替えが行われているのと、元のモノラル音源がボロいスタジオでミックスしたからかだいぶモヤッとした音質だったのに比べて随分くっきりした音になっている。

この2010 Collector's Editionにはオリジナルのモノラル音源(CD1-15)と1972年ステレオ・リミックス音源(CD1-11)が収録。

 

「Driving Song」

「Living in the Past」制作後にB面も必要だよねってことでハリウッドのWestern Recordersで制作された。「Living in the Past」は「オリジナル・リリースのモノラル音源」と「1972年のステレオ・リミックス」なのにB面のこっちはふつうにステレオ音源じゃん!という至極もっともなツッコミどころがあるんだけどここではあえてスルーします。

 

CD1-13「Sweet Dream」とCD1-14「17」はアルバム『Stand Up』とそこからのシングル・カット「Bourée」の後、1969年10月ごろにリリースされたシングルのAB面。ちなみに「Bourée」のB面は「Fat Man」だった。

 

「Sweet Dream」

「Living in the Past」より凝った構成を持ちつつイギリスのシングル・チャートで7位まで上がった快作で、イアン・アンダーソンも手応えがあったのか1981年の『Slipstream』でとりあげられミュージックビデオが作られたりした。

 

「17」

なんかTHE BEATLESだかそのメンバーのソロだかで聴いたことあるようなギターリフをずっと繰り返してるやつ。

2001年盤ボートラには『20 Years of Jethro Tull』の際に編集された3分程度でフェードアウトするバージョンが収録されていたが、こちらはちゃんとフルバージョンになっている。とはいってもヴォーカル・パートが終わった後の同じリフ繰り返しながらずるずる続けてる部分が長いだけだけど。

それにしても「Sweet Dream」はステレオで「17」はモノラルなのはどういうこっちゃ。

 

CD1-16~19は1969年6月16日のJohn Peel Session音源。

 

CD1-20と21は1969年当時Reprise(JETHRO TULLアメリカでのリリース元)が制作した『Stand Up』ラジオCM。いろんなバンドのこういう音源だけ集めたプレイリストを作りたくなる。

 

CD2&DVD

CD2とDVDは名演として知られる1970年11月4日カーネギーホール公演の実況録音

もともと1972年のコンピ『Living in the Past』に「By Kind Permission Of」と「Dharma for One」の2曲が収録され話題を呼び、1993年『25th Anniversary Box Set』でその2曲を省いた残りのトラックがお披露目された。

この2010 Collector's Editionではそれら全曲をMC含むカットされていた部分まで収録し、Peter Mewがステレオとサラウンドでリミックスをおこない音質もずいぶんクッキリした(べつに元もそんな悪くないけど)。

あえて言うなら次のアルバム『Benefit』に伴うツアーからの音源をなんで『Stand Up』と組み合わせたんやと思わないでもないけど、まあ「ある程度売上が見込める大ヒットアルバムの豪華リイシュー」だからこそこうした音源もきちんとしたエンジニアにあらためてマルチトラックからリミックス作業をしてもらう、しかもDVDつけてサラウンドまで、という予算を捻出できたみたいな事情もあったりするんじゃないかなーとか勝手に予想してみたり。

あとは前作『This Was』の2008 Collector's EditionでもPeter Mewがステレオ・リミックスを手掛けていて、この翌年には『Aqualung』のCollector's EditionでSteven Wilsonがリミックスを担当することになるので、この時点でJETHRO TULLの過去のマテリアルをある程度包括的にリミックスしていこうというイアン・アンダーソンか誰かの考えはすでにあって、しかしこの段階では『Stand Up』本編のリミックスは叶わず代わりにこういうことになった、みたいな可能性もあるだろうか。

 

ライブの内容は折り紙付きで、アルバム『Benefit』を経ていよいよ実力を発揮しはじめたマーティン・バーのギターが冴え渡る、初期JETHRO TULLがひとつのピークを迎えた記録となっている。この数ヶ月前のワイト島ライブも歴史的意義のある記録だけど、演奏はこちらのほうが充実してると言っちゃっていいと思う。

おそらく公式にリリースされているタルのライブ音源全体でみても1978年マジソン・スクエア・ガーデン公演と並ぶものなんじゃないかと。むしろこのカーネギーからMSGまでの間の、黄金期なはずのライブ音源が不自然なほどリリースされてないって事情もありますが。

 

 

2016 The Elevated Edition

STAND UP

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2016年にリミックス・シリーズの一環として「The Elevated Edition」と題した2CD+DVDのデジブック仕様でリイシューされた。こちらもポップアップが再現されているのに加えて、ジャケットの元になった木版の写真も掲載されている。上に貼り付けたヘッタクソなポップアップの写真は手持ちのこれを片手に持った状態でスマホで撮りました。

  • CD1:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックのステレオ・リミックス+その他
  • CD2:1969年1月9日Stockholm Konserthusetでのライブ音源+その他
  • DVD:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックのステレオおよびサラウンド・リミックス+その他

Steven Wilsonがリミックスを担当したトラックとフラット・トランスファー音源以外はPeter Mewによるリマスター。

 

CD1

Steven Wilsonによるアルバム本編ステレオ・リミックスは、前回扱った『This Was』と同じオリジナルのレイアウトと元になったマルチトラック・テープに収められている音を最大限尊重した、非常にナチュラルな仕上がり。目新しいことはやってないけど、その必要はないってことだろう。

「A New Day Yesterday」では左右にパンするフルートの軌道がやたらはっきり追える。

 

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CD1-11~13にはAssociated Recordingsとして「Living in the Past」「Driving Song」「Bourée (Morgan Version)」のリミックスが収録されている。

どれも方針はアルバム本編と共通で「Living in the Past」には1972年リミックス版で追加されたオルガンの音も含まれる。

「Bourée」は上記したとおり4月24日Olympic Sound Studiosでのバージョンがアルバムに採用されたが、このMorgan Versionはその前日4月23日Morgan Studiosでのテイク。これに納得が行かず、翌日はMorgan Studiosが確保できなかったことがOlympic Sound Studiosでのレコーディングにつながったのだろう。

アルバム本編での「Bourée」はフルートを2声部使ってバッハぽい雰囲気を盛り上げていたがこちらはソロ。ここにもう1本フルートを重ねれば完成なようにも思えるけど、アルバム版でももたってたベースソロが意欲的だけどイメージに指が追いついてない感じだったりドラムが突っ込み気味な部分があったりと、気になる点が散見されるといえば散見される。そんなん気にしなくたってえーやんとも思うし、Steven Wilsonがこのテイクに魅力を感じたからこそこうして収録されてるのだろうけど。

 

CD1-14と15はOriginal 1969 Stereo Single Mixesとして「Living in the Past」「Driving Song」のオリジナル・ステレオ・ミックスを収録。

2010 Collector's Editionでは「Living in the Past」は1972年ステレオ・リミックスとオリジナルのモノラル・ミックス、「Driving Song」はステレオ・ミックスのみを収録していたが、これはおそらくコンピ『Living in the Past』に収録された際の音源を踏襲しつつオリジナルのモノラル・ミックスもレストアした、ということだったのだと思われる。

そもそもこのシングルが1969年に一般向けリリースされた際はモノラル・ミックスのみだったのだけど、同時にプロモーションやFMラジオ向けにステレオ・ミックスも制作されていた。「Driving Song」はコンピ『Living in the Past』でこの際のミックスが使われたが「Living in the Past」はリミックスされた結果こちらのオリジナル・ステレオ・ミックスはリリースされる機会がなくそのままになっていたのだろう。じつは日本盤EPでいちどリリースされてるけど

ちなみに「Sweet Dream」と「17」は次作『Benefit』のCollector's Editionにお引越ししました。

 

CD1-16~19は2010 Collector's Editionにも収録されたJohn Peel Session音源だけどなぜか曲順が異なる。なんでだろ。

 

CD2

CD2のメインはブートレグで有名だった(らしい)1969年1月9日Stockholm Konserthusetでのライブ音源の公式リリース。

Second ShowのおそらくほとんどとFirst Showの1曲が収録されている。THE JIMI HENDRIX EXPERIENCEの前座としての出演で、楽屋でジミとおしゃべりしたりもしたらしい。

この時点でマーティン・バー加入後の初ライブからまだ1週間ちょいぐらいしか経っておらず、彼があきらかに手探りでおそるおそる自己主張してる感じが伝わってくるのがおもしろいっちゃおもしろい。

音質は録音時期とかを考慮すれば十分良好な部類で、マーティン・バー作曲のその名もズバリ「Martin's Tune」や「To Be Sad Is a Sad Way to Be」というスタジオ・レコーディングされなかった楽曲が含まれ、マーティンとイアン・アンダーソンのフルート合戦とかイアンがMCでマーティンのミドルネーム「ランスロット」をかるくおちょくってる様子とかが聴ける。

あとこのときのライブは一部撮影されていて、その際の映像がDVDのほうに収録されている。

 

CD2-10と11はOriginal 1969 Mono Single Mixesで、「Living in the Past」「Driving Song」のモノラル・ミックスを収録。なにげに「Driving Song」のモノラル・ミックスはこれが初CD化か。

 

CD2ー12と13は2010 Collector's Editionにも収録されたRadio Spots。

 

DVD

DVDの収録内容をあらためてリストアップすると以下の通り。

  • Steven Wilsonによるアルバム本編とAssociated Recordingsのステレオ・リミックス(96/24 LPCM Stereo)
  • Steven Wilsonによるアルバム本編とAssociated Recordingsのサラウンド・リミックス(DTS 96/24 & Dolby Digital AC3)
  • アルバム本編のフラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)
  • シングル「Living in the Past」「Driving Song」ステレオ&モノラル・ミックスのフラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)
  • Film Footage Recorded 9th January 1969 At The Stockholm Konserthuset

 

Steven Wilsonのステレオ・リミックスは無圧縮ハイレゾで収録。なのでぶっちゃけこっちばっかり再生してCDほとんど聴いてません。

 

このセットの本命であるサラウンド・リミックスはあまり派手に前後を使うようなことはしておらず、あくまでステレオのフロント側レイアウトを大事にしつつオリジナルでも左右にパンさせていた音をリアまで回したりするのが中心。

しかし何度も書いているように、こういったサラウンド・リミックスで本当に大切なのは派手な演出とか新体験的なものではなく、マルチトラック・テープに収められた音を2chステレオという窮屈な檻から解放してやることなわけでありまして、もともと動いてない音を動かしたりもともとのってない残響をのせたりする必要はまったくないのです。

そういった観点でいくと、ここでのSteven Wilsonの仕事はまさに必要十分と言うのがふさわしいもので、すべての音がステレオ・リミックス以上に豊かに鳴っていてしかも空間的に余裕がある仕上がり。

あとはまあブルースやジャズの要素が濃いとSteven Wilsonがよくやる対位法的に進行する2つの楽器を前後に振り分けて、みたいなレイアウトができなくて必然的に地味になるって事情もありそう。

 

アルバム本編とシングルのフラット・トランスファー音源は、あくまでマスターテープの音(しかもかなり時間経過した後の)であってこれを元に最終調整されているLPとはまた違った音質のものだけど、現状入手できるオリジナル・ミックスの音源のなかでも最良の部類に入るものなんじゃないだろうか。

さすがにテープ由来のノイズが大きいけど気になるようなものでもないし、高音域の柔らかさや中低音の太さなどかなり魅力的。逆に低音域はけっこう弱い印象。

この音源とPeter Mewによる2001年リマスターを比較するのもまた楽しそう。

 

Film Footage Recorded 9th January 1969 At The Stockholm KonserthusetはCD2のライブの際に残された白黒映像。

「To Be Sad Is a Sad Way to Be」と「Back to the Family」の2曲分あり、このうち前者は1988年の『20 Years of Jethro Tull』VHSに収録されていた。

 

 

デジブックの分厚いブックレットにはこの時期のJETHRO TULLに関する情報が満載でむちゃくちゃ読み応えがあり、ぶっちゃけこの記事で書いたようなことにはだいたい言及されてます。

それだけじゃなく当時のツアー日程や2014年に亡くなったグレン・コーニックの追悼記事、ドッグフードを食べた話やJames Grashowへのインタビューなども掲載されている。

 

 

*1:記事公開後しばらくしてから「トミー・アイオミ」と誤表記してたことに気づいて死ぬほど恥ずかしい

This Was / JETHRO TULL (1968/2008/2018)

 

 

 

1968年10月4日リリース。イギリスのバンドJETHRO TULLの1stアルバム。

なんやかんやで50年という長い歴史を誇りその時代ごとにフォーク色が強くなったりミュージカルやりたそうにしてみたりニューウェーブっぽくなってみたりと変化を重ねてきたグループだが、1stアルバムにはその根底にあるブルースとジャズへの志向が最も素直に現れている。

簡単に言うと「うまいギターとブイブイいわせるフルートによるブルース・ロック(ジャズのフレーバー入り」みたいな感じ。

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson : Flute, Mouth Organ, Claghorn, Pianos and Singing
  • ミック・エイブラハムズ Mick Abrahams : Guitar, Nine String Guitar and Singing
  • クライヴ・バンカー Clive Bunker : Drums, Hooter and Charm Bracelet
  • グレン・コーニック Glenn Cornick : Bass Guitar

 

アルバムは1968年の6月13日から7月28日にかけて、ロンドンのSound Techniquesでテリー・エリスとバンド自身のプロデュースのもの制作されている。エンジニアはおそらく当時Sound TechniquesのハウスエンジニアだったVictor Gammが担当。

後述する50周年盤に関わったSteven Wilsonによると4トラック録音で、オリジナル・リリースのLPにはモノラル盤とステレオ盤がある。

 

次作以降急速にイアン・アンダーソンのワンマン化していくJETHRO TULLであるが今作ではミック・エイブラハムズがイアンと並び立つ存在感を発揮していて、ふたりの音楽的な方向性の違いがストレートに作品に反映され、それが面白さにつながっているように思える。

基本的にブルースの形式に則った楽曲やイアンの演奏スタイルの直接の参照元であるローランド・カークのカバーなどがアルバムの大半を占め、「作曲」や「トラック」よりはバンドの「演奏」を聴かせるタイプの音楽。

後年詩人として名をあげるイアンの歌詞も今作の時点ではブルースでありがちな話題をなぞったようなものが大半で、ミック・ジャガーやレイ・デイヴィスもキャラ確立するまでにそういう時期があったよねみたいな感慨があったりなかったり。

 

ミック・エイブラハムズのギターはリズムとピッキングがしっかりしていて、ソロは音の粒立ちがよくフレージングも達者でかなり聴かせるし、バッキングも走らず遅れずアンサンブルを腰の座ったものにして全体の取りまとめ役になっているように思える。彼がギターヒーローとして脚光を浴びともすればバンドの中心人物とみなされたというのも十分納得がいく

しかしメンバーのなかでもブルースへの傾倒が特に激しかった彼は結局あれこれやりたがるイアンとは相容れずこのあとバンドを離れることになったのでした、みたいな理解でいいのかしら。

ちなみに担当楽器にあるNine String Guitarは12弦ギターの弦が足りなかっただけっぽい。

 

イアン・アンダーソンのフルートはオーバーブロウや声による重音奏法を駆使したワイルドさを売りにしつつ抑えるところはがんばって抑えていて、この楽器をはじめてまだ数ヶ月とは思えない健闘をみせている。カバーも披露しているローランド・カークやジェレミー・スタイグの多大な影響を感じさせる、というかわりとそのまんまな気もするスタイルではあるんだけど、まあ若い時分ってそういうものですよね。

どちらかというと重要なのは組み合わせの妙、つまり、ブルースを基調としつつほどよくジャズのエッセンスが投入されたバンド演奏に、ギターの向こうを張る楽器としてこのフルートが入るというのがポイントなのだと思う。そもそもリスナー側としちゃ模倣とかなんとか言ってみたところでローランド・カークやジェレミー・スタイグがミック・エイブラハムズと対等な関係でブルースロック演ってくれるわけじゃないんだし……

クライヴ・バンカーグレン・コーニックのリズム隊はミック・エイブラハムズのギターと比べると浮足立ったところがあるけど、その分意欲的にあれこれ演っていてこれはこれでこの時代のブルース・ロックの醍醐味みたいな感じもある。

 

 

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A1「My Sunday Feeling」

アルバムの邦題『日曜日の印象』はこの曲から。あとから聴くと「ああこういう系ね」みたいに流しがちだけど、当時はよく整ったブルース・ベースのロックとしてなかなかのインパクトがあったんじゃないだろうか。わかんないけど。

 

A2「Some Day the Sun Won't Shine for You」

ギターの伴奏が魅力的なブルース曲。

 

A3「Beggar's Farm」

これが聴きたくてこのアルバム再生するまである、個人的にお気に入りのジャズのフレーバーをまぶしたクールなブルース・ロック。

 

A4「Move on Alone」

ミック・エイブラハムズの曲で、以降このバンドに欠かせない存在となるデヴィッド・パーマーがはじめてアレンジを手掛けているが、どうもミックに無断での作業だったらしい。

 

A5「Serenade to a Cuckoo」

ローランド・カークのカバー。本人的には不満があったのかもしれないけど、ジャズ色の強い楽曲でのミック・エイブラハムズのバッキングがこのアルバムの重要な魅力になっている面もあると思う。

 

 

B1「Dharma for One」

クライヴ・バンカーのドラムをフューチャーした「Mobby Dick」とか「Rat Salad」とかあれ系のドラムソロ曲みたいなやつ。ライブでも定番になり、ミック・エイブラハムズ脱退後は歌詞が追加されてほとんど別曲と化した。ドラムとならんでソロがフューチャーされてるチャルメラ系管楽器はメンバーの友人ジェフリー・ハモンドが複数の管楽器を組み合わせて作った通称Claghornというものらしい。

 

B2「It's Breaking Me Up」

これもブルース。

 

B3「Cat's Squirrel

イントロからしてどこかで聞き覚えのある、でもなんだったか思い出せないノリの良いブルース・ロック。ジャケ見開きの解説に「どうせみんなこういうの好きでしょ?」みたいな舐めたこと書かれてるけど概ねそのとおりです。

 

B4「A Song for Jeffrey」

アルバムに先駆けてシングルとしてリリースされたトラックで、この時期の代表曲なんだけど個人的にはいまいち面白さがわからない。ヴォーカルにメガホン通して歌ってるみたいなエフェクトがかけられてる。Jeffreyはジェフリー・ハモンドのことらしい。

 

B5「Round」

最後っ屁みたいなインスト。

 

 

全体としてブルースとジャズとロックが大好きなにーちゃんたちがやりたいこと全部ぶち込んだアルバムという感触。
メンバーが老人の格好をしたジャケット写真や過去形のタイトル、それに自分のブルースに対する辛気臭いイメージも相まって以前は「デビュー作らしからぬ老成さ」みたいな印象があったのだけど、今見るとむしろいかにも若者らしい捻くれ方をしているようにも思える。ブルースも当時は流行りの音楽だったわけですし。

ブルースが「多くの若者が夢中になる流行の最先端の音楽」だった時代のことはさっぱりわからないし、これが当時どれほど新鮮なスタイルやサウンドだったのか見当もつかないけど、FREEやLED ZEPPELINより早い段階で完成度の高いブルース・ベースのロックを演っていると思われる。
つまりCREAMと並んで、あるいはCREAM以上にはっきりとこれ以降70年代前半を中心に多く作られた同系統のアルバムの雛形となっていると言えるかどうかはやっぱり自信なくなってきたところです。

当時アメリカでもたいそうウケてWoodstock FestivalではPAシステムからこのアルバムのトラックが流されていたらしい。

 

 

40th Anniversary Collector's Edition

This Was

This Was

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2008年にリリースされた40th Anniversary Collector's EditionはCD2枚組。

  • CD1:モノラル・バージョンのアルバム本編+ボーナストラック
  • CD2:新規ステレオ・リミックス+ボーナストラック

 

今作は最初にステレオとモノラルでリリースされて以降LPにしろCDにしろステレオ音源ばかりリイシューされてきたが、この40周年盤ではじめてモノラル音源がリイシューされた。

 

今作のモノラル音源はとても良くて、個人的にはステレオ音源よりむしろ好ましいです。

ステレオ音源はあの時代なりの楽器やヴォーカルを極端に左右に振りがちなレイアウトで、モノラル音源は各楽器のディテールがぼやける代わりに塊感や迫力があるわけだけど、このアルバムに関してはモノラルでも十分各楽器の動きがつかめるしそれぞれの音域がうまく噛み合ってしっくりくる感じがある。

リマスタリングはPeter Mewにより、変に音圧上げられたりもしていなくて素性の良い仕上がり。むしろオリジナルのモノラルLPはもうちょっと高音域を強調してあの時代のモノラル盤特有のエレキギターやシンバルがビリビリくる感じに調整してあったんじゃないかという気もする。持ってないしタルのオリ盤とか一生縁がないだろうけど。

 

おなじくPeter Mewによるステレオ・リミックスは60年代当時のミキシング由来の音の曇りを取り払ってレイアウトも現代的な配置に整え直したもの。

正直モノラル音源で事足りてしまってあんまり聴く機会ないけど、これはこれで全然悪くない。

 

CD1のボーナストラックはBBC Sessions。1968年7月23日と11月5日のTop Gear出演時の音源で、ラジオ放送向けのお行儀のいい演奏でオーバーダブとかもされているとはいえ貴重なミック・エイブラハムズ時代のライブが聴ける。

 

CD2のボーナストラックはアルバム前後のシングル関連とそのリミックス

「Love Story」と「Christmas Song」はこのアルバムのあとリリースされたシングルのA面とB面で、ミック・エイブラハムズ時代最後のリリース。

「Love Story」はノリが完全にハード・ロックで、デヴィッド・パーマーがアレンジを担当してイアンがほとんどの楽器を演奏してる「Christmas Song」は以降のトラッド・フォーク的なものを先取りした内容。

この2曲はPeter Mewによる新規ステレオ・ミックスとオリジナルのモノラル音源両方が収録されている。

 

「Sunshine Day」は1968年2月16日にMGMレーベルからJETHRO TOE名義でリリースされた、このバンドのデビュー・シングル。

ミック・エイブラハムズの曲で、がんばってポップな曲調とハーモニーを取り入れつつやりたいこともぶち込んでくる、なかなか面白いトラック。

プロデュースはデレク・ローレンスで、JETHRO TULLは前身であるJOHN EVAN BAND時代から彼のもとでレコーディングを試みていた。しかしやっとリリースにこぎつけたこのシングルも売上はさっぱりで、一説によれば間違ったバンド名でリリースされたのもプロデューサーが本来バンドに支払われるべきロイヤリティをちょろまかすためだったとか。

結局バンドはデレク・ローレンスと決別し、マネージャーのクリス・ライトとテリー・エリスはJETHRO TULLを世に出すためにプロダクションを設立しこれが後のChrysalisレーベルの母体となる。

 

「One for John Gee」はアルバムに先駆けて2ndシングルとしてリリースされた「A Song for Jeffrey」のB面。タイトルはつまり「ジェフリーのために1曲、ジョン・ジーにも1曲」みたいなノリだと思われる。

 

 

The 50th Anniversary Edition

 

2018年にはリミックス・シリーズの一環として3CD+DVDの豪華仕様でリイシューされたんだけど持ってない。欲しいです……

このシリーズはSteven Wilsonによるステレオとサラウンドのリミックスを目玉にそれぞれのアルバムに関連した音源を網羅的(だいたい)に収録したもので、今作は

  • CD1:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックの新規ステレオ・リミックス
  • CD2:BBCセッションとシングル音源+α
  • CD3:アルバム本編のオリジナルUKステレオ・ミックス(ディスク・トランスファー)とモノラル・ミックス(新規リマスター)
  • DVD:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックのステレオおよびサラウンド・リミックス。アルバム本編のオリジナルUSステレオ・ミックス。

といたれりつくせり。ブックレットの内容も毎回充実してるからこれも読み応えあるんじゃないだろうか。

 

とりあえず持ってないなりに気になったポイントにいくつか言及しておきます。

まずMGMからのデビュー・シングルの音源だけど、40th Anniversary Collector's EditionにはA面「Sunshine Day」しか収録されていなかったがこちらにはB面「Aeroplane」も収録されている。これはJETHRO TOE名義でリリースされたが実際にはJOHN EVAN BAND時代の1967年に録音されたもの。

 

次にわざわざ2種類収録されているオリジナルのステレオ・ミックスについて。

このアルバムのステレオ盤が最初のUK盤だけ左右反転しているというのはマニアの間では有名な話だったんだけど、ここでわざわざ「UKステレオ・ミックス」と「USステレオ・ミックス」で別に収録しているということは、実際には最初のUK盤とUS盤は左右反転どころか別ミックスであり、以降はUK再発盤でもUSミックスのみ使われてUKミックスは長らく忘れ去られていた、ということなんじゃないだろうか。

 

Steven Wilsonによるアルバム本編のサラウンド・リミックスは4.1ch。なぜ5.1chじゃないのかというと、そもそもアルバムが4トラック録音で出来ることは限られているから制約を課して作業に臨んでみた、というわかるようなわからんような理由らしい。

それに対して「Love Story」「A Christmas Song」のシングルAB面はもとが8トラック録音だから5.1chで作業してあるようだ。

あと一部のDVDにサラウンド・リミックスの各チャンネルの割り振りが間違ってるエラーがあるらしいのだけど、普通に聴けてるひともいるっぽいし詳しいことはよくわからないので買う人はお気をつけください。

 

 

記事の頭に貼ったのと同じやつ

CD1は単品でもリリースされているほか、サブスクでも配信されているのでそちらでも聴ける。

 

Steven Wilsonによるステレオ・リミックスを聴いてみた感じ、レイアウトはPeter Mewの40周年リミックスと違ってなるべくオリジナルのステレオ・ミックスを尊重した感じ。

またマルチトラックの各トラックをなるべくフラット・トランスファーのまま扱っているらしく、ベースやバスドラの低音が当たり前みたいにするっと下まで出てくるのに加えて高音域も自然で生々しい。

しかし同時にオリジナルのステレオとモノラルのミックスに共通して存在した微妙な歪みが綺麗サッパリ取り払われて、やたらスッキリしたサウンドに仕上がっているので、たぶん無茶苦茶好き嫌いが分かれるんじゃないだろうか。

 

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このあたりPeter Mewはけっこう気を使ってバランスとってたんだなぁというのと、Steven Wilsonの思い切りの良さと、聴き比べるとアプローチの違いがよくわかってすごく面白い。

個人的にはそもそも最初からどれかひとつに絞って聴くつもりが毛頭ないんだけど、それはそれとしてこのアルバムに関してはどうせモノラルがベストでステレオはお遊びみたいなもんだから気分によってとっかえひっかえできればそれでよし、みたいな何様だこいつって態度だったりします。

 

追加トラックで特筆すべきは「Move on Alone (Flute Version)」で、これはおそらくデヴィッド・パーマーによるアレンジが加えられる前段階の、ミック・エイブラハムズ本人が意図したバージョンなんじゃないかと思う。

「Ultimate Confusion」は、なんでしょうこれ。

 

 

シューベルトの交響曲まとめ

 

フランツ・シューベルト(1797年1月31日 - 1828年11月19日)の交響曲には完成されたもの7つといくつものスケッチや断片があって、その大半はベートーヴェン交響曲第8番を作曲してから第9番を作曲するまでの約10年間に作られている。

 

むかしの楽曲解説とかだとなんか「ベートーヴェン交響曲の多大な影響のもと習作の域を出ない交響曲を6つ作り、最後に並びうるレベルのものを1つないし2つ作った」風な書かれ方が多かった(主観)けど、自分で聴いてみた感じベートーヴェンの少なくとも交響曲の影響はあくまで限定的で、どちらかといえばハイドンモーツァルト交響曲を模範としている印象が強かった。ベートーヴェンだと交響曲よりはむしろ初期の弦楽四重奏曲やピアノ・ソナタあたりの影響が強そう。

初期交響曲6つに関してもいかにも習作っぽいのは第1番くらいで、どれもシューベルト特有の旋律の良さだけのものではなく、しっかりした構成とときにそこから逸脱してもみせる知的な面白さやセンスの良さが備わっていて、そもそもの方向性からしベートーヴェンと比べてああだこうだ言うのはナンセンスという気もする。

まあ正直そういう自分自身19世紀初頭のヨーロッパで本来メインストリームだったはずの作曲家たちの作品を知らなすぎて、青年シューベルトのものがそれらと比べてどんな具合だったのか、またベートーヴェンがそこからどの程度「浮いた」存在だったのか想像がつかないのであんまりあれこれ言えないのですが。

 

 

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File:Schubertiade 1997c back (detail).jpg - Wikimedia Commons

 

 

 

作品

1811年に当時14歳のシューベルトが試作した交響曲の断片で、30小節程度の序奏と第1主題を含むスケッチらしい。ピアノかなにかでさらっと弾いてみせてる動画でもないかなーと思ったけど見つかりませんでした。

 

1813年。シューベルト16歳の作品で、ベートーヴェン交響曲第7番と同時期にあたる。

モーツァルトハイドンの影響を素直に反映した作風。ウィーン古典派の交響曲らしいしっかりした構造がすでに十分備わっていて、演奏にもよるけど第1楽章序奏から吹き上げるようなフルートが目立ち、弦と管のあいだに微妙な音のぶつかり合いがあったり、再現部に序奏まで含まれたりといった創意工夫がある。

トランペットやファゴットにはけっこう過酷らしい。

 

1814年から15年頃。このひと2番でいきなり傑作をものにしてません?

弦が細いフレーズを執拗に繰り返してニュアンスの変化を積み重ねながら全体を駆動していくシューベルト交響曲の特徴がここでいきなり完成の域に達していて、構成は後期交響曲よりかっちりとまとまりがあり、それでいて茶目っ気がある。個人的お気に入り。 

 

第1楽章はいかにもモーツァルト交響曲第39番のパロディな堂々とした序奏からはじまって軽快な弦の主題に入るのだけど、この弦の主題が楽章を通してひたすら展開され続ける。もう提示部のあいだからずっと展開しまくりでなんなら展開部より展開してるし、提示部にコデッタがついててしかも提示部の最初とおなじような入り方するもんだから自分が今どこにいるのか一瞬混乱するし、むかしの楽曲解説とかで「習作の粋を出ない」みたいに書かれてるのを真に受けて消化試合のつもりで聴きはじめるといきなり沼に引きずり込まれることに。

第2楽章は主題となるメロディが魅力的な変奏曲。

第3楽章のメヌエットシューマンにも通じる重厚さがあったりなかったり。

第4楽章も第1楽章とおなじように提示部から主題を展開しまくった末にコデッタがつく。軽快な主題がたんたか展開していってけっこうな熱量に。 展開部は短いけどここにしか出てこない美味しい音形がある。

 

1815年。どの楽章の主題にも愛嬌があって第2番ほどには展開もしつこくない、楽しげな感じの曲。第2楽章が3部形式のアレグレットで緩徐楽章がないのは当時ベートーヴェンの「新作」だった交響曲第7番や第8番と共通。
全体的に木管がフューチャーされてるのだけど、このあたりシューベルトは当日この木管を誰が演奏する予定なのかわかっているうえで、そいつの顔を思い浮かべながら書いてるんだろうなって感じがある。シューベルト交響曲は彼の生前どのように演奏されたかあるいはされなかったか不明な点が多くてこれも俺の妄想だけど。

第2楽章の主題がかわいくて好き。

第4楽章は盛り上がりつつちょっと陰りがあってモテそう。

 

1816年。シューベルトが完成させた唯一の短調による交響曲で、『悲劇的』という副題も本人によるもの(形容詞副題をつけるのが流行ってたらしい)。

ハイドンの宗教的楽曲やベートーヴェン弦楽四重奏曲の影響下にあるように思わせる作風ながらユーモアも忘れていない。

第1楽章では展開部に入ったと思ったらちょろっとやってすぐ提示部冒頭の第1主題そのまんまに戻ってしまい「えっ今ので展開部終わり?」と思わせてからあらためて第1主題の展開に取り掛かる。

第4楽章は憂いのある第1主題も弦と木管の掛け合いがユーモラスでそこからじわじわと陰っていく第2主題も秀逸。提示部の終結が妙に大げさな分コーダでもその構成がそのまま使われていて、楽曲の最後に鳴らされる音は第1楽章最初の音と共通。

実際のところはわからないけどシューベルトの場合、短調交響曲といっても宗教的なニュアンスは薄くあくまで表現上の理由でこの調性になったという感じがする。のちの交響曲ではトロンボーンベートーヴェン以上に遠慮なく使いまくるし。

 

1816年。後期の2曲以外では昔からわりと演奏や録音される機会が多い曲。

クラリネットやトランペットそれにティンパニを含まない小規模な編成で、楽曲自体これまでよりお行儀のいいこぢんまりとしたものになっている印象。

第4番までは展開に対するアイデアを形式という枠組みのなかにこれでもかと詰め込む傾向があったけど、ここではだいたいの要素がすんなりと心地よく流れていく。

肩の力を抜いた結果なのか、あるいはむしろこれ以前がわりと身内向けなうえでより外面を意識した結果だったりするのか。

 

1817年から1818年頃。第5番より調子が戻ってきたような、あるいはむしろ根本的な「枠のとり方」みたいなとこから変わったような感じの曲。

第4番までのかっちりした楽曲構造のなかにあれもこれも詰め込んでちょっとお兄さん枠が歪んでますよみたいなのと、第5番のこれなら余裕あるけど中身がちょっと寂しくない?みたいなの両方を踏まえたうえで、じゃあある程度中身を詰め込んでも余裕あるように枠の区切り方変えてみるか、みたいなアプローチの変化がある。

 

第1楽章は序奏にいろんな音楽的要素が含まれていておどろく。以降は至極まっとうなソナタ形式のやつで、第4番までってあんがい若気の至りだったのだろうかとか思っちゃうと足をすくわれかねない。コーダで急に盛り上がるのはロッシーニのパロディ?

第2楽章はABABとかそういう感じの形式(わかんないのかよ)で、Aでひっそり演ってると思ったらBでドカンとティンパニが鳴り響くびっくり系緩徐楽章。

第3楽章はシューベルト初のスケルツォ。いうて今までのもぜんぜん素直なメヌエットではなかったが。第2楽章にしろこの楽章にしろ、これまでより率直にベートーヴェン交響曲からの影響を表出させているように感じる。特にティンパニの使い方とか。

第4楽章は掟破りのソナタ形式展開部抜き(そんな大げさな)。交響曲だとベートーヴェンの緩徐楽章に展開部抜きってのがいくつかあったけど、最終楽章でこういう構成なのがわりとびっくり。

シューベルトの以前の交響曲でちょくちょくあった「提示部で主題を展開しまくって展開部は短め」という構造に対する「ならいっそ展開部いらなくね?」という一種のブレイクスルーにも思えるが、楽曲自体は可愛らしい主題4つがそれぞれ展開しつつバトンを受け渡していく、演奏にもよるけどわりとすんなりした聴き応えのもの。

この展開部のないソナタ形式はたぶんロッシーニのオペラ序曲の構成から影響を受けたもので、シューベルトは今作より以前に2つの「イタリア風序曲」でもおなじ展開部抜きソナタ形式をやっている。

シューベルトと5歳違いのロッシーニはちょうどオペラをがんがん発表してヒットを飛ばしまくってる頃で、直近の2年間の作品には『泥棒かささぎ』や『セビリアの理髪師』も含まれる。

そういえばシューベルトロッシーニやイタリアの音楽からの影響について言及されるときたまにサリエリ先生もイタリア人だしみたいなことが書かれるけど、サリエリってたしかに出身はヴェネツィア共和国ながら音楽的にはグルックのオペラ改革を引き継ぐ立場でロッシーニのスタイルには否定的なんじゃなかったっけ。それはそれとして実際会ったら速攻仲良くなったらしいが。

 

1818年頃に4ページ分ほど残された交響曲の断片のピアノによるスケッチ。イギリスの音楽学者ブライアン・ニューボールドがオーケストレーションを施した断章を聴くことができる。

第1楽章は序奏つきでゆうゆうとした感じに進み、提示部の終わりでそのままスパッと途切れる。

アレグレット楽章(第2楽章か第4楽章に相当したと思われる)はロマン派に踏み込んでる感じもある第1主題後半のメロディが素晴らしいんだけどそれ以降はなんかぱっとしない。

 

1820年から21年頃に11ページ分ほど残された交響曲の断片のピアノによるスケッチ。これもブライアン・ニューボールドがオーケストレーションを施した断章を聴くことができる。

断片は4楽章分あって、第3楽章はほぼスケッチが完成している状態。

その第3楽章は第6番のいかにもベートーヴェンっぽい力押し系スケルツォから脱却を試みている様子がうかがえる。

他の3楽章はどれもだいたい提示部が出来上がってるような途中から迷走してるような具合。

 

1821年頃。旧全集における第7番。総譜へのスケッチは完成しているものの、オーケストレーションは第1楽章の途中までしか行われていない状態。総譜へのスケッチといってもピアノ・スケッチを経ずいきなり総譜に書き出しただけで、一本の旋律しか書かれてない部分も多いらしい。

自筆譜の最後にはでかでかと「Fine」の文字が書かれており、「うお〜っ」と一気呵成に書き上げて「よっしゃ交響曲完成っ!!!」まで行ったらそこで途切れちゃった感に溢れていて味わい深い。

オーケストレーションまで完成した部分にはこのあと書かれた「未完成」や「グレイト」に先駆けてトロンボーンが導入されており、想定される編成がシューベルト交響曲ではたぶん最大規模。

 

このスケッチをもとにオーケストラで演奏可能な状態に補完する試みは何度か行われていて、最初のバージョンはイギリスの作曲家ジョン・フランシス・バーネットが1881年に制作、1883年にロンドンの水晶宮で初演されたもの。これは次のワインガルトナー版より「シューベルトらしい」ものだったそうだけど、水晶宮の火事で楽譜が失われ現存しない。またこの版をもとに4手ピアノ版が制作されたものの、こちらも現存しないとか。

高名な指揮者で作曲家のフェリックス・ワインガルトナーが1934年に制作したバージョンは、1934年当時の「現代のオーケストラによる交響曲演奏」として過不足ないものにするために積極的に手を加えている印象。その結果シューベルト交響曲にしては響きが立派だったり、一部の展開がまるっと違ってたり。なかなか趣向の凝らされたオーケストレーションで聴き応えもあり、これはこれでいいものだと思う。ただまあどちらかというと「ライネッケの弟子で19世紀後半から20世紀前半に活躍した音楽家であるワインガルトナーの編曲作品」という性質が強いものではある。ワインガルトナーはシューベルト没後100年を記念して作曲した自身の交響曲第6番に「未完成」第3楽章のスケッチを下敷きにした楽章を挿入してたりも。

本命のブライアン・ニューボールドは1982年にこの交響曲の補完版を制作していて、こちらは可能な限り余計な色付けを避け残されたスケッチに忠実であるよう心がけたものになっている。もちろんシューベルト本人だからこそできる「シューベルトらしさからの逸脱」は望むべくもなく、ワインガルトナー版ほど聴き応えのあるオーケストレーションでもない。しかし限られた素材と既存の「シューベルトらしさ」の組み合わせでできるだけ素材の味そのままを活かしていて、これはこれで十分楽しめるものに仕上がっている。これからこの交響曲を聴いてみようってひとは録音の選択肢的にもこれ一択になると思います。

 

以下はニューボールド版を聴いた印象。

じっくりとはじまる第1楽章の序奏からして秀逸で、転調による音風景の変化がとても効果的。序奏終盤のふと音が途切れるとこがまたいい。第1主題はこれまで似たような傾向のヴァイオリンによる軽快なもので、どうも第1楽章から展開部のないソナタ形式っぽい。

第2楽章はなんとも優美な緩徐楽章で、たぶんABAB+コーダみたいな感じ。2つの主題はいわゆる「第1主題と第2主題の関連性が高い」系のやつになっていて曖昧さが醸し出されている。これシューマンへの影響が大きかったりしないだろうか。

第3楽章はスケルツォ楽章で、弦の合奏でガシッと主題を提示したあとおなじものを木管でやるとコロッとかわいくなる。毎度ながらスケルツォとトリオそれぞれに単体でソナタ形式の構造と提示部リピートそして展開部以降リピートがある(ということをすっかり忘れててしばらく「なんか終わったと思ったらまたごちゃごちゃ演りだしたな……」てなってた)。

第4楽章は軽快ながらたおやかさもあるヴァイオリンによる第1主題が良い。第2主題はこの第4楽章第1主題と第1楽章第1主題の動機を取り合わせたような感じ。全体的に部分から部分への橋渡しでの盛り上げ方がちょっとくどいけど、いつものことと言えばいつものことか。

提示部以降の構造が聴いた感じちょっと特殊で「展開部を第1主題中心に行ったうえで再現部の第1主題を省略してる」のか「自分が展開部だと思ってたのはだいぶごちゃごちゃ展開してるけどあくまで再現部の第1主題部分で、展開部自体は省略されてる」のか自分にはわからない。どちらにしてもシューマンの先駆的な構造なんじゃないかとは思うんですが。基礎的な知識もなんもなしにただ漫然と聴いてたやつが「曲の構造も気にしながら聴くと楽しかったりするのでは?」と急に思い立つからこういうことになるんですな。

 

全体的に主題の良さと転調の絶妙さからくる優美な雰囲気が印象的な楽曲になっていて、これまで以上に楽章間をつらぬく共通の動機や主題と主題の関連性が意識されているように感じる。第三者による補完という限られた素材をやりくりして仕上げなきゃならない作業の性質上そう感じやすくなってる側面もあるかもしれないけど、それを言ったらそもそも古典派におけるソナタ形式とかって「最初に提示した素材をいかにやりくりして立派な作品に仕立て上げるか」ってゲームみたいな面があるわけで。

あと「未完成」や「グレイト」ほどではないけど演奏時間が第6番までより長めで、作曲者の体型のごとくじわじわと作品の規模が拡大傾向にあることがうかがえる。展開部が省略されるのは展開部を用意するまでもなく提示部や再現部で展開しまくってるから、みたいな。

 

1822年。いわゆる「未完成」。シューベルトのどの完成済み交響曲より演奏や録音される機会が多いやつ。そういえば映画の『未完成交響楽』って観たことないんだけど、あれおなじような邦題でモノクロ時代と総天然色になってからの違う映画があるんだっけ。

オーケストレーションまで完了した演奏可能な状態の第1楽章と第2楽章、そして第3楽章のほぼ完成状態のピアノ譜と数十小節分のオーケストレーション済み総譜が残っている。つまりANGRAの1stの「Unfinished Allegro」はいやその楽章は完成してるじゃんとなるわけです。

 

完成品の2楽章はやたら深刻めいた第1楽章ともうどうにでもな~れの境地に至った第2楽章からなる。

第6番からいきなり今作に飛ぶと4年でシューベルトに一体なにがってなる作品だけど、ここまでの未完成3作を踏まえてみるとわりと納得感はある。しかし以前のように詰め込み気味に全体をまとめる構成からはかけ離れていて、ボソッとジョークを挟んだりするある種の余裕みたいな雰囲気も感じられない。

 

第1楽章はシンプルな低弦の序奏とそれに続く第1主題という有名な数十秒だけでこれまでとは違う空気をまとっていることがわかる。なんだろうメロディの感覚がそれまでの古典派的なものからもう一歩ロマン派的なものに踏み出していて、その結果現代人にとってより馴染みやすいものになった、みたいな面もあるんじゃないだろうか。

やさしげな第2主題がふと途切れて急激に荒れるD729序奏の応用編みたいなものも強烈。

そして展開部の、序奏とおなじ低弦からはじまりジリジリと切迫感を強めていきティンパニがやけに淡々と打ち込まれいよいよ…という、古典派の幾何学的な構築物としての展開部から離れたやたら劇的な展開。

ソナタ形式。こいつがアレグロじゃなくてアレグロモデラートで次の楽章がアンダンテじゃなくアンダンテ・コン・モートだからか、両者の速度設定をどのようにするか指揮者によってわりとまちまち。つまりANGRAの1stの「Unfinished Allegro」はいやアレグロじゃなくてアレグロモデラートじゃんとなるわけです。

第2楽章はABAB+コーダあるいはソナタ形式展開部抜き。

2つの主題はぼんやり虚空を眺めるようなほのあったかい第1主題と、もうどうしようもないことはわかってる物事に憂いたすえに呻きながらじたばたするような第2主題という、秀逸な旋律が多いシューベルトの緩徐楽章のなかでも特筆すべきもの。

コーダでそれまで第2主題への導入として出てきたヴァイオリンの音形から木管だけの第1主題に引き継がれ転調しつつ2回繰り返すとこはもうお手上げ。

 

doi.org

 

 

この交響曲は有名作だけに古今東西(おもに大西洋の西側東側)多くの人物によって補筆が試みられてきた。

1928年にはアメリカのColumbia Recordsがシューベルト没後100年を記念して「未完成補筆コンクール」みたいなものを催していて、入賞したフランク・メリックによる第3楽章と第4楽章の録音が残ってたりもする。このメリックによるもの含め、シューベルトが残した第3楽章のスケッチはとくに参照していない補筆作品も多い。

なおこのコンクール自体は途中で条件が二転三転して結局「未完成の補筆」はナシとなり、優勝にはクット・アッテルベリの交響曲第6番が選ばれた。アッテルベリは賞金としてまとまった額を獲得し、第6番は「ドル交響曲」とも呼ばれるようになったとかなんとか。

 

ここではとりあえずブライアン・ニューボールドとおなじく音楽学者のジェラルド・エイブラハムによるものを扱います。

これは「そもそもこの交響曲は一旦完成してグラーツ楽友協会に提出されたが、その後で『キプロスの女王ロザムンデ』の音楽を短期間ででっち上げる必要ができたため急遽使えそうな第3楽章と第4楽章の楽譜を返してもらい、結果散逸した」という説に基づいて、第3楽章を残されたスケッチから補筆し第4楽章に調性が一致し形式的にも交響曲の最終楽章にふさわしい『ロザムンデ』間奏曲第1番を当てはめたものとなっている。

キプロスの女王ロザムンデ』はヘルミーナ・フォン・シェジーによる戯曲で、彼女が台本を手掛け1823年10月25日にウィーンで上演されたカール・マリア・フォン・ウェーバーによる歌劇『オイリアンテ』の失敗を受けて、汚名返上を狙って1823年12月20日に初演された。

ということはつまり台本だの作曲だの振り付けだのリハーサルだの全部含めて2ヶ月未満という、ロッシーニドニゼッティがオペラを何日で仕上げたみたいな逸話で感覚が狂いがちだけどふつうに考えてヤバい状況だったわけで、シューベルトは劇付随音楽を完成させるとともに序曲をほかの歌劇から流用して急場をしのいだが、その完成させた劇付随音楽のほうにもなにかしら既存のマテリアルからの流用が含まれていたとしたら?と言われるとたしかに説得力ある気がしてくる。

加えてシューベルトのほかの未完成交響曲のスケッチの状態からすると全楽章のスケッチを終えてからオーケストレーションに取り掛かるのが彼の基本的なやり方で、第3楽章のスケッチが途中の状況で第1楽章と第2楽章をオーケストレーションまで完成させていたというもの違和感があるといえば違和感がある。もちろん「なんとなく気が向いて第1楽章と第2楽章を完成させたけどそこで嫌気が差した」みたいな可能性も十分あるわけですが。

ちなみに『キプロスの女王ロザムンデ』自体は見事にコケたらしい。

 

第3楽章はスケルツォとトリオの主題の関連性が特徴っぽい。

第4楽章は前述の通り『ロザムンデ』間奏曲第1番。ソナタ形式で提示部に4つの主題があり、展開部は新しい主題が登場しつつ第1主題を中心に行われ、再現部では散々展開された第1主題は省略され第2主題からはじまる構成になっている。はず。

この最終楽章としての間奏曲第1番の構成は、第6番の「主題が4つあって展開部は省略」、D729の「展開部を第1主題中心に行ったうえで再現部の第1主題を省略」という2つの次に来るものとしてわりと説得力があるようにも思えるんだけどどうなんでしょう。

最初に補筆版を聴いたときはさすがに第2楽章から第3楽章にはいると違和感があったし最終楽章はなんか取り留めがない印象しかなかったけど、あらためて第6番やそれ以降の未完成作品の流れでこの補筆版を聴いてみると「いや実際完成してたらあんがいこんなバランスだったんじゃね?」と思えてきたりもする。慣れたことで麻痺してるだけかもしれんが。

あとはじめは取り留めがない印象だった間奏曲第1番がけっこう面白くて、いつのまにか展開部で新しい主題が出てきたりコーダの最後の最後で取ってつけたように明るくなるのをわくわくしながら聴き進める感じになってたというのもあるかも。

 

www.hmv.co.jp

スイスの指揮者マリオ・ヴェンツァーゴは2016年にニューボールド=エイブラハム版に基づきつつ独自解釈を加えたあらたな補筆版を制作し自らの指揮で録音を行っている。

基本的にはニューボールド=エイブラハム版の内容に『ロザムンデ』バレエ音楽第1番(間奏曲第1番と共通の主題が使われてる)の要素を反映させた作りになっているけど、あきらかにヴェンツァーゴ自身の音楽家としてのひらめきを優先したような箇所もあってなかなかおもしろい。

第3楽章はニューボールド=エイブラハム版と共通の内容に加えて、トリオとして『ロザムンデ』バレエ音楽第1番後半のアンダンテ部分の主題も用いられていてる。つまりトリオが2つあって、あいだにスケルツォを挟まずスケルツォ-トリオ1-トリオ2-スケルツォという構成。他とくらべてぶっちゃけ音楽的に弱かったこの楽章に彩りを加えてる感じ。

第4楽章は間奏曲第1番が基本だけどオーケストレーション含めいろいろ違ってる。

初っ端からなんて説明すりゃいいのかよくわかんないんだけど、最初の序奏から提示部第1主題とその展開がバレエ音楽第1番とおなじで、それが一段落するとリピートしてあらためて序奏から再スタート、こんどは間奏曲第1番とおなじ展開で第2主題に繋がる構成になっている。

間奏曲第1番では再現部の第1主題が省略されていたけど、こちらは展開部の最後で一旦区切って再現部はしっかり序奏と第1主題からはじめる。

そして待ち受けるコーダにはこの版最大の特徴といっても過言ではない、おもむろに再登場する第1楽章序奏。…まあもうこれに関してはヴェンツァーゴさんがやりたかったのなら仕方ない、あれこれ言うのも野暮って感じ。

この版は第1楽章と第2楽章が「モデラートとはいえあくまでアレグロ」「コン・モートとはいってもあくまでアンダンテ」という急-緩の構成を強調した演奏で、第3楽章と第4楽章に『ロザムンデ』の美味しいとこを盛り込んでるのもあって素材の味そのままなニューボールド=エイブラハム版より聴き応えがあり、コーダのアレを差っ引いても嫌な人は嫌だろうけどこれはこれでなかなか良いものだと思います。

このヴェンツァーゴ版は彼のオフィシャルサイトでスコアが公開されてるらしいんだけど、現状サイトを開こうとするとなんかセキュリティの警告がでるので確認してない(どうせ五線譜ほとんど読めんのですが)。

 

1825年から1826年頃。「グレイト」の愛称で知られる、シューベルトが最後に完成させた交響曲。グレートとはいってもせいぜいおなじハ長調の第6番より規模がでかいよ程度のニュアンスらしい。

厳つい愛称と図体のデカさで誤解されがちだが本人はいたって快活、でもD729やD759しだいで7番になったり「シューベルトの第九」になったり8番になったりする振り回され気質で苦労人な一面もある。かわいいね

第7番D759があくまで未完成品であることを考慮すると前作第6番から今作の完成までに8年ほどかかってるのだけど、第6番の次に来る交響曲として見てもあんがい納得感があり、むしろD729からD759にかけてがちょっと別路線模索してましたみたいな雰囲気にも。

 

とにかくすべての楽章に歌心に溢れたすばらしい旋律の主題があり、全体が躍動感をもったリズムによって駆動していく楽しい作品。

旋律の良さとそれを最大限活用した転調や和声進行によるニュアンスの変化をリズムにのって積み重ねていく展開が中心となり、良質な主題をその晴れやかさだけでなく陰りや憂いそしてその移ろいまであの手この手で堪能することができる。

各楽章の構成的にはオーソドックスな古典派交響曲のものに回帰していて、回帰してるのに演奏時間はシューベルト交響曲のなかでも文句なしに最長の60分前後(リピート含む)。

わりと構成が近いベートーヴェン交響曲第4番で34分程度という枠組みで、そのベートーヴェン交響曲第9番(テンポ指示に従って演奏した場合)とおなじくらいの時間をかけているわけだけど、シューベルトの以前の交響曲のように「提示部に展開詰め込んで展開部はあっさり」みたいなアンバランスさはなく、どの楽章も各部のバランスがしっかり取れていて全体のフォルムはむしろ整っている。

ようするにすべての楽章のすべての部分が長いので「遠目にみるとスタイルが整ってるが近くでみると身体のすべてのパーツがデカイ俳優さんとかモデルさん」みたいということになる。

 

第1楽章はソナタ形式。序奏から提示部へ確実に熱量を高めつつ移行する様がお見事。ここは比較的最近の演奏だとあくまでリズムを維持しながら自然に移行することが重視される感じだけど、むかしの演奏だとおもいっきりリズムを崩してたっぷり歌わせたりする。

第2楽章。ABAB+コーダあるいは展開部抜きのソナタ形式。A部分あるいは第1主題には3つの旋律があって、なんとなく聴いてるとこの3つがひたすら繰り返されている気分になってくるのだが実際かなり繰り返されている。いやむっちゃ良い旋律だし楽章自体すばらしいものではあるんですけどね。

第3楽章はスケルツォ楽章。スケルツォとトリオそれぞれにソナタ形式の構造があり、提示部リピートと展開部以降リピートの両方が指示されている。最初のスケルツォ部分だけで第6番のスケルツォ楽章全体より長い。旅先で夕飯をご厄介になりたらふく食ったと思ったら揚げ物が出てきたときみたいな感じ。

第4楽章はソナタ形式。運動会かな?って勢いのノリノリでパンパカやるやつ、のようでいてなんかどうにも雲行きが怪しくてでもそれが表出するわけでも解消されるわけでもなく、最後まで内に負のエネルギーを抱えたまま終わってしまうような感じが無きにしもあらず。ベートーヴェンの一試合完全燃焼っぷりとはあきらかに異なる燻り方で、そういうところがだんだん癖になってくる。

たまに第3楽章のリピートは展開部以降のまでやってるのに第4楽章の提示部リピートは省略してる演奏があるのはなにか理由があるんだろうか。

 

第10番と呼ばれることもあるシューベルトがおそらく最後に着手した交響曲のピアノ・スケッチで、1828年11月19日の間際まで作業が行われていたと思われる。1970年代になって発見されたらしい。

スケッチは3楽章分あり、とくに第2楽章にあたるものはほぼ完成状態。

これもブライアン・ニューボールドによる補筆作品を聴けるが、彼の説では第2楽章と第3楽章のスケッチは完成済み、第1楽章は再現部が欠落しているがそもそもシューベルトのスケッチで再現が省略されているのはよくあることらしい。

正直英語の解説を読んでもいまいちピンとこなかったんだけど、ようするにほかの未完成交響曲のスケッチ以上に書きかけのとっ散らかった状態っぽい。またそれ故にほかの補筆作品以上にニューボールド自身の解釈が反映されていたり、逆にそれを避けた結果極端に音数が少なくなっていたりするのだと思われる場面がちょくちょくある。

 

第1楽章はソナタ形式。序奏なしで第1主題がはじまるが、いままでより田舎っぽいドイツ風な気がする。第2主題はより歌謡的(て言えばいいのだろうか)だけど、第2主題が出てきたあともわりと取り留めなくいろんな旋律と展開が顔を出す。第1主題と第2主題の橋渡し部分、展開部、コーダの前半がアンダンテになっている。

第2楽章はソナタ形式で、たぶん4つの主題がある。展開部がやたら音数少なくて弦だけみたいな状態になるのはなるべくスケッチに沿ったからだろうか。『冬の旅』にも通じる、静謐でいて内に抑え込んでいるものを感じさせる楽章で、単独でとりあげられるだけのことはある優れた音楽になっている。

第3楽章はなんだろう。いやほんとなんだこれ。途中まではあきらかにスケルツォ楽章で、せいぜいトリオが2つあるのかな?くらいな感じなのだけど、スケルツォ部分が戻ってきて以降なんか別のものがはじまってフガットとか挟みつつ大団円を迎えてしまう。

交響曲の標準的な第3楽章と第4楽章を結合して1つの楽章で済ませてしまう試みなのか、なんかスケルツォ楽章書いてたつもりが筆が滑っちゃったのか。シューベルトが残した最後の交響曲の最後の楽章がよりによってこれというのがおもしろすぎる。

 

 

録音

自分が聴いた交響曲全集をいくつかリストアップしてみる。ここでは「全集」だけ扱って個別の録音についてはまた別の機会を設けることにします(今までこのブログやってきてそういう別の機会とやらを設けたことありましたか……?)。

これはシューベルトに限った話じゃないけど、個人的な評価スタンスとして表面的な演奏効果を重視し、演奏上の表現と録音やミキシング工程での演出はこれを区別しない、あたりを心がけてます。つまりそれらしく文字を並べていても実際にはなんもわからん、ということです。

あと例の「アクセントかディミヌエンドか問題」に関しても今のところ演奏ごとの表現の違いの範疇くらいにしか意識してない(できてない)です。

 

  • ハンス・ツェンダー指揮南西ドイツ放送交響楽団(1999~2003, Hänssler)
Complete Symphonies

Complete Symphonies

  • アーティスト:F. Schubert
  • 発売日: 2004/08/01
  • メディア: CD
 

一聴して地味だけど聴けば聴くほどよくなる。魅力的なメロディはしっかり浮かび上がらせつつその奥にがっしりした構築感があって細部まで描写が行き届いた解像度の高い演奏。一家に一箱。

最初にバラ売りでリリースされたときはウェーベルンの楽曲との組み合わせになっていて両者の作品が対比されるようになっていた。

あとツェンダーは『冬の旅』の管弦楽編曲なども手掛けている。

 

Complete Symphonies

Complete Symphonies

  • 発売日: 2012/11/13
  • メディア: CD
 

残響が深いので多少緩和されているが、全体的にシューベルトの細いフレーズをひたすら繰り返すやつをハキハキというよりガシガシやっていく、トルクの大きい駆動力のある演奏。ティンパニがゴツいうえに沈み込むのもいい。このティンパニに慣れると他の演奏のが物足りなくなりがち。

 

  • アントネッロ・マナコルダ指揮カンマーアカデミー・ポツダム(2011~2015, Sony
SINFONIEN 1-8

SINFONIEN 1-8

  • アーティスト:SCHUBERT, F.
  • 発売日: 2015/11/13
  • メディア: CD
 

ともするとインマゼールより性急で攻撃的な一方で「未完成」第1楽章は往年のなんちゃら的なやつ以上にぐっと速度を落として演奏してみせたりもする、表現の振り幅が大きい意欲的かつ刺激的な全集。第10番のアンダンテ楽章も収録している。

マナコルダとカンマーアカデミー・ポツダムメンデルスゾーン交響曲全集も完成させていて、そちらもよかった。

 

モダン・オーケストラによる比較的ゆったり気味な演奏だけど、情感ずぶずぶ系ではなくむしろ楽曲に対して一歩引いて全体のバランスを見据えたうえで中庸なスタイルを貫いている感じで、そういった点でアバドやツェンダーの盤に通じている。「未完成」第3楽章のオーケストレーション済み部分を断章として収録。

ノットとこのオケはベリオの『レンダリング』などシューベルト関連の現代作品も交響曲全集と一連の企画として録音していてそっちもおすすめ。交響曲全集とそちらの録音をひとまとめにした豪華ボックスもリリースされてる。

 

Schubert: the 10 Symphonies

Schubert: the 10 Symphonies

 

もうすっかりおなじみブライアン・ニューボールド監修のもと、彼が手掛けた4つの未完成交響曲の補筆作品も含めて『The 10 Symphonies』と銘打たれた全集。文中でとりあげたニューボールド補筆版みたいなのは全部ここに収録されてます。

演奏はすっきりさっぱりでこれだけだとちょっと味気ないけど、あれこれ聴き比べるときの箸休めにちょうどいい、味濃いめの酒の肴にもう一品あるとうれしい浅漬けみたいなもの。

便利だしいろいろ聴いてみたいひとにはマスト。

 

ABBADO SYMPHONY EDITION

ABBADO SYMPHONY EDITION

  • アーティスト:SCHUBERT, F.
  • 発売日: 2015/07/03
  • メディア: CD
 

シューベルトの自筆譜を積極的に参照しリピートも厳密に守った当時としては画期的な全集で、印刷譜と異なる珍しい音形が聴けたりする。

むかし廉価盤CDで「未完成」と「グレイト」を聴いたときは正直軽くてヌルくて長いみたいな印象だったんだけど、あらためて聴くとピリオド楽器での演奏解釈をモダン・オーケストラに持ち込む今では一般的になったスタイルの先駆け的なことをやってるし、そもそも今の感覚では十分どっしり構えた演奏に思える。

アバドは『ロザムンデ』劇付随音楽の全曲録音も行っていて資料的にも大変ありがたいし演奏内容も面白かったのに加えて、晩年のモーツァルト管弦楽団との「グレイト」もすばらしかった。

 

Schubert: 8 Symphonies

Schubert: 8 Symphonies

  • 発売日: 2001/10/09
  • メディア: CD
 

いわゆる昔ながらの名演である「未完成」や「グレイト」はもちろん初期交響曲も十分立派な演奏で、こんなしっかりした全集が70年代初頭には完成していたにもかかわらずどこぞの出版社の名曲解説辞典とかは第6番までの交響曲を「習作の粋を出ない」とか「ベートーヴェンとくらべて云々」とか書いてたのかよってなる。

ベームバイエルン放送響と第2番のライブ録音も残していて、そちらもいい。

これより古い交響曲全集ってペーター・マークのとヴォルフガング・サヴァリッシュのくらいだろうか(どっちも録音開始はこのベームの「グレイト」よりあと)。

 

 

ところでこの記事ってむかしのホームページの「シューベルト交響曲のページ」とかならともかくブログだったら交響曲ごとに分割しとかないと読みづらくてしょうがないやつですよね。もう書いちゃったから投稿しちゃうけど