音楽
人里に紛れて日銭を稼ぎつつ「いらないレコードとかあったら引き取りますぜ〜ヘッヘッヘッ」みたいなこと言ってたらほんとにいただけたのがこちら。 置き場所を用意するのたいへんだった 『世界クラシック音楽大系(The Great Collestion of Classical Music…
scnsvr.hatenablog.com これは2021年とおなじようにApple Musicで1年をふりかえろうとしたんだけど筆が(タイピングが)進まなかった記事の残骸です。 トップソング トップアーティスト トップアルバム あとがき トップソング そもそも再生回数の多かったト…
「TenLem」は『レミングス』のBGMのひとつ。 『レミングス』はもともとAmiga用に開発されたパズルゲームで多くのパソコンやゲーム機に移植されたので、BGMもそれにあわせてやたらバリエーションがある。 オリジナルのBGMはブライアン・ジョンストンとティム…
1966年1月17日リリースの2ndアルバムにして、実質的な再結成第一弾。 フォーク・デュオとしてのシンプルな編成とその範疇で可能な音楽に徹していた1stアルバムに対し、状況の変化もあって「フォーク・ロック時代のポップス」として大きく変化した内容になっ…
1964年10月19日リリース。アメリカのフォーク・デュオSIMON & GARFUNKELのデビュー・アルバム。 ポール・サイモンとアート・ガーファンクルはおなじニューヨーク市クイーンズ育ちの同級生。 ハイスクール時代から学業の合間を縫って音楽活動を行い、1957年に…
1971年5月12日リリース。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターがマイルス・デイヴィスのもとを離れ構想を練っていた新グループにミロスラフ・ヴィトウスが合流する形で結成されたジャズバンド、WEATHER REPORTのデビュー・アルバム。 オーストリア出身…
1972年6月9日リリース。HAWKWINDの2ndにしてバンドを代表する大ヒット・シングル。 バーニー・バブルスのデザインによるピクチャー・スリーブも存在してるけど手持ちの盤はカンパニー・スリーブすらない状態で転がされてたのを拾ってきた感じ。 www.youtube.…
1975年3月7日リリース、HAWKWINDのイギリスでたぶん5枚目くらいのシングル。 当時*1日本でもリリースされ、邦題は「スピード狂のロックンロール」だった。おそらくシングルの国内盤が出たのはこれが最後だったんじゃないだろうか。 scnsvr.hatenablog.com こ…
1972年にリリースされたJETHRO TULLのLPレコード2枚組コンピレーション・アルバム*1。 『Aqualung』(1971)と『Thick as a Brick』(1972)の大ヒットを受けて企画された、新規リスナーと熱心なファン両方へリーチする「ヒット・シングルのコンパイル」「Ca…
Apple Musicが毎年恒例「今年あなたがよく聴いたトラック、アーティスト、アルバムTOP10」みたいなやつをしきりにピックアップしてくるので、12月なんも書いてないしリハビリがてらそれをネタにひと記事でっち上げるかみたいなやつです。 考えてみるとそもそ…
1974年10月リリース、この記事に時間かかってるあいだに18年ぶりの新作リリースが発表されたJETHRO TULLの7枚目のアルバム。 各曲の要素の面では前作に詰め込まれていたものを引き継ぎつつ1曲につき3分から5分で各サイド5曲入りという標準的なフォーマットに…
1973年7月13日リリース。JETHRO TULLの6枚目のアルバム。 前作とおなじくアルバム1枚を通して1曲というスタイルで、前作ほど手厚くリスナーを導いてくれる構成ではないものの、より目まぐるしくより有機的な変化に富んだ楽曲展開とそれを裏付けるハードでテ…
1970年4月リリース、JETHRO TULLの3rdアルバム。 作曲と音作りがこれまでになく洗練され、ハード・ロック的な力強いギターリフやピアノも交えたこれまでより繊細なフォーク調のアンサンブルが登場するとともに、それらをバラバラに並べるのではなくひとつひ…
1972年3月リリース、JETHRO TULLの5枚目のアルバム。 各種シングル曲のフォーク調で親しみやすいメロディ、『Benefit』の叙情性や凝ったアレンジ、『Aqualung』の聴かせどころを絞った明快さ、そしてジェフリー・ハモンドと、これまでに培ってきたものをひと…
1971年3月19日リリース、JETHRO TULLの4thアルバム。 音楽的には前作を引き継ぎつつ、ひとつひとつの楽曲に投入する要素を絞ってより明快に仕上げた傑作。「Aqualung」「Locomotive Breath」といったハード・ロックの名曲、フォークタッチの魅力的な小曲たち…
1969年7月25日リリース。イギリスのバンドJETHRO TULLの2ndアルバム。 JETHRO TULLのアルバムではじめてイアン・アンダーソンが全曲の作詞作曲を手掛け、前作の延長線上にあるブルース調のヘヴィ・ロックからフォーク色の強いトラックにクラシックの翻案など…
1968年10月4日リリース。イギリスのバンドJETHRO TULLの1stアルバム。 なんやかんやで50年という長い歴史を誇りその時代ごとにフォーク色が強くなったりミュージカルやりたそうにしてみたりニューウェーブっぽくなってみたりと変化を重ねてきたグループだが…
フランツ・シューベルト(1797年1月31日 - 1828年11月19日)の交響曲には完成されたもの7つといくつものスケッチや断片があって、その大半はベートーヴェンが交響曲第8番を作曲してから第9番を作曲するまでの約10年間に作られている。 むかしの楽曲解説とか…
英米では1965年7月、国内盤は少し遅れて同年10月のリリース。THE BEATLESのライバルとして名高いTHE DAVE CLARK FIVEのヒットシングル。 東芝音楽工業Odeon、OR-1318。高崎一郎の解説では後述するバンド主演の映画の宣伝とともにデイヴ・クラークが『勝利者…
1984年にJettisoundz VideoからリリースされたHAWKWINDのライブビデオで、同1984年3月イプスウィッチのGaumont Theatreでのステージの模様を収録している。再生時間は55分程度。 おそらくHAWKWINDのライブ映像のなかで最もはやく販売されたもので、翌1985年…
1975年5月にリリースされたHAWKWINDの5thアルバム。 UKアルバム・チャートで13位を記録し、最高傑作に挙げるファンも多い彼らの代表作のひとつ。当時国内盤もリリースされ、邦題は『絶体絶命』だった。 デイヴ・ブロック Dave Brock:Guitar, Synthesiser, B…
1963年5月17日リリース。ブライアン・ウィルソンに少なからぬ影響を与えたポップ・デュオ、JAN & DEANの全米No.1シングル。 有名な話だがこの楽曲にはそのブライアン・ウィルソンが関わっている。 あるときブライアンが「Surfin' U.S.A.」をピアノで披露して…
2005年から翌年にかけてリリースされたイギリスのハードロック・バンドRAINBOWのライブ映像。 1977年10月20日ミュンヘンのOlympiahalleでの公演をおそらくフル収録しており、もともとはドイツのテレビ番組Rockpalast用に撮影され長らくブートレグの定番だっ…
QUEENはおそらくTHE BEATLESと並んで世界的に有名なイギリスのグループで、1970年にロンドンで結成された。ハードロックを基調としつつ時代に合わせ様々な音楽的要素を取り入れていったグループだが、この1stアルバムの時点での音楽性はハード化したグラムロ…
1982年10月リリース。 イギリスのアイルズベリーで結成されたバンド、MARILLIONのデビュー作。バンド名は当初トールキンの『シルマリルの物語 The Silmarillion』からとってSILMARILLIONだったが後に短くMARILLIONとあらためたそう。 7インチと12インチでリ…
フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ(1809年2月3日 - 1847年11月4日(38歳没))の弦楽交響曲は、彼が12歳から14歳にかけて手掛けた一連の管楽器を伴わない弦楽合奏のための交響曲で、断章的なものを含め13作ある。習作的な性格が強くメンデルス…
イタリアの Cramps Records が1974年に立ち上げた前衛音楽シリーズ、nova musicha の第一弾リリース。 このシリーズはフルクサスにも参加した芸術家ジャンニ・エミリオ・シモネッティ Gianni-Emilio Simonetti が監修を手掛けており、その第一弾がフルクサス…
3月頃発売だったはずがいつの間にか延期になってたブツが最近やっと入手できたので、とりあえずファーストインプレッション的なものを……と思ってたんだけど、Amazonの「海外のトップレビュー」に表示されてるJohn Fowlerってかたのレビューに必要なことも気…
GRYPHONは木管、ギター、鍵盤等を駆使するいわゆるマルチ奏者のリチャード・ハーヴェイと木管奏者でヴォーカリストのブライアン・ガランドが王立音楽大学を卒業後にはじめた古楽アンサンブルに、ギタリストのグレアム・テイラーと打楽器奏者のデイヴ・オベー…
ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮ウィーン交響楽団によるフランツ・ヨーゼフ・ハイドンの交響曲、94番ト長調「驚愕」Hob.I:94と100番ト長調「軍隊」Hob.I:100。 両曲とも1961年のおそらく4月頃に、一連のセッションで録音されたものと思われる。 サヴァリ…