A Passion Play / JETHRO TULL (1973/2014)

 

A Passion Play

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1973年7月13日リリース。JETHRO TULLの6枚目のアルバム。

前作とおなじくアルバム1枚を通して1曲というスタイルで、前作ほど手厚くリスナーを導いてくれる構成ではないものの、より目まぐるしくより有機的な変化に富んだ楽曲展開とそれを裏付けるハードでテクニカルな演奏による非常に聴き応えのある作品。

あきらかにJETHRO TULLのひとつの到達点であり、最高傑作とすら言えるんじゃないだろうか。

 

Château d'Isaster
  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Vocals, Acoustic Guitars, Flute, Soprano And Sopranino Saxophones
  • マーティン・バー Martin Barre:Electric Guitars
  • ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ, Synthesizers, Speech
  • ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Vocals
  • バリモア・バーロウ Barriemore Barlow:Drums, Timpani, Glockenspiel, Marimba

なにげにアルバムを2枚続けておなじメンバーでレコーディングしたの初めてでは?

 

JETHRO TULLはアルバム1枚1曲のコンセプト・アルバム『Thick as a Brick』が商業的に成功したのをうけ次なる策として「レコード2枚組に曲を詰め込んだコンセプト・アルバム」を計画、1972年9月*1に税金対策を兼ねてフランスのエルヴィル城 Château d'Hérouville でレコーディングにとりかかった。エンジニアはRobin Black。

エルヴィル城は18世紀に築かれた城館の一部を宿泊可能な音楽スタジオとして整え1969年に開業した施設で、エルトン・ジョンが『Honky Château』から『Goodbye Yellow Brick Road』までの3作をここでレコーディングしたことで有名になった。『Honky Château』の“Château”はまさにこのエルヴィル城のこと。

エルトン・ジョン以外にもマーク・ボランデヴィッド・ボウイ、RAINBOWなどが訪れたエルヴィル城だが、JETHRO TULLとそのスタッフはここで壊れた機材、不潔な寝具とトコジラミそして食中毒を引き起こす食事に迎えられた。

バンドは日ごと削られていく気力と体力のなか全部で4面ある2枚組レコードのうち3面にあたる内容まで制作したものの結局ロンドンに撤退。一旦それまでに制作したすべてのマテリアルを放棄しMorgan Studiosでレコーディングを仕切り直すこととなったのでありましたとさ。

 

この際に放棄されたセッションはChâteau d'Isaster Tapesとして1988年の『20 Years of Jethro Tull』や1993年の『Nightcap: The Unreleased Masters 1973–1991』といったコンピでとりあげられ、2014年に後述する本作リイシューにてあらたにリミックスのうえ現存する全てのマテリアルが収録された。

 

A Passion Play

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本作『A Passion Play』は劇仕立てのコンセプト・アルバムで、テーマはおそらく「死と再生」。

表ジャケットにはステージに横たわる流血したバレリーナのモノクロ写真、裏ジャケにそれから数ヶ月後そこには元気にアラベスクを決める彼女の姿がなカラー写真があしらわれ、オリジナルのLPではゲートフォールドの見開きにリンウェル劇場の公演プログラム(を模したブックレット)がはさまれていた。

 

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写真はすべて手持ちの紙ジャケ国内盤CD

このリンウェル劇場なる架空の地方劇場における『A Passion Play』公演プログラムはようするに前作『Thick as a Brick』の新聞とおなじノリの創作物で、架空の役を演じる架空の役者とそのプロフィールが掲載され、各俳優の顔写真はメンバーが仮装したものになっている。一部の俳優は『Thick as a Brick』の新聞にも名前が出ていたり。

あと劇団スタッフとかのクレジットはそのままアルバム制作に関わった方々やChrysalisレーベルのスタッフのものになっていると思われる。

 

「The Passion Play」といえばジーザスなクライストの受難劇だが、このプログラムに目を通すことでどうやらこの劇がキリストの死と復活になぞらえてロニー・ピルグリムなる若者が死に3日後に復活を果たすまでの旅路を描いているということがわかる、ようなつもりでいたんだけど今回記事にするにあたってあらためて確認したらそこまではっきりわかるような書かれ方はしていませんでした。でもまあだいたいそういう感じのストーリーです。

 

「The Passion PlayじゃなくてA Passion Playなんでイエスじゃなくてそこらのあんちゃんの話です」ってノリは『Arthur (Or the Decline and Fall of the British Empire)』ってタイトルで「キング・アーサーじゃなくてアーサーって名前のどこにでもいるようなおっさんの話です」ってやったどこぞのバンドを思い出す*2

 

今作『A Passion Play』は劇仕立てというだけあって全4幕で、第2幕と第3幕のあいだに休憩もとい幕間劇がはさまる構成になっている。

しかし幕と幕は明確に区切られているわけじゃなく、自然に移行していってしまうので普通に聴いてるとあまり意識しないと思う。

ちなみにレコードでは幕間劇の途中でA面がおわりB面にひっくり返すようになっていたが、CDだと初期のものは全1トラック、リマスター盤で幕間劇冒頭で区切られた2トラック、リミックス盤はもっと細かくトラック分けされているのでレコードと同じ箇所でトラックが区切られているものは無いんじゃないだろうか。ちょっとELP「Karn Evil 9」を思い出す。

 

イアン・アンダーソンの今作での歌唱は「役者としての演技」を意識しているからか、普段の「イアン・アンダーソンというキャラクター」らしいしゃがれっぽい声とは違った豊かな声量によるなめらかで品のあるバリトンボイスとなっていて、これはこれで魅力的。

今作ではフルート以上にソプラノとソプラニーノのサックスを多用しており、複雑なアンサンブルをバックにばりばりソロをとる場面はかなりジャズ・ロックに接近した音楽になっている。

 

ジョン・エヴァンのオルガンは今作のアンサンブルの重要な位置を占めていて、ダークでヘヴィという今作のイメージはこのオルガンによるところが大きいと思われる。

逆にマーティン・バーのエレクトリック・ギターは一部のギターリフが強調される場面以外では相対的に引っ込み気味。

またJETHRO TULLは今作とその前のセッションからレコーディングにシンセサイザーを導入していて、リード楽器のひとつとして違和感なく溶け込ませているのに加えて「Forest Dance」パートではメルヘンチックな空間の広がりを効果的に演出している。『デュープリズム』のフィールドBGMってちょっとこれっぽい気が。

タルは1972年のツアーからライブでEMS VCS3を導入していた(そして制御に苦労していた)が、「Forest Dance」で使用してるのは同社のSynthi AKSらしい。

 

Music & Lyrics

前作『Thick as a Brick』のオープニングがカラッと明るいフォーク調で楽曲が展開していってもある程度その乾いた感じが保たれたのに比べて、今作『A Passion Play』は短調のしっとりと薄暗い感じが全体を覆っている。ジャケットの色合いからくる印象とか、前作が高音域寄りでドライな音質だったのに比べて今作の中低音域が充実していることも影響してると思う。

 

劇仕立てなだけあって歌い出しはもっともらしく上品だが、楽曲が激しさを増していくにつれて歌詞の方も猥雑やナンセンス、道徳や宗教に対する皮肉や揶揄が矢継ぎ早に飛び出してくるように。それでもどこか品があるように思えるのはイアン・アンダーソンの歌唱によるところが大きいだろうか。

 

前作はいくつかの特徴的なメロディやフレーズが展開を明確に区切っていく構成になっていたので覚えやすくとっつきやすかったが、今作では象徴的なメロディやフレーズこそあるものの展開と展開、部分と部分の繋がりがより有機的かつ連続的で目まぐるしく変化していく

前作までは「テクニカルな演奏と捻った展開をそのまま繰り返す」みたいな部分が目に(耳に)ついたが、今作では展開を繰り返した際のアレンジの変化が楽曲をより複雑な印象にしている面があるんじゃないかと。

アルバムを通して何度か登場するメロディも前作のように「はいこのメロディを覚えておいてね〜」みたいな感じにわかりやすく提示されるものはわずかで、展開の中にごく自然に紛れ込んでいたり。

 

メンバーたちも認めるとっつきにくいアルバムではあるが、それは逆説的に制作者側が「やりすぎた」という程に中身の詰まった作品ということなわけで、むしろこれこそがJETHRO TULLのひとつの到達点であるとまで言ってしまっても過言ではないと思います。

とはいえ全米1位をとったのは内容が評価されたというより人気が高まってなに出しても売れるターンに入ってたからとしか思えないけど。

 

 

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以下のトラック名やタイムスタンプはApple Musicで配信されてる同アルバムのAn Extended Performance版に準拠。

 

  • Act I Ronnie Pilgrim's Funeral: a winter's morning in the cemetery

「Lifebeats / Prelude」

奇しくも今作の数ヶ月前にリリースされたPINK FLOYD『The Dark Side of the Moon』とおなじ心音ではじまり、前奏の最後で主人公の死を表すかのようにそれが途切れる。

 

「The Silver Cord / Re-Assuring Tune」

いかにも演劇っぽい主人公の独白風な歌唱で開幕。

There was a rush along the Fulham Road. a)There was a hush in the Passion Play b)Into the Ever-Passion Play”という前奏で予告された象徴的なラインが登場し、第1幕はこのメロディの変奏が基本になる。

The Silver Cordとは臨死体験をしたひとの話によく出てくる「自分と自分の体を繋ぐ糸」のことだと思われる。

 

  • Act II The Memory Bank: a small but comfortable theatre with a cinema screen - the next morning

「Memory Bank / Best Friends」

第1幕からの流れでするっとはじまるのでここで次の幕に移ったとは気づきにくい。

第2幕はおそらく主人公が生前の行いを元に裁かれるまでの一連の場面なんだけど、イアン・アンダーソンが宗教ネタ扱うときの常としてやたら俗っぽいことに。

曲調が目まぐるしく変わっていく個人的聴きどころのひとつで、最後チャチャンって感じにひと区切りっぽく終わる。

 

「Critique Oblique」

前曲のチャチャンから食い気味にはじまるA面のクライマックスとなるヘヴィなトラックで、『A Passion Play』ツアー以降のライブでも演奏された。

いよいよ主人公の裁きがはじまるのはいいとして、なんか彼は関与してないであろう妹の初体験の話とかされたりする。

歌詞は主人公を裁く側の一人称で、いわゆる「裁きの場」がその対称となる人物の生前の行いをスクリーン上映して暴き立て観客の方々に楽しんでいただくという趣向の凝らされた場として描かれている。プライバシーポリシーが現代社会とは違うからね、仕方ないね。

劇中の人物の人生を劇になぞらえることによってジェフリー・ハモンドが演じるMax Quadが演じるRonnie Pilgrim(ただし声はイアン・アンダーソン)が演じる……といい具合に入り組んできた感じ。

最後に“There was a rush along the Fulham Road. a)There was a hush in the Passion Play”のくだりが再現してA面の流れに区切りがつく。

 

ちなみに“How does it feel to be in the play? / How does it feel to play the play? / How does it feel to be the play?”のくだりはジャケットに掲載されてる歌詞には載ってません。

 

「Forest Dance #1」

第2幕の最後だけど、むしろ幕間劇への導入となるインストパート。

 

  • The Story of the Hare Who Lost His Spectacles

ビアトリクス・ポターの『ピーター・ラビット』やケネス・グレアムの『たのしい川べ』を思い起こす、フクロウさんやイモリさんといった擬人化された畜生どもがわちゃわちゃするナンセンスもの幕間劇。

冒頭のタイトルコールはジョン・エヴァン、朗読はジェフリー・ハモンドにより、デヴィッド・パーマーがアレンジを手掛けている。ライブでの上映用に映像も制作された。

ジェフリーの朗読はランカシャー訛りで、いろいろな言葉遊びが散りばめられいてる。彼の朗読に合わせた劇伴がまた見事なんだけど、王立音楽アカデミーでリチャード・ロドニー・ベネット*3に作曲を学んだデヴィッド・パーマーにはこういう仕事はお手の物なのだろう。

 

  • Act III The business office of G. Oddie and Son - two days later

「Forest Dance #2」

第3幕の導入というより幕間劇の後奏。

2つの「Forest Dance」はベースのリズムが冒頭の心音と共通というけっこう重要そうなポイントがあるんだけど、どんな意味があるのかはさっぱりわからん。

 

「The Foot of Our Stairs」

G. Oddieってもしかして神様・・・ってコト!?

第3幕は神のビジネス・オフィスという天国に通じる階段(つまり煉獄か)で2日間を過ごした主人公がその有り様に満足せず、むしろ階段の下=地獄に落ちることを希望する場面。

音楽的にはここから「Flight from Lucifer」までひと繋がりで展開していき、どんどん移り変わっていく曲調がたのしい。

 

「Overseer Overture」

なんか急に主人公がノリノリで喋りだしたと思ったら地獄にやってきた主人公にルシファーが一席ぶってる場面なのかも。

ここから「Flight from Lucifer」は特に音楽的なハイライトだと思う。

 

  • Act IV Magus Perdé's drawing room at midnight

「Flight from Lucifer」

前曲を受けて「あっダメだわこいつ」となった主人公。

最初「地獄に落ちた主人公がそこに満足せずふたたび現実の世界で生きることを選ぶ」みたいな感じかと思ってたけど、べつに地獄堕ちはしてなくて「階段の下まで行ってルシファーさんのお話を伺ってみたけど思ってたのと違うから引き返しました」くらいの話かもしれない。

 

Time for awaking / the tea lady's / making a brew-up and / baking new bread”のくだり、主人公が行動に移ることを示すとともに、イギリスの「have a bun in the oven」という女性の妊娠をあらわすスラングを念頭に置くとなんとなく意味合いが浮かび上がってくる感じ。

Breadといえば聖体パンでキリストの復活になぞらえてあるっぽいのだけど、主人公が現実世界で死んで埋葬されたとしたらむしろ生まれ変わりとか輪廻転生的なほうが近いのでは?

 

「10:08 to Paddington / Magus Perdé / Epilogue」

前曲からクロスフェードで移行する「10:08 to Paddington」はアコギのインストで、急に「Magus Perdé」のギターリフが入ってきて何回聴いてもビクってなる。

10時8分発パディントン行きに飛び乗って一息ついた主人公を叩き起こすような感じで、Drawing Roomは応接間というより列車の特別客室を指すのかも。

 

「Magus Perdé」は物語のクライマックスであり、天国と地獄の両方をめぐった主人公がいよいよそのどちらでもなく人生を、つまりふたたび受難劇の役者となることを決断する場面なわけだけど、正直ストーリー的にはどうなってんのかよくわからない。そもそもMagus Perdéって誰……?

歌詞のなかで実際に天国や地獄といったものを扱うことで、これまでよりも率直に宗教的な価値観からの脱却とある種の人間讃歌を歌っているようにも思える。「Life Is a Long Song」にちらっと言及されるのもその一環だろうか。

 

音楽的には独特なギターリフが特徴なフルートやタンバリンが祝祭的雰囲気を盛り上げる楽曲。

一旦アコギに転じて切迫感を強める展開を挟んで3:40あたりでギターリフが再登場、しかし他の楽器に遮られるのを3回繰り返し、ぐっとテンポを落として再スタートするとこが好き。

 

最後はなんやかんやで主人公が復活を宣言、あるいは自らの人生を肯定して演奏は収束。

「Epilogue」で“There was a rush along the Fulham Road.  b)Into the Ever-Passion Play”のくだりが再現し劇の終わりを告げる。

そこから第2幕の最後とおなじ「Forest Dance」へ移行する展開に入りかけるも音楽は急転直下、フェードアウトで幕となる。

 

最後の最後、フェードアウトの最中に聞こえるジェフリー・ハモンドの叫び声は「Steve! Caroline!」と言っているらしいが、具体的になにを指しているのかは不明。

SteveはChâteau d'Hérouville Sessionsでレコーディングされ次作『WarChild』に収録された「Only Solitaire」の最後の一節“But you’re wrong, Steve. You see, it’s only solitaire”のSteveと同一人物だと思われ、どうも評論家やラジオ局への揶揄っぽい。

 

ところでこのアルバムの主人公であるロニー・ピルグリム、そもそも物語冒頭で本当に死んだのだろうか?

やむっちゃCemeteryって書かれてるんだけど、どうも「主人公が臨死体験のなかで天国と地獄の両方を見て回り、最終的に現実世界で生きることを選択して息を吹き返した」みたいに解釈したほうが話がすんなり通る気がするのですが。

その場合アルバムの最後で、主人公の心臓の鼓動をあらわすであろう低音のリズムが再現したとたん音楽が急転直下となるのも「Steve! Caroline!」の声も、どちらも主人公を看取ろうと集まった人々の驚きやひとを呼びにやる声としてするっと飲み込めるし(人名のチョイスはともかくとして)。

 

 

さてさて、今作のストーリー構築で手応えを掴んだイアン・アンダーソンは次なる試みとして映画製作に乗り出すのであったが……?

 

 

2014 An Extended Performance

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2014年にリリースされた2CD+2DVDのデジブックで、Steven Wilsonによるアルバム本編とChâteau d'Hérouville Sessions全編のリミックスを収録。

 

  • CD1:アルバム本編のSWステレオ・リミックス
  • CD2:Château d'Hérouville SessionsのSWステレオ・リミックス
  • DVD1:アルバム本編のSWステレオおよびサラウンド・リミックス+アルバム本編のフラット・トランスファー+当時のライブで使用された映像集
  • DVD2:Château d'Hérouville SessionsのSWステレオおよびサラウンド・リミックス

もうフラット・トランスファー以外ぜんぶSteven Wilson。

 

JETHRO TULLのバックカタログは2008年の『This Was』以降Collector's Editionシリーズとして順番にリイシューされてきたが、『Aqualung』でSteven Wilsonを起用してアルバム本編のステレオおよびサラウンド・リミックスを制作して以降『Thick as a Brick』『Benefit』とそれが定番化する。

そしてこの『A Passion Play:An Extended Performance』でいよいよ「Steven Wilsonによるステレオおよびサラウンド・リミックス」「Martin Webbによるメンバーを中心に当時の関係者の証言を大量に含む詳細なブックレット」「デジブックのパッケージ」というフォーマットが固まった。

それに伴い「Collector's Edition」という単語がはずされて、今作の「An Extended Performance」や『Stand Up』の「The Elevated Edition」など、それぞれのアルバムに合わせた表現が使われるようになった。

つまり厳密にはこのリリースがファンの間でリミックス・シリーズとか呼ばれる一連のリリースの最初の1つということになるのです。

 

Stereo & Surround Remix

先に触れておくべきこととして、Steven Wilsonの手掛けた今作のリミックスは一連のリミックス・シリーズのなかでも比較的オリジナル・ミックスからの変更点が目立つ仕上がりになっている。まあ目立つと言ってもなんか変わるほどの違いじゃないんだけど。

Steven Wilson本人がブックレット内の記事で経緯に触れているのでここではさらっと流すが、ようするに今作にネガティブな印象を持っていたイアン・アンダーソンが大胆に手を加えてしまう提案をしてきたので、それをなんとか説得して最終的にほとんど弄らずに納得してもらえたよ的な話っぽい。

個人的には削除されたといういくつかのサックスのフレーズより「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」内のオリジナルだとA面が終わる部分で鳴るシンセの音と、「Flight from Lucifer」の歌詞で言うと“baking new bread”直後にメンバーの誰かがあげる声の2箇所が消されているのが「あれ?」ってなる。

さらに「The Foot of Our Stairs」には今回のリミックスで追加されたパートがあり50秒程度長くなった。オリジナルでは何かしらの理由でカットされていた部分がテープの変換作業の際に発見され、検討の結果本来あった場所に戻すことにしたらしい。

このカットされていた部分はがっつり歌パートなので、オリジナルでは繰り返しが多くなりすぎるみたいな判断があったのかも知れない。ブックレットに掲載されている歌詞はしっかりこの部分も文字に起こしてくれています。

 

といったところであらためてSteven Wilsonの手掛けたステレオ・リミックスは、マスター・テープより前段階のマルチトラック・テープに記録された音の鮮明さをそのまま活かしつつ、オリジナルのレイアウトやリバーブ等の処理を執拗なまでに分析し忠実に再現してある。

ただ『Thick as a Brick』やそれ以前のアルバムのリミックスはオリジナルで減衰していた高音域やカットされていた低音域が蘇ったりあるいはミックス段階で生じた歪みが取り除かれたりといった大きな変化があったが、今作に関してはむしろオリジナルのバランスの良さとサウンドの豊かさを再認識するという面があるかもしれない。

今作はオリジナルにしろリミックスにしろ、JETHRO TULLのアルバムのなかでも2インチテープ16トラック・レコーダーの、24トラックと比べて1トラックのテープ幅に余裕がある分たっぷりした太い音が録れるという、1970年代前半にレコーディングされたアルバムならではのサウンドの魅力が特に表れていると思う。ほとんど同じ条件だったはずの『Thick as a Brick』がダメなわけじゃないんだけどなんかそういう感じじゃないのはなんなんだろう。

 

サラウンド・リミックスはとても良いです。

これ以前の作品と比べてあきらかにアンサンブルの密度が上がった今作にはリア側に積極的に音を振ったレイアウトが非常に効果的で、シンプルに楽しいしステレオでは得られない没入感がこのとっつきにくいアルバムを聴き込む上での大きな助けにもなる。

とはいえ基本的にはステレオ・リミックスの発展形としてアンサンブルのバランスが変わるような組み換えやオリジナルにない新たなギミックの追加は避けるという方針自体に変わりはない。

 

Flat Transfer

前述したようオリジナル・ミックスの太くなめらかなサウンドがおそらく下手なLPやCDより良好な状態で楽しめる素敵な音源。

サイドごとに再生をはじめるときと終わるときのノイズまでそのまま入るのが好感持てる。

 

Château d'Hérouville Sessions

Château d'Hérouville Sessionsは前述の通り1972年9月に『A Passion Play』本編のレコーディングに先駆けて取り組まれ、最終的に放棄された音源たち。

これまでに『20 Years of Jethro Tull』や『Nightcap: The Unreleased Masters 1973–1991』でここからの音源がとりあげられてきたが、その際にイアン・アンダーソンはあらたにフルートをオーバーダブするとともにミキシングもより「現代的」なものに仕上げていた。

イアン・アンダーソンとしては未完成な状態の他人に晒すことを意図していない音源がそのままの形で世に出てしまうことに抵抗があったそうだが、このリリースではSteven Wilsonの説得もあってオーバーダブは取り払われ、ミキシングも『A Passion Play』リミックスと同等の、当時マルチトラック・テープに記録された音をそのまま伝えるものに模様替えされた。

Steven Wilsonも最終的に首を縦に振ってくれたイアン・アンダーソンもありがとう。ライブ音源のヴォーカルを何十年も経ってから差し替えるどこぞのミックなジャガーとかピーターなガブリエルは見習っていただきたい。GENESIS関係は言いはじめたらそれだけじゃ済まないが。

 

今回のリリースではトラック名や曲順が現存する3つのリールテープ(それぞれがレコードの1つの面に相当すると考えられる)とその箱に書かれた情報に可能な限り沿っていて、これまで未発表だった2つのトラックを含め完全収録された。

 

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このセッションで制作されたトラックに含まれる楽曲や音形のいくつかは『A Passion Play』の原型となったほか、「Skating Away On the Thin Ice of the New Day」「Only Solitaire」の2つはデヴィッド・パーマーによる編曲が施され次作『WarChild』に収録された。

「Law of the Bungle」も次作の「Bungle in the Jungle」の原型だけど、これはあくまでアイディア元くらいな感じでほとんど別物。

またSide 3の一部はテープを切り取られ『A Passion Play』内の「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」に流用されたため現存しないらしい。

 

ひとつの作品群として通して聴いた感じこれはこれで『A Passion Play』に通じる意欲的な展開や逆に『A Passion Play』とは違った耳を惹く瞬間があったり、『WarChild』に拾われた2曲がやっぱりむちゃくちゃ良かったりとかはするのだけど、全体としては間延びする部分が多いというのが正直なところ。

特に『A Passion Play』では煮詰められた結果目まぐるしい展開として魅力を発揮することになる数々の要素が、後からオーバーダブを加える予定だったにしてもここでは根本的にずるずるっと持続し過ぎてしまうような印象。

仮にアルバム全曲のベーストラックを収録するところまでこぎ着けていたとしても、かなり厳しいものになっていたかあるいはやはり内容を再検討することになっていたんじゃないだろうか。

とはいえこの音源に関しては、とにかくこの歴史的なセッションをこういった形で聴くことが出来るということ自体がありがたい、内容についてあれこれ言えるのもそもそも出してもらえたからという類のリリースであり、しかもSteven Wilsonがステレオだけでなくサラウンドでもリミックス(もともとミックスダウンまで行き着かなかった音源だから厳密にはリミックスとは違う気もする)してくれているわけで、最高の条件のリリースでもってファンの間であれこれ言われ続けるこの音源に大きなひと区切りをつけてくれた、と言えるんじゃないかと。

長年語り草になっていていよいよ公式に登場したらやはりそれだけのことがある内容の充実ぶりで、でもなんか手放しで称賛できるかというと「うーん・・・」ってなる感じもつき纏うとこまで含めてTHE BEACH BOYSの『The Smile Sessions』とイメージが被る。

 

Video Clips

DVD1には当時ライブで上映するために制作された映像も収録されている。

 

「The Story of the Hare Who Lost His Spectacles」

当時のライブで実際に幕間劇として上映されたフィルムで、前後の「Forest Dance」パートも含んでいる。1973年2月頃に撮影された。

アルバム通りジェフリー・ハモンドがナレーターを務め、アルバム・ジャケットでモデルを担当したダンサーのJane Colthorpeがバレリーナその1として参加したほか、着ぐるみを纏ったタルのメンバーやRobin Black、ティーレディ姿のJaneの母親といった関係者が総出でわちゃわちゃやってる味わい深いとしか言えない映像になっている。

なんというかノリがTHE BEATLESの『Magical Mystery Tour』やモンティ・パイソンからこれを経てジョージ・ハリスン「Crackerbox Palace」*4やTHE DUKES OF STRATOSPHEAR「The Mole from the Ministry」のPVに繋がっていくようなああいう感じ。

着ぐるみの蜂さんがワイヤーで吊り上げられて飛んでいくシーンなにげにちょっと怖いなーと思ったんだけど、なかに入ってるバリモア・バーロウが飛びたがってこうなったらしい。

これ以前に1994年『25th Anniversary Video』に収録されたほか、『A Passion Play』2003年リマスターCDもエンハンスド仕様でこの映像と公演プログラムの画像が収録されていた。

ちなみに今回のブックレットにはJane Colthorpeさんへのインタビューが掲載されていて、JETHRO TULLとの一連の仕事について詳しく回想してくれている。モンティ・パイソンの『人生狂騒曲』にも出演したそうです。

 

「Opening/Closing Ballet Sequence」

ライブでの『A Passion Play』上演の最初と最後に映されたフィルムで、ジャケットの「死と再生」のイメージを映像化した感じのもの。

DVD1のアルバム本編リミックス再生時の画面もこの映像からのループになっている。

 

じつは個人的にAn Extended Performance最大の問題点はこの「DVDのリミックス本編再生時の画面」で、再生している間ずっとアルバム・ジャケットとおなじポーズのバレリーナがこちらを見続けている、しかも静止画じゃないから微妙に動いていて余計に存在感がある、というどうにも落ち着かない状態で音楽を聴くことになってしまうのです。

 

 

*1:この前に初の日本公演があった

*2:そういえばこのアーサーさんはArthur Morganというよりによってモルガンかよ!ってなるフルネーム。RDR2の主人公ってここから名前をとったんだろうか

*3:20世紀イギリスを代表する音楽家のひとりで、映画『オリエント急行殺人事件』の音楽で特に知られる

*4:これはそもそもエリック・アイドルが監督してるけど

Benefit / JETHRO TULL (1970/2013/2021)

 

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1970年4月リリース、JETHRO TULLの3rdアルバム。

作曲と音作りがこれまでになく洗練され、ハード・ロック的な力強いギターリフやピアノも交えたこれまでより繊細なフォーク調のアンサンブルが登場するとともに、それらをバラバラに並べるのではなくひとつひとつの曲のなかにまとめ上げてみせた完成度の高い地味なアルバム。

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Vocals, Flute, Guitar & Balalaika
  • マーティン・バー Martin Barre:Guitar
  • グレン・コーニック Glenn Cornick:Bass
  • クライヴ・バンカー Clive Bunker:Drums

 

今作にはセッション・ミュージシャンとして鍵盤奏者のジョン・エヴァがピアノとオルガンで参加している。

何を隠そう彼こそはJETHRO TULLの前身であるTHE JOHN EVAN BANDがその名を冠したジョン・エヴァ*1そのひとであり、この段階ではあくまでスポット参戦的な扱いだったがこの後正式メンバーとなり70年代の名作群を支えることになる。

 

JETHRO TULLジョン・エヴァンの加入によってアンサンブルや編曲の幅が大きく広がり、それに合わせてより高度な演奏や複雑な曲構成が増えていくことになるので、つまり彼の加入はバンドにそれまでメンバーが片手間に弾いてたキーボードを専門に担当するやつが増えたという以上に決定的な変化をもたらしたと言えるんじゃないかと。

また前作『Stand Up』から今作で「ブルースっぽさ」がかなり薄まっていて、それが印象的なギターリフ、これまでより凝った曲展開、それと関連して各々の自発性より事前に計画されたものとしてのアンサンブルのおもしろさ、そして叙情的な旋律、といった今作以降の要素に繋がっているように思える(あるいは逆に、そういった要素を志向した結果としてブルースっぽさが薄まったか)。

ちょうどこのあと数ヶ月のあいだにブルースを土台にしつつ「ブルースっぽさ」を薄めてシャープにしたDEEP PURPLE『In Rock』やBLACK SABBATH『Paranoid』みたいな作品が出てくるので、時期的にそういう流れがあったりしたんですかね。

 

ちなみにこの当時学生だったジョン・エヴァンはJETHRO TULLのフルタイム・メンバーになるようイアン・アンダーソンに熱心に説得され、さんざん悩みまくっていろんなひとに相談し教師に「よう知らんけどポップスだし金稼げるんでしょ? 2年とかそこら稼ぐだけ稼いだら家でも買って学業再開すりゃええんや!」とアドバイスされた、みたいな話がリイシューのブックレットに書かれてた。

エヴァン加入後間もない時期のライブ音源ではイアンのほんの少し前まで学生だったエヴァンをイジるMCが聞けたりする。

本来ミュージシャンなどというヤクザな稼業に身を置くような人柄ではなかったらしいエヴァンだがそれでもバンドに約10年間在籍し、その後は結局学業には戻らず音楽業界からも足を洗って建設業というより建築的な仕事を選択したとか。

 

アルバムは前作とおなじMorgan Studiosでイアン・アンダーソンとテリー・エリスのプロデュースのもと制作され、エンジニアはRobin Black。

おそらくはシングル「Sweet Dream」を含む1969年9月のセッション、おなじく「The Witch's Promise」を含む1969年12月のセッション、翌1970年2月25日までのアルバムを仕上げるセッションと、完成までに3回ほどの期間に分けて制作され、そのうちジョン・エヴァンが参加したのはうしろの2回。

レイアウトなどまだ60年代的なステレオ像を残してるが、前作『Stand Up』の各パートの音をステレオ2chのあいだにポンポンと設置していきました、みたいなのに比べるとずっと全体の音の響きまで気を配って整えられている。

これによって空気感というか雰囲気作りみたいなところまでコントロールが行き届くようになり、ゴロっとしたモノトーンな印象があった前作と比べて薄暗い黒のなかにわずかな緑を感じさせる瞬間があるような、しょせんジャケットの印象に引っ張られてるだけなような。

 

そのジャケットに関しては「Cover Design by Terry Ellis and Ruan O'Lochlainn」とクレジットされている。

前作『Stand Up』の見開きポップアップはテリー・エリスのアイディアによるものらしいし、今作の立版古風ジャケットも彼の発案をもとにRuan O'Lochlainnが撮影した写真で作ったんじゃないかと。

この立版古をまじで再現したプロモーション・キットとかレコ屋の特典とかってあるところにはありそう。

 

 

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A1「With You There to Help Me」

左右にパンする幻惑的なフルートとピアノ(とじゃんじゃかアコギ)からはじまり、しっとりめの曲調にエレキギターが切り込んでくるという、ジョン・エヴァンの参加を経た音楽性の変化をぱぱっと提示してくれる楽曲。

それはそうと『Stand Up』で売れてから女性関係なんかあったんすかなんて極めてどうでもいいことが頭をよぎってしまう歌詞。

 

A2「Nothing to Say」

イントロから左chでエレキギターがひとりツインリードしてる。そこにアコギの伴奏が加わるあたりハード・ロック的なものに振り切らないバランスだけど、たんにイアン・アンダーソンの弾きたがりが出てるだけかも。

 

A3「Alive and Well and Living In」

もやっとした響きのピアノやフルートが印象的で、リズムがだんだかやる感じに変化するあたりGENTLE GIANT(今作の数ヶ月後に1stアルバムをリリース)を連想したり。

エレキギターがうねるハード・ロック的な盛り上がりもしっかりある、ってかどの曲もそういう盛り上がりがある結果逆に全体を通して聴くと平板な印象になってねーかこれ。

 

A4「Son」

うるさいなぁって感じにエフェクトのかかったヴォーカルによる、うるさいなぁって感じの歌。

 

A5「For Michael Collins, Jeffrey and Me」

ジェフリー3度目の襲来(むしろイアン・アンダーソンが絡みに行ってる感ある)。

個人的に好きなトラック。2本のアコギがこれまでのフォーク色が強い楽曲のようにじゃかじゃかやる感じじゃなくピッキング主体で両者と後から入るピアノやヴォーカルとのバランスが考えられていて、しっとりしたメロディも魅力的。まあ結局じゃんじゃか盛り上がるんですが。

マイケル・コリンズアイルランドの指導者じゃなくて宇宙飛行士のほうのひと*2

ちょっとデヴィッド・ボウイ「Space Oddity」を連想する題材でもあるが、こちらは人類初の月面着陸に際して司令船に残ったマイケル・コリンズにからめて共同体からの疎外感を主題にしつつ、彼の立場や果たした役割などにも一定の敬意を払っていることが伺える歌詞。

 

 

B1「To Cry You a Song」

ステレオの左右に振られたエレキギターのアンサンブルがWISHBONE ASH(このバンドも数ヶ月後に1stアルバムをリリース)っぽい。

聴いた感じフルートやアコギ、鍵盤の類が入っておらず、マーティン・バーのひとりツインギターによるソリッドな音像のハード・ロックになってる。後半のギターソロは前作でもやってたマイク振り回してレスリースピーカー風の音を録るやつじゃないかと。

このアルバムとつづくツアーでのマーティン・バーのサウンド・メイクや構築力みたいなものの進歩(と言ってしまうとそれはそれで語弊がある気もする)ぶりは目覚ましいものがあると思う。

 

B2「A Time for Everything?」

こちらはエレキギターハード・ロック的に活躍しつつピアノやフルートがしっかり入る、このバンドならではのバランス。エレキギターハウリングまで取り入れてる。

 

B3「Inside」

アルバム中これだけ妙に明るい、いい感じの小曲。左chでブイブイ鳴ってるのはエレキギターだろうか。

ここでもなんかおじいちゃんになったジェフリーの妄想してるし、やたら湿度が高いのはなんなんだ……

 

B4「Play in Time」

これも左右のエレキギターがWISHBONE ASHっぽい。テープの再生速度いじくり回しつつ“In Time”と言ってみせるジョークか。

 

B5「Sossity; You're a Woman」

タイトルがハムレットのあれっぽい気がしたけどあらためて見るとべつにそうでもなかった。

左右chのアコギと中央のオルガンがいい感じな終曲で、歌詞もおもしろい。この曲や「For Michael Collins, Jeffrey and Me」はイアン・アンダーソンとマーティン・バーのふたりでアコギを弾いてるっぽい。

 

 

どの曲も前作までと比べてあきらかに手が込んでいて、それぞれに緩急が練られているのだが、その結果ざっと全体の流れをなぞったとき逆に緩急が乏しい印象になってしまう気がしないでもない。全体のトーンがうす暗いし。個人的にはわりと好ましいアルバムなんだけども。

 

とはいえ今作はイギリスのアルバム・チャートで第3位を記録し西ヨーロッパ各国やオーストラリア、北米でも好評を持って迎えられた大ヒットアルバムでもある。

またJETHRO TULLのイギリスでのレコード・リリースは前作までIslandレーベルから行われていたが、今作から(正確にはその前のシングル「Sweet Dream」から)いよいよバンドのマネージャーであるクリス・ライトとテリー・エリスが立ち上げたChrysalisレーベルでのリリースとなった。なお配給は相変わらずIsland。

あとアメリカReprise盤は一部トラックが差し替えられ曲順もちょっと違っていて、翌1971年にリリースされた日本盤もそちらに準じていたので、レコード時代から聴いてるひとほど「CDになったら曲順変わった」という印象を受けたっぽい。

 

ところでイアン・アンダーソンのクレジットにあるバラライカってどこで弾いてるんでしょうか……?

 

 

2013 A Collector's Edition

 

2013年にリリースされたCollector's Editionは2CD+DVDの3枚組。『This Was』や『Stand Up』のCollector's Editionから『Aqualung』箱や『Thick as a Brick』デジブックを経てSteven Wilsonによるリミックス・シリーズという括りが定着していく過渡期っぽいリリース。

  • CD1:Steven Wilsonによるアルバム本編とExtra Tracksのステレオ・リミックス
  • CD2:Associated Recordings 1969-1970
  • DVD:Steven Wilsonによるステレオおよびサラウンド・リミックス+その他

 

Steven Wilsonがリミックスを担当したトラックとフラット・トランスファー以外の音源はDenis Blackhamによるリマスター。つまりこのリリースからSteven Wilsonのリミックスは余計な手を加えずそのまま収録するようになった。

おそらく2011年『Aqualung』2012年『Thick as a Brick』リイシューでSteven WilsonのリミックスをPeter Mewがマスタリングした際に音源の一部にクリックやドロップアウト(音の欠落)が発生した件や、そもそもSteven Wilson本人が納得できるバランスに調整したリミックスをさらにマスタリングする必要があるのかという問題、そしてPeter Mewが2013年にAbbey Road Studiosを退職したこともあって、こういう形になったのだろう。

これ以降のリイシューではオリジナル・ミックスの音源はリマスターせずフラット・トランスファーでの収録を行うようになっていくので、ここでのDenis Blackhamの起用はけっこう例外的。

 

CD1:Steven Wilson Remix

CD1はSteven Wilsonによるアルバム本編とExtra Tracksのステレオ・リミックス。

これより前に扱った『This Was』や『Stand Up』でもそうだったけど、Steven Wilsonによるステレオ・リミックスはあくまでオリジナル・ミックスのレイアウトを尊重したものになっている。

全体的に音がクッキリしてヴェールが一枚剥がれたような感じがあり、「With You There to Help Me」の特にイントロで加工されたフルートがジャリジャリいってるのがかなりマシになってたり等の違いもあるものの、『This Was』や『Stand Up』のリミックスほどには極端な差は感じられない。

今作がそれら2作と比べてミキシング段階での加工が多用されていて、このリミックスでその加工を再現するにあたって可能な限り当時と同じか近い機材を使用しているらしいことが関係してるだろうか。あとはまあ『This Was』とかふつうにオリジナルのミックスが歪んでるという根本的問題があったけど。

 

Extra Tracksはどのトラックもオリジナル・ミックスがCD2に収録されているので、ひとつひとつはそちらで扱います。

 

CD2:Associated Recordings 1969-1970

CD2はAssociated Recordings 1969-1970と題して、『Benefit』と前後するシングル等のオリジナル・ミックス音源がまとめられている。同じ曲のミックス違いが盛りだくさんだから資料的には嬉しいけど通して聴くのはしんどいかもしれない。

 

「Singing All Day」

JETHRO TULLにはめずらしいジャズ・ヴォーカル風というかな曲調で、中間部で霧が深くなるのがいい。

Steven Wilson(以下SW)リミックス(CD1-11)とこれまで未発表だったモノラル・ミックス(CD2-1)を収録。

もともと「Sweet Dream」「17」と同時期に制作され、3曲まとめてEPとしてリリースされる計画だったが実現しなかったらしい。その後1972年にコンピ『Living in the Past』にステレオ・ミックスが収録されたが、モノラル・ミックスは存在を忘れられていた。

 

「Sweet Dream」「17」は1969年10月ごろにリリースされたシングルのAB面。イギリスのシングル・チャートで7位を記録した快作。

『Stand Up』の2010 Collector's Editionにも収録されていたが、あらためて複数の音源が整理し直されている。

 

「Sweet Dream」

この時期のシングルにしては大胆な曲調の変化があり、デヴィッド・パーマーがアレンジを手掛けている。そういえば『Benefit』ってパーマー関わってないのか。

SWリミックス(CD1-12)、モノラル・ミックス(CD2-2)、ステレオ・ミックス(CD2-4)を収録。

ステレオはこれまで未発表だったオリジナル・ミックス。これは「Living in the Past」とだいたい同じような事情で、オリジナルのシングルはモノラル、プロモ用にこのステレオ・ミックスを制作、のちのコンピ『Living in the Past』ではあらためてステレオでリミックスという経緯で世に出る機会がなかったもの。

ということはつまり、『Stand Up』の2010 Collector's Editionに収録されていた同曲は『Living in the Past』用のステレオ・リミックス音源だったということか。

 

「17」

SWリミックス(CD1-13)、モノラル・ミックス(CD2-3)、ステレオ・ミックス(CD2-5)を収録。

これもステレオ・ミックスはこれまで未発表で、1988年の『20 Years of Jethro Tull』ではモノラル・ミックスを短くエディットするだけでなく派手な響きを追加してステレオっぽくごまかしてた。

 

「The Witch's Promise」「Teacher (UK Single Version)」はイギリスで『Benefit』に先立つ1970年16日にリリースされたシングルで、両A面扱いだった。シングル・チャートで4位を記録した代表曲のひとつ(ふたつ)。

 

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「The Witch's Promise」

トラッド・フォーク調のなかなかパッとした曲で、ジョン・エヴァンのピアノだけでなくメロトロンが聴ける。あれっそういやタルがメロトロン使ったのってこれが初では?

モノラル・ミックス(CD2-6)とステレオ・ミックス(CD2-9)を収録。

1993年の『25th Anniversary Box Set』でステレオ・リミックスが制作されているが、それ以降マルチトラック・テープが行方不明になりSteven Wilsonによるリミックスが行えなかった模様。

 

「Teacher (UK Single Version)」

オルガンの音色はすき。どっちかというと歌詞でウケたやつでは?と思うけど自分に聞く耳がないだけかもしれない。いや聞く耳なんてはなからありゃしないのですが。

SWリミックス(CD1-14)、モノラル・ミックス(CD2-7)、ステレオ・ミックス(CD2-10)を収録。

ステレオ・ミックスは残念ながらマスターテープが見つからず盤起こしでの収録だが、音質はまあこんなもんでしょって程度。

 

「Teacher (US Album Version)」

JETHRO TULLアメリカでのリリース元Reprise(の親会社Warner Bros.)から「もっとAMラジオ向けのトラックを!」みたいなこと言われていろいろ試したけど上手く行かず、結局アレンジ変えて再録音したバージョン。

上記したようにRepriseリリースのシングルだけでなくアルバムにも差し替え収録されたことで各国のファンの間に混乱を生んだりもした。さらに2001年リマスター盤でも「Original UK Mix」表記でテープ再生速度が違うUS Album Versionが収録されて余計おかしなことに。

SWリミックス(CD1-15)、モノラル・ミックス(CD2-8)、ステレオ・ミックス(CD2-11)を収録。

モノラル・ミックスはおそらくステレオ・ミックスを元に擬似的に制作されたもの。

 

CD2-12「Inside (Single Edit)(Mono)」

アルバム『Benefit』からのシングル・カットで、イギリスではおそらくアルバムと同時期にリリースされた。モノラル・ミックスで、途中でフェードアウトする。

 

CD2-13「Alive and Well and Living In (Mono)」

イギリス含む西ヨーロッパ圏での「Inside」B面。

 

CD2-14「A Time for Everything? (Mono)」

アメリカを中心にRepriseレーベルでの「Inside」B面。モノラルだとハウリングが余計うるさい。

 

CD2-15「Reprise AM Radio Spot 1 (Mono)」

CD2-16「Reprise FM Radio Spot 2 (Stereo)」

『Stand Up』のリイシューにもそれ系のが収録されてたやつ。

 

ちなみに2001年リマスターのボートラに混じってた「Just Trying to Be」ちゃんは『Aqualung』箱にお引越ししました。

 

DVD

DVDの内容は

  • Steven Wilsonによるアルバム本編+Extra Tracksのステレオ・リミックス(96/24 LPCM Stereo)
  • Steven Wilsonによるアルバム本編+Extra Tracksのサラウンド・リミックス(DTS 96/24 & Dolby Digital AC3)
  • UKバージョンとUSバージョンそれぞれのアルバム本編フラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)
  • 「Sweet Dream」「17」「The Witch's Promise」フラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)

 

ステレオ・リミックス関係はまじでCD1と収録内容全く同じでこっちはハイレゾなのでもはやCDを選ぶ理由が気分以外にないやつ。

 

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サラウンド・リミックスはおなじ8トラック録音でこの後リミックスされた前作『Stand Up』のものと比べるとわりと積極的にレイアウトを動かしている。とは言ってもあくまでオリジナルのステレオ・ミックスをベースにチャンネル的に拡張したもので、奇抜だったり無理に現代的な音響に合わせようとしているわけではなく、たぶん制作方針の違いよりそれぞれのアンサンブルの性質に合わせた結果だと思われる。

ひとつひとつのトラックが元々しっかり作り込まれてる今作はまさにサラウンドにうってつけで、そりゃ16トラックやそれ以上の録音に比べればザクッとしたレイアウトではあるけど十分聴き応えのある仕上がりになっている。

 

フラット・トランスファー音源はそれだけでもすごくありがたいのにUSバージョンのアルバム本編までおさえている。

ただしUKバージョンとUSバージョンをそれぞれのマスターから起こしているのではなく、ひとつのマスターから両方の曲順を再現しているっぽく、そこはちょっと思ってたのと違った感ある。「Teacher」のUS Album Versionだけフラット・トランスファー音源を収録するならせっかくだしUSアルバムの曲順再現しとくか!みたいなノリだったのかもしれない。

聴いた感じ2001年リマスターより全体的になめらかで、ちょっと楽曲ごとの音量差が気になるとこもあるけど非常に好ましい音源。正直もっとテープ由来のノイズがあるかと思ってた。

あとメニュー画面でシングルの各トラックを選択しようとすると全曲再生になるという些細な問題点がある。

 

 

ブックレットは特に写真資料などの掲載量でデジブック系リイシューには負けるもののけっこうな情報量で、特にAssociated Recordings 1969-1970の各トラックにきちんと詳細が記述されてるのがすごくうれしい。そういうの読むの大好きなので。

Steven Wilsonのリミックス・ノートでは「当時のミキシング工程での音質劣化まで含めて作品なのに、それをリミックスで取り払ってしまうのはどうなのさ」的な意見に対する彼のスタンスも述べられていて、非常に興味深いです。

 

てかこのリミックス・シリーズ、最初の『Aqualung』はボックスだったけど後にデジブックで新装版が出て、『Thick as a Brick』ははじめからデジブックなので、つまりこの『Benefit』だけデジブックになってないんですよね。

べつにデジブックが扱いやすいわけではこれっぽっちもないけど、それはそれとしてやっぱりこのアルバムだけ微妙に扱いが悪いような。

 

 

2021 50th Anniversary Enhanced Edition

 

とかなんとか言ってたら出るっぽいですデジブック拡張版4CD+2DVD*3

 

[予約]JETHRO TULL 11月上旬: '70年作『BENEFIT』発表50周年を記念しCD+DVD6枚組にパワー・アップした拡大盤が発売決定!!

Jethro Tull / Benefit 50th anniversary reissue – SuperDeluxeEdition

 

えっつまりこの記事を最初に書き上げたわりと直後に発表されたのか……。

 

以下ざっと確認した内容について。

  • Steven Wilsonのリミックス自体は2013年と共通

SWステレオ・リミックスのExtra Tracksに旧リマスター盤のボーナス・トラックだった「Just Trying to Be」とついでに「My God (Early Version)」が追加されたんだけど、どっちも『Aqualung』40周年盤に収録されてるやつでは。1970年4月のグレン・コーニック在籍時最後のセッションの補完としてみても1曲足りないしなんなんだろう*4

あとやっぱり今回も「The Witch's Promise」はリミックスできなかった模様。

 

  • Associated Recordings 1969-1970の内容が拡張され曲順も一新

Associated Recordings 1969-1970は曲順がモノラルとステレオに分けて整理し直されたほか、Collector's Editionでは外されていたおそらくコンピ『Living in the Past』関係のステレオ・リミックス音源がひと通り収録された。あれ「The Witch’s Promise」や「Teacher」もミックス違ったんか……

 

  • Steven Wilsonがあらたに1970年Tanglewood公演の音源をリミックス

間違いなく今回のリイシューの目玉となるもの。ステレオとサラウンド両方でリミックスされ、DVD2には映像を含めて収録。

Steven Wilson、以前だとライブ音源は自分でリミックスせずJakko Jakszykにぶん投げてた印象なんだけど、『A』リミックスの際にライブ音源をリミックスして手応えを掴んだのだろうか。『A』ライナーノートでもけっこう意欲的なこと書いてたし、ライブ音源の「実際の会場で聴こえたであろう音」の再現に囚われない方針のリミックスは自分もとても興味がある。

 

よく知らないけどブート音源の公式リリース的なやつでしょうか。

 

以下疑問点。

  • リミックス以外の音源のマスタリング

Collector's EditionではDenis Blackhamによるリマスター音源だったがこちらではどうなってるんだろうか。通例で行くとフラット・トランスファーへの差し替えだけど、特にそれらしい記述も見当たらないし。

 

Collector's Editionのアルバム本編フラット・トランスファーはひとつの音源でUK盤US盤それぞれの曲順を再現していたけど、こちらには「Flat transfers of the original UK+US LP master in 96/24 LPCM」と表記されているので、UK盤US盤それぞれのLPマスターからあらためて起こしたともとれる。

あと仮にAssociated Recordingsの音源がDenis Blackhamリマスターからフラット・トランスファーに差し替えられるとしたらDVDのフラット・トランスファーがどさっと増えそうなものだけど、見た感じ「Sweet Dream」「17」「The Witch's Promise」だけでCollector's Editionから変更はない。

 

こんなところになります。欲しいけどいま衣食住に困るレベルで金がない

 

 

2021/9/22投稿

2021/10/17更新

 

*1:本名はジョン・エヴァンスだが、JOHN EVANS BANDよりJOHN EVAN BANDのが語呂が良いということで“S”を奪われた

*2:コリンズ宇宙飛行士が死去 月面着陸時に司令船を操縦:朝日新聞デジタル

*3:これを書いてる10/17時点ではまだ予定

*4:まさか50周年で『Aqualung』も音源整理し直してリイシューする気があったり・・・?

Thick as a Brick / JETHRO TULL (1972/1997/2012)

 

Thick As a Brick

Thick As a Brick

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1972年3月リリース、JETHRO TULLの5枚目のアルバム。

各種シングル曲のフォーク調で親しみやすいメロディ、『Benefit』の叙情性や凝ったアレンジ、『Aqualung』の聴かせどころを絞った明快さ、そしてジェフリー・ハモンドと、これまでに培ってきたものをひとつのレコードひとつの楽曲にまとめて投入した痛快な作品。

アルバム1枚通して1曲というと身構えるひともいそうだけど、いつくかの非常に印象的で覚えやすいメロディが楽曲の進行に合わせて繰り返し登場してそれぞれの展開を区切ってくれる面倒見の良い構成になっていて、そのメロディ自体の良さもあってむしろタルがここまでにリリースした5枚のアルバムのなかでいちばん聴きやすいとすら思う(個人の見解)。

 

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Lead Vocals, Acoustic Guitar, Flute, Violin, Trumpet, Saxophone
  • マーティン・バー Martin Baree:Electric Guitar, Lute
  • ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ, Harpsichord
  • ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Vocals
  • バリモア・バーロウ Barriemore Barlow:Drums, Percussion, Timpani

オーケストラの指揮とアレンジはデヴィッド・パーマー。

 

口ひげを蓄えたらトム・サヴィーニみたいになったドラマーのクライヴ・バンカーは家庭をもったのを機にバンド稼業から足を洗い、後任としてこれまたJOHN EVAN BAND時代のバンド仲間バリモア・バーロウが参加。もうマーティン・バー以外みんなJOHN EVAN BANDじゃねーか。

 

バリモア・バーロウは安定感と手数の多さ両方を兼ね備え、変拍子を多用するタルのアレンジにも余裕を持って対応できる優れたドラマー。

クライヴ・バンカーだって良いドラマーではあるんだけど、コンビを組んでいたグレン・コーニックの解雇と後任のジェフリー・ハモンドが絵画ほどにはベースに精通していなかったこともあって、それまでのマーティン、グレン、クライヴの3人でそれとなく支え合うバランスが崩れてどうにも心もとない状態になってしまっていた印象。

ともかくバリモア・バーロウの加入によってリズム面の不安が一挙に解決され、より複雑な曲展開をより安定して演奏することが可能になったのはたしかで、彼の加入がなければあるいは今作『Thick as a Brick』自体このような形にはなっていなかったかもしれない。

 

バリモア・バーロウを加えたJETHRO TULLはさっそく1971年5月ロンドンのSound TechniquesでEP『Life Is a Long Song』の5曲を録音*1

その後北米ツアーを挟みつつ8月〜10月と11月〜12月の2度に渡ってMorgan Studiosで今作『Thick as a Brick』のレコーディングが行われた。

Morgan Studiosはこれまでも『Stand Up』や『Benefit』のレコーディングで使用した馴染みのスタジオで、エンジニアもそのときとおなじRobin Black。『Benefit』は8トラック録音だったけど今作の頃にはMorgan Studiosにも16トラック録音の環境が整えられていたと思われる*2

マスタリングはRobin Blackが1972年1月の半ばにApple StudiosでGeorge Peckham立ち会いのもとで行ったが、バンドはヨーロッパツアーの真っ最中だったので彼に一任されていたのだろう。前作のマスタリング時はイアン・アンダーソンがいないとどうにもならない状況だったのと比べると雲梯の差。

ちなみにその前作『Aqualung』で痛い目を見たIsland StudiosやJohn Burnsはこれ以降二度と起用されることはありませんでした。

 

コンセプト

今作が最初にリリースされた際のパッケージはたんに新聞を模したデザインではなく「本物の新聞を折りたたんでレコードを包んだ」風のもので、開くとちゃんと縦長の新聞サイズになった。

 

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25th Anniversary Editionのオマケの新聞

このThe St. Cleve Chronicle and Linwell Advertiserなる地方紙の一面記事は、Gerald “Little Milton” Bostockという8歳の少年による叙事詩『Thick as a Brick』がThe Society for Literary Advancement and Gestation*3(通称SLAG*4)のコンテストで優勝したものの、最終的にそれが撤回された顛末を伝えている。また人々の不満の声やGeraldとその両親への慰めとしてこの詩の全文が7面に掲載されるとも。

 

新聞は12ページあり、他愛がなかったりあきらかに変だったりする報道やらウサギやらいろんなコーナーの山に混じってGeraldのガールフレンド(一面の写真でわざとスカートのなかを見せてるやつ)が彼の子供を妊娠しているが医者の見解では「あきらかに本当の父親を守るために嘘をついている」という記事や、有名なビート・グループJETHRO TULLがGeraldの詩をレコード化するという記事なども見当たる。

そしてGerald関係とタル関係で「詳しくは7面で」みたいに誘導されるその7面は「Gerald “Little Milton” Bostockによる叙事詩『Thick as a Brick』全文掲載」の体で歌詞が、「JETHRO TULL新作アルバム・レビュー」の体でメンバーや担当楽器などのクレジットが掲載されているという寸法。

つまりこの新聞を読むことでモリーおばさんのケーキレシピやLittle Miltonとかなんとかいうマセたガキの詩にJETHRO TULLが音楽をつけてレコード化したという「設定」などがわかるようになっているのだ。

 

ようするに本物の新聞のパロディで記事はしょーもないナンセンスの寄せ集めになっているわけなんだけど、全部創作ということはつまりとんでもない作業量ということになる。

よくよく読むと記事をまたいで共通の出来事に触れいてたり、広告とちょくちょく名前が出てくる人物のあいだに関連性があったり、詩や小説が掲載されてたり、変なものが売りに出されてたり。誰か全文解説してくれ。

これらの記事はイアン・アンダーソンとジェフリー・ハモンド、ジョン・エヴァンが中心となって作り、Chrysalisレーベルの広報で記者としての経験があるRoy Eldridgeが新聞としてまとめたらしい。イアンの話ではアルバムのレコーディングより時間がかかったとか。

 

表ジャケにあたる一面の左上はここだけ赤のインクで「JETHRO TULLのことは7面で」と目立つように印刷され、見出しとしてアルバム・タイトルである『Thick as a Brick』がどどんと鎮座することで、きちんとアーティスト名とアルバム・タイトルが目にとまるようになっている。右上の「No. 1003」はレコードのカタログナンバー“CHR 1003”に合わせてあり価格についてはよくわからん。

裏ジャケにあたる部分では「Chrysalisレコードが『Thick as a Brick』の全売上をBostock Foundationへ寄付」という記事の体でレーベルロゴを、また新聞の印刷元という体(いや間違ってはいないんだけど)で実際の印刷会社E.J. Day Groupをクレジットしてあり抜かり無い。

 

ちなみに今作のリリースから数ヶ月後にジョン・レノンオノ・ヨーコがおなじ新聞をパロったジャケットのアルバムをリリースするというネタ被りが発生した模様。

 

アルバム内容

ぜんぜんわからない。俺たちは雰囲気で音楽を聴いてる。

 

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これは複数あるエディット版のひとつ

今作はレコード1枚で1曲なわけだけど、レコードがA面とB面に分かれる関係で2部構成とも言え、ジャケットに掲載された詩で示されている区切りに従うなら6部、後にデジタルリリースされた際のトラック割りでいくとAB面それぞれが4トラックずつの合計8部、さらにその8つのトラックにつけられているトラック名で区切ると13部に分けることができる。

この13部分というのがだいたいの曲調の切り替わりを表した数字になると思う。

 

ていうかJETHRO TULLのレコード契約ってどんな感じになってたんだろ。たとえばKING CRIMSONの『In the Court of Crimson King』で長めの楽曲がその構成とはほとんど無関係に“including なんちゃら”みたいな表記をつけてたのは契約の都合上曲数を水増しする必要があったからなはずだし、逆にマイク・オールドフィールドが『Amarok』でCD1枚1トラックをやったのも曲の長さに関わらず収録曲の数で金額が決まる契約なのに抗議する目的があったからなわけで。まあタルの場合は自分たちのマネージャーが起こしたレーベルで後年に至るまで良好な関係を維持してるから、そこらへんクリムゾンとはまったく違う環境だっただろうけど。マイクとリチャード・ブランソンもあれ不仲といっても金持ち同士の過激なスキンシップみたいな特殊な関係性やし……。

 

それはさておき、楽曲は比較的早い段階で示されるいくつかの主題がその後も要所々々で再現して展開をリードしていく構成になっていて、たとえば冒頭のアコースティック・ギターの主題は楽曲中4回登場し、どれも大きな区切りとなる重要な場面である。

全体としては多彩な曲調を持つが、それぞれの部分はたとえば明るいフォーク調で親しみやすい歌メロを持つパート、変拍子の強烈な演奏を決めるパート、エレキギターのボリューム奏法を駆使した叙情性のあるパートなど、はっきりとカラーが決まっているうえにきっちり区切られてもいる。

アンサンブルはこれまで以上に凝ったものになり、鍵盤楽器の重要性が増しイアン・アンダーソンもフルートだけでなくサックスやヴァイオリンを持ち出してくる一方で、オーバーダブはギターソロや管楽器、オルガンとピアノが同時に要求される場面など最低限、エレキギターの音作りも素朴でサウンド的にはむしろシンプルになったとすら言える。リズムギターとヴォーカルに至ってはほとんどライブ録音といっていい状態らしい。

これらを踏まえて個人的には特定の部分以上にその橋渡しとなる場面や瞬間をたのしみに聴いてる面があります。それこそ冒頭のアコースティック・ギターの主題がA面後半でオルガンに合わせて再登場する瞬間の気持ちよさとか。

 

歌詞のほうはいかにもJETHRO TULLを好んで聴くタイプの人間がよろこびそうな“Really don't mind if you sit this one out”という文句で幕を開け、まあよくわかんないんですけど、ある意味「作者は8歳の子供」という設定を十分に活用した一貫してちょっと老成した感じの上から目線で語られるものになっているっぽい。

構成的にもかなり練られていて、歌詞にこだわるあまり音楽のほうが一定の調子を保ちすぎるような部分もあるものの、おなじ構造を反復した際の内容の変化や以前に登場したフレーズが再び現れたときの印象深さなどとても効果的。そして最後は音楽も詩もストンと落ち着くべきところに落ち着いたように終結する。

 

歌詞に散りばめられているであろうネタの数々に関しては時代的にも地域的にも自分にはさっぱりわからない。

how to sing in the rain”というくだりがあるけど、大元のミュージカル映画はともかくとして映画『時計じかけのオレンジ』はアメリカでの公開が1971年12月19日、イギリスでの公開は1972年1月13日なので、リスナー側はマルコム・マクダウェル演じるアレックスの姿を連想せずにはいられなかったかもだけどレコーディング中のイアン・アンダーソンは逆に意識しようもなかったんじゃないだろうか。自分はアンソニー・バージェスの原作小説は未読でして、有名な映画撮影時のエピソードから考えると小説には「Sing in the Rain」は出てこないと推察されるんだけどわかりません。

歌詞の盛り上がりどころでスーパーマンやロビン(ロビン・フッドじゃなくてバットマンのほうだろうか)とあわせて言及されるビグルスは赤衣枢機卿にして異端審問官であり今でも「スペイン宗教裁判」と唱えるとどこからともなく……というのはともかく、ジャケットの新聞にもいかにもビグルスのパロディっぽい戦記物の小説が掲載されている。日本人にはまったく馴染みのないキャラクターなんだけど、イアンも子供の頃に親しんだくちなのだろうか。

 

作品そのものとは関係のない話で恐縮なんですが、これまでイアン・アンダーソンがわりと頻繁に家族との関係に題材を求めた私小説的な詩を書いてきたことと、前作の「Cheap Day Return」が彼のすっかり年老いた父親を見舞った体験を綴ったものだという説があわさると、あれからなんかあったんすか?みたいにちょっと気になってしまう感じがあったり。

そうでなくてもなんとなく歌詞の雰囲気的にロールモデルの喪失というか、対等だったりあるいは指導的な立場の相談相手がいなくなった彼自身を客観的に歌詞のネタにしてるような感じがしなくもない。

加えてジャケットに妙に妊娠ネタが多かったり詩にも子供やその誕生を連想するような要素が散見されるのも、おもわず彼の私生活上の出来事に関連付けたくなってしまう。

まあ繰り返すけど作品そのものとは関係ないというか、むしろイアン・アンダーソンのような捻りを加えずもっとストレートに思想や現実の出来事に対する直接的言及を作品に投入するタイプの作者であってすら、作品と作者や現実の間には如何ともし難い断絶があるというのが自分の考えです。

 

 

1997 25th Anniversary Edition

Thick As a Brick

Thick As a Brick

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1997年のアルバム25周年ついでにEMI100周年盤(ここ伏線)。

丈夫な紙製ボックス入りで、オリジナルのジャケットを再現した新聞が付属するなかなか気合の入ったリイシュー。

 

リマスターとは表記されているけどそれ以上の詳しいクレジットはない。『Aqualung』の25周年盤にはPrism Sound Noise Shaping Systemがどうとか記載されてたけどそういうのも見当たらず。

聴いた感じはノイズの少ない高音域のクッキリしたクリアな仕上がり。数年遅れでこの盤を入手したときはけっこう良い印象だったけどさすがに今あらためて聴くとちょっと音圧が高めで、オリジナルでもヴォーカルが強調されるとキツくなりがちだった高音域が厳しく部分も。とはいえサブスクでも聴けるオリジナル・ミックスのリマスター盤としてまだまだ現役です。

JETHRO TULLの場合音源の管理がきっちりしてたおかげで70年代までの全アルバムがリミックスで聴けるようになっているので、逆にオリジナル・ミックスはがんばってノイズ抑えるよりフラット・トランスファーやそれに近いなるべく手を加えない音で聴きたいという贅沢な欲求が強まっている感がある。

 

ボーナス・トラックとして同「Thick as a Brick」の1978年マジソン・スクエア・ガーデン公演ライブ音源と、メンバーへの1997年当時のインタビューを収録。

ライブの方は12分程度で前半の美味しいところをいい感じに聴かせるアレンジになっていてベスト盤等の抜粋版よりは聴き応えがありつつさくっと流せるのだけど、ヴォーカルとかけっこう手直しされている印象。

インタビューはここに収録されてるものと同時期、あるいはまさにこのインタビューの未収録部分が次のエディションのブックレットに掲載されてます。マーティン・バーがちょっと喋りをそのまま収録するのはためらわれそうなジョン・エヴァンの小便事件を暴露してたり。

 

 

2012 40th Anniversary Special Collector's Edition

なんかAmazonの商品画像が1997年盤のになってるけど実物は縦長のデジブック

 

2012年にCollector's Editionシリーズの一環としてリリースされたもので、前2011年の『Aqualung』に続いてSteven Wilsonがリミックスを手掛け、以降のシリーズで標準となるデジブックがはじめて採用された。

 

  • CD:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • DVD:SWステレオおよびサラウンド・リミックスのアルバム本編+フラット・トランスファー+Radio Spots

収録内容はアルバム本編のみで、ボーナス・トラックはDVDに入ってるRadio Spotsのみ。このRadio Spots自体はアルバムのコンセプトにあわせてBBCラジオのニュースという体裁をとっていてわりといい。

とはいえ他にボーナス・トラックの類がないのは出し惜しみしてるのか、これといってアウトテイクや関連音源が存在しないのか。

実際のとこ『Thick as a Brick』のあとはコンピレーション『Living in the Past』、次のアルバムに向けた(そしてポシャった)Château d'Hérouville Sessionsとなり、このあたりから数年イギリスでのシングル・リリースも途絶えるのでこれといったマテリアルが思い浮かばず、あえて言うならプロモーション盤やヨーロッパとアメリカ向けに存在した「Thick as a Brick」シングル・エディットを収録してほしかったくらいだろうか。あとマルチトラック録音されたライブ音源はいくらあってもよい。

 

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貼るタイミングを探っていた

Steven WilsonなんかYES『Tales from Topographic Oceans』のリミックスでシングル・エディットをぽこぽこ作ってたくらいだし、これや『A Passion Play』のエディットも許可さえされればおもしろがって作るんじゃないですかね(適当)。

あとブックレットには新聞全ページの内容が紙質まで寄せて収録されているんだけど、レイアウトはデジブックにあわせてかなり変えられている。そのかわり記事ひとつひとつの文字もちゃんと印刷されてて25周年盤の新聞より読みやすいです。モリーおばさんのタンポポ入りケーキを本当に作ったひといるんだろうか(ていうかちゃんと作れるレシピになってるんだろうか)。最初てっきり焼き上がったケーキにタンポポを添えてデコレーションするのかと思ってたら普通にぶっ込んでびっくりしたんだけど、調べてみたら実際にタンポポをケーキやマフィンの生地に混ぜて焼くようなレシピがあるっぽいですね。

 

Aqualung』2011年盤とおなじくステレオもサラウンドもSteven WilsonのリミックスをPeter Mewがマスタリングして仕上げている

ダイナミックレンジはだいたい1997年盤と揃えられていて、せっかくバランスが整えられたのに音圧上げちゃったら元の木阿弥、とまでは言わないにしてもかなりもったいないというのが正直なところです。

そしてサラウンド・リミックスはそれだけの問題では済まなかった……。

 

Stereo Remix

前作『Aqualung』やこれ以降のリミックスと方針的にはまったく共通で、オリジナル・ミックスを限りなく尊重したレイアウトや音の処理になっている。

聴く側はぼんやりおんなじだな〜と思ってれば済むけど、オリジナル・ミックスを丹念に聴き込んでマルチトラック・テープからレイアウトだけでなく局所的にかけられたリバーブなど細かい音の処理まで再現してるわけで、毎度のこととはいえとんでもない作業なのでは。だからこそマスタリングで音圧上げてしまうのはもったいない。

その上でだけど、今作のリミックスはアコギの弦をピッキングしたときの接触音などの高音域がオリジナル・ミックスとは比較にならないほどクッキリしてどの楽器もより直接聴こえる感じになったとはいえ、もともとの音作りがわりとシンプルなこともあってこのシリーズのなかでは変化が少なめの仕上がりだと思う。25周年リマスターがクッキリ系だから余計そういう印象になる面もあるかもしれない。

楽曲のいちばん最初のアコギといちばん最後のアコギの音がなんか違うのはオリジナル・ミックスよりもはっきりとわかります。

DVDにはハイレゾ収録だけどどうせ音圧が……。

 

Surround Remix

こちらもオリジナル・ミックスを尊重しつつ5.1chへの拡張を行っているのだけど、前作までと比べて音作りはシンプルでも繰り広げられるアンサンブルはより複雑になった本作ではこれまでより積極的にリア側にも音が配置されるようになり、それが十分な効果をあげている印象。それ故にこっちまで音圧が揃えられちゃってるのが……(まだ言ってる)。

 

そしてこのDVDのサラウンド・リミックスにはもっと根本的な欠陥があって、Side Oneの02:49前後で瞬間的なドロップアウト(音の欠落)が発生する

このために当時メーカー側で交換対応がとられたんだけど、自分はそんなことになってるとはつゆ知らず数年経ってから中古で購入してあらびっくり。なんの説明もなかったぞ(恨み言)*5

聞いた話では交換ディスクで差し替えられたサラウンド・リミックスはPeter Mewマスターではない純粋なSWリミックスらしい*6。しんどい

 

じつは同じようなエラーは『Aqualung』の2011年40th Anniversary Collector's Editionでも発生していたらしく、あちらはDVDのサラウンド・リミックスにクリックノイズがあったとか。

Peter Mewがどうとかよりメーカー側の不手際であり、EMIは全く同じ時期にGENTLE GIANT『Free Hand』のDVD収録Quad音源でもチャンネルの割り振りがむちゃくちゃというミスを犯している。はいこっちもそうとは知らずに後から中古で購入しました。ふて寝しました。

拝啓EMI殿どうなってるの?ってところなんだけど、そのEMIは2011年からソニーやユニバーサルによる買収が進んでいてこの後2013年にはEMIグループ自体が解散してロゴすら使われなくなるので、どうもこうもない状況だったりしたのかもしれない。1997年には100周年盤とかリリースしてたけど諸行無常

 

ともかくJETHRO TULLに関しては、そもそもSteven Wilsonが納得行くバランスに仕上げてイアン・アンダーソンだって確認しているはずのリミックスをさらにマスタリングする必要があるのかという問題があり、加えて2013年にPeter MewAbbey Road Studiosを退職*7したこともあってか、これ以降のリリースでは基本的にSteven Wilsonが手掛けたリミックスはそれ以上弄らずそのまま収録する方針へと改められたのでありましたとさ。

 

Flat Transfer

気を取り直したことにしてフラット・トランスファーだけど、マスターテープ由来のノイズはしっかり入っているものの十分鑑賞に耐えうる音源。

25周年リマスターがクッキリ系なのと比べると高音域がまったり柔らかめで中低音もそれなりながら、オリジナル・ミックスってそういうものですよねという感じ。

ただ、基本的にはそういう感じなんだけど、以前持っていたLPや非リマスターCDに比べるとそこはかとなく音圧高めなように思えるのはなんなんだろう。

あと非リマスターCDには楽曲が終わった最後の無音部分に歌い終わったイアン・アンダーソンの“Yeah”って声が入っていたのだけど、Peter MewマスタリングのSWリミックスにもこのフラット・トランスファー音源にもその声は入っていない。もともとのLPには無いものだからカットしたのか、じつは非リマスターCDとこの音源で元になってるマスターテープが違ったりする可能性もあるだろうか。

 

 

2015年以降の配信音源

Aqualung』の記事でもちらっと触れたけど、『Aqualung』と今作『Thick as a Brick』は2015年のデジタル・リリースではじめてPeter Mewマスタリングではない純粋なSWステレオ・リミックスが登場した。しかもApple Musicで聴けます(SpotifyにはPeter Mewマスタリングのほうしか無いっぽい)。

ということは40th Anniversary Special Collector's Editionの交換ディスクに収録の純粋なSWサラウンド・リミックスと組み合わせれば両方を聴ける…ってやってられるかー

ぶっちゃけとっくの昔に売り切れた上に交換ディスクが手に入る保証はまったくないCollector's Editionのことは一旦忘れて、サブスクやハイレゾ音源のダウンロード購入でステレオ・リミックスを聴いておくのが現状の最適解だと思います。

たぶんきっとそのうち『Aqualung』のAdapted Editionにあたるようなものがリリースされるはず……(というか来年50周年だしわりとマジでありうるのでは?)

 

 

geo.music.apple.com

純粋なSWステレオ・リミックスは楽曲が終わったあとにイアンの“Yeah”が入っているので、入っていないPeter Mewマスタリングと簡単に判別できます。

 

 

*1:リリースは9月頃

*2:Morgan Studiosに16トラック録音用機材が導入されたおそらくごく初期の録音に1970年4月THE KINKSの『Lola versus Powerman』関連セッションがある

*3:Gestationは妊娠(期間)や、そこから連想されるアイデアを温めていた期間、病気が潜伏していた期間などの意。どちらにせよなんでやねん

*4:鉱滓、転じて「残りカス」だが、もっと汚いニュアンスが含まれる言葉でもある

*5:というか最近某ディスク○ニオンが中古品入荷のお知らせでこのエディション紹介してたけど、やっぱりDVDがエラー盤なのか交換済みなのかにはまったく触れられてなかった

*6:ステレオ・リミックスのほうはPeter Mewマスターのままらしい

*7:なにせTHE BEATLESのレコーディング・セッションでも卓についたベテランなので、けっこうなお年であったことだろう

Aqualung / JETHRO TULL (1971/2011/2016)

 

Aqualung

Aqualung

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1971年3月19日リリース、JETHRO TULLの4thアルバム。

音楽的には前作を引き継ぎつつ、ひとつひとつの楽曲に投入する要素を絞ってより明快に仕上げた傑作。「Aqualung」「Locomotive Breath」といったハード・ロックの名曲、フォークタッチの魅力的な小曲たち、そして「My God」「Wind-Up」等のこれまでよりインパクトの強いテーマを扱いつつ音楽面の聴かせどころも用意された楽曲を含む。オリジナルのステレオ・ミックスはあんま音質よくないです。

 

  • イアン・アンダーソン Ian Anderson:Flute, Acoustic Guitar and Voice
  • クライヴ・バンカー Clive Bunker:A Thousand Drums and Percussion
  • マーティン・バー Martin Barre:Electric Guitar and Descant Recorder
  • ジョン・エヴァン John Evan:Piano, Organ and Mellotron
  • ジェフリー・ハモンド Jeffrey Hammond-Hammond:Bass Guitar, Alto Recorder and Odd Voices

 

JETHRO TULLは前作『Benefit』ののち1970年4月にMorgan Studiosで次なるアルバムのためのセッションを開始するが3曲ばかり作ったところでツアーに入り、ワイト島フェスティバルやカーネギーホール公演など、この時期のハイライトとなる充実したパフォーマンスを行った。

そしてイアン・アンダーソンはツアー終了とともにオリジナル・メンバーでベーシストのグレン・コーニックを解雇、JOHN EVAN BAND時代のバンド仲間で絵画の勉強をしていたジェフリー・ハモンドを加入させる。とうとうやりやがったなこいつ……

 

アルバムのレコーディングは1970年12月から翌1971年1月にかけて、設立されて1年に満たないIsland Studiosでおこなわれた。ちょうどLED ZEPPELINも4枚目のアルバムのレコーディングをしていて両者の間で交流があったとか。

そしてこのレコーディングがえらく難航した。エンジニアは馴染みのRobin Blackと予定が合わず、代わりにこれまでセカンド・エンジニアを務めツアーのローディーも担当したJohn Burnsを起用したものの彼はこの時点でまだ経験が浅く、慣れないスタジオでメンバーもエンジニアもはじめての16トラック録音、停電やコンソール・ルームごとの音響の違い、どうにかこうにか形にしてマスタリングのためにApple Studiosに持ち込んだらIslandで再生するのと全然違った音になってまた混乱と、苦難の連続だったらしい。

結局出来上がったアルバムは内容面の充実に対して音質はもやっとしていてどの楽器もナローレンジ、レイアウトもベースやギターが謎にちょっとずらして配置されてたりとこれぞブリティッシュ・ロックの醍醐味的なサウンドとなった。

 

ジャケットのイラストはイアン・アンダーソンの当時のパートナーであるジェニー・アンダーソンが撮影した浮浪者の写真をもとに、アメリカの画家Burton Silvermanが手掛けている。

基本的にテリー・エリスの采配のもとあつらえられたもので、イアン自身ジェニーの写真にインスピレーションを得てAqualungというキャラクターというかコンセプトを作り出したものの、ジャケットの浮浪者の容貌があきらかに彼に寄せられていることは知らなかったとか。

加えて完成したアルバムはLPのA面に“Aqualung”、B面に“My God”とそれぞれ副題がつけら、裏ジャケには両者を結びつける大仰な文章が記載されたが、このあたりについてイアンがどの程度関わっていたのだろうか。

 

 

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A1「Aqualung

ギターリフとそれに伴うアコギが猥雑さを強調する感じの、ジャケットに描かれる浮浪者Aqualung(呼吸するたびに潜水器みたいな音でも立ててるってことだろうか)の一人称歌詞ではじまり、アコースティックの引いた曲調に移って天の声的なやつが登場し、そこからテンポを上げてギターソロに突入する。このギターソロが絶品なのだけど、バックの音形が完全にBLUE ÖYSTER CULT「Astronomy」だったりすので案外これが元ネタかもしれない。

上に貼ったクリップはわりと最近になってタルの公式アカウントがアップロードしたMV。50周年だからでしょうか。

 

A2「Cross-Eyed Mary」

メロトロン! それはそうと後にIRON MAIDENがシングルB面でカバーした曲。

 

A3「Cheap Day Return」

アコギの小曲その1で、歌詞とあいまってなんとも侘しい感じ。

他の曲で言及される地名がロンドンのハムステッドなのに対しここではプレストンまで足を伸ばしていることが伺える。ちなみにイアン・アンダーソンはブラックプール出身。

 

A4「Mother Goose

リコーダーなアコースティック曲。前作『Benefit』ではどの曲もアコースティック一辺倒やハード・ロック一辺倒にならないようあれこれ手を加えてる印象だったけど、今作ではアルバムの要所になるいくつかの曲を除くとわりとひとつの曲ではひとつの調子を維持する傾向がある。

 

A5「Wond'ring Aloud」

ピアノがいい味出してる小曲。歌詞は朝チュン

 

A6「Up to Me」

フォークタッチな小曲たちのなかでも、これはちょっと塩辛い感じ。

 

 

B1「My God」

イアン・アンダーソンのフルートを大々的にフューチャーしたトラックで、フルートソロで最初激しくブロウしてると思ったらおもむろに響きを整えて合唱が入ってくるのが好き。

タイトルはよく欧米の宗教家のかたの著書名として紹介されるやつ。

 

B2「Hymn 43」

キャッチーな曲調とキャッチーな歌詞のもの。

 

B3「Slipstream」

後にビデオのタイトルになったアコースティックな小曲で、デヴィッド・パーマーによるストリングス・アレンジが秀逸。

 

B4「Locomotive Breath」

ピアノのイントロからギターが入ってきてベースがブンブンいうところはやたらかっけーのだが、そこから先これといってなにも起こらないのでかなり戸惑ったトラック。歌詞の方ではいろいろ起こってそうな様子。

 

B5「Wind-Up

ピアノとアコギでなにやら信仰の告白のようにはじまり、次第に熱量が増加していってエレキギターがフューチャーされたハードなパートに突入。

前作『Benefit』収録「For Michael Collins, Jeffrey and Me」とも共通するんだけど、「My God」にしろこの曲にしろ単純な宗教批判というよりは「既存の共同体からの疎外感」みたいなものがテーマの中心にあるように思える。その疎外感は宗教とも密接に結びついていて、そうした点がより多くの人々に訴えかけたんじゃないだろうか。

 

 

コンセプト・アルバム

イアン・アンダーソンや他のメンバーたちは一貫して否定しているが、「『Aqualung』は宗教を題材としたコンセプト・アルバムである」というような受け取られ方や評価のされ方をすることは非常に多い、あるいは多かった、らしい。

 

たしかに歌詞の内容はA面でAqualungという象徴的な「疎外された」人物が登場し天の声っぽいものまで聞こえてくるタイトル・トラックを手始めにそれぞれ内に疎外感を抱えた人々を描写していき、B面に入るとより内面とそこで当然行き当たる宗教との関係に踏み込み、最後「Wind-Up」でいよいよ核心の一端に触れる、と容易に解釈できる。

ビジュアル面でいうと寓話的なイメージを増幅させる水彩画によるイアン・アンダーソン「扮する」浮浪者のジャケット、見開きにはおなじくメンバーたちが扮する乱痴気騒ぎに興じる人々、そして裏ジャケの「Aqualung」と「My God」を結びつける聖書になぞらえた文章。

ひとつのパッケージとしてみた場合、こんだけやっといてコンセプト・アルバムじゃないと言う方がむしろ無理があるとすら思える。

なんならアルバムをそのアートワークやそこに記載された文章までアーティストから提供されたものとして信頼して目を通した好意的なリスナーほど、今作をコンセプト・アルバムとして受け取ったんじゃないだろうか?

一方でそれぞれの楽曲に音楽的な繋がりはほぼ無いと言ってよく、たんに歌詞のテーマが似たりよったりな曲を並べてみたらこうなった、というのも状況的にはそのとおり。

 

まあぶっちゃけアルバムというフォーマットが複数の楽曲を並べてそれを連続で聴いていく形になってる以上、聴く人間は編集者の意図がどうであれその楽曲間になんらかの繋がりを見いださずにはおれないわけで、そこに偶然にせよ狙ったにせよこれだけお膳立てが整ったものがお出しされたらそりゃコンセプト・アルバム認定待ったなしやろなぁ、というのが正直なところです。たぶんコンセプト・アルバムということにした方が売れると考えた誰かがいたのでしょう。

別な言い方をするなら、たとえば『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』がコンセプト・アルバムな程度にはこれだってコンセプト・アルバムだし、違う程度には違うんじゃないでしょうか。

せっかくだしコンセプト・アルバムにしといたほうが都合良さそうなとこではコンセプト・アルバムでございってことにしといて、うかつにそういう事言うと面倒くさそうな場面ではコンセプト・アルバムだなんて滅相もございませんとか言っときゃ良いんじゃないかと思わんでもないし、実際本人たちが意図したかはともかくそれに近いどっちつかずな立ち位置にうまいこと収まったような気もする。

もちろんそれは「そんなに言うなら本当の「コンセプト・アルバム」ってやつをみせてやらぁ!」みたいなノリで作られた次作『Thick as a Brick』があったうえでのものなわけだけど。

 

 

2011 40th Anniversary Collector's Edition

Aqualung: 40th Anniversary

Aqualung: 40th Anniversary

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2011年のアルバム40周年を記念してリリースされた、1LP+2CD+DVD+BDの豪華ボックス*1

持ってないけど次のエディションとの内容の差異がすごくめんどくさいことになってるので、整理するためにこちらの内容についても触れておきます。

 

これは2008年『This Was』、2010年『Stand Up』に続く3つ目のCollector's Edition(しれっととばされる『Benefit』)で、はじめてSteven Wilsonがリミックスを担当し、ステレオだけでなくJETHRO TULLのアルバムでおそらく初となるサラウンド・リミックスまで制作された。

このリミックス作業とその仕上がりでイアン・アンダーソンの信頼を得たSteven Wilsonはこれ以降JETHRO TULLのバック・カタログのリミックスを全面的に任されることになるが、それだけでなく翌2012年にはイアンの新作ソロ・アルバム『Thick as a Brick 2』のミキシングまで担当することに。このように、このリイシューはこれ以降の一連の流れのきっかけとなった重要なプロダクトだったと言えるんじゃないだろうか。

ただしこのリイシューの段階ではSteven Wilsonにすべての裁量が委ねられていたわけではなく、Steven Wilsonが手掛けたステレオとサラウンドのリミックスを最終的にベテランエンジニアのPeter Mewがあらためてマスタリングして仕上げられている。サブスクでステレオ・リミックスを聴いた感じSteven Wilsonだったらやらない程度には音圧が上げられ、ブライトだけど多少窮屈さを感じる音質になっている。

 

収録内容

  • LP:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • CD1:SWステレオ・リミックスのアルバム本編
  • CD2:Additional 1970 & 1971 Recordings
  • DVD:SWステレオ及びサラウンド・リミックス、Quadミックス
  • BD:DVDの内容に加えアルバム本編フラット・トランスファー

CD1とCD2の2枚組パッケージもリリースされ、そちらはサブスクでも配信されている。

 

 

Associated 1970 & 1971 Recordings

CD2とDVDのAssociated 1970 & 1971 Recordingsは、読んで字の如く『Aqualung』前後の1970年から1971年にかけて制作された別テイクやボツ曲、そしてEPのトラックを収録。

基本的にSteven Wilsonによってあらためてリミックスされており、一部を除いてステレオだけでなくサラウンドも制作されているが、EP『Life Is A Long Song』のB面に相当する3曲だけはオリジナル・ミックスのPeter Mewリマスターが収録された。

 

CD2-1「Lick Your Fingers Clean」

シングル曲になる予定でChrysalisのカタログナンバーまで割り振られたものの、なんか計画が流れたトラック。のちに改造手術が施され「Two Fingers」の名で『WarChild』に登場した。

 

CD2-2「Just Trying to Be」

このあとコンピ『Living in the Past』に収録されたボツ曲。1970年4月の録音だけどベース不在のアコースティック曲なのでグレン・コーニックは不参加。

 

CD2-3〜7はアルバム制作中のアーリー・テイクが中心。

これらのうちCD2-3「My God (Early Version)」は1970年4月のテイクで、グレン・コーニックによるマスター・テイクより積極的なベースが聴けるほか、中間部のアレンジも興味深い。

またCD2-5「Wind-Up (Early Version)」は1974年に制作されたQuadミックス版でなぜかマスター・テイクと間違えて使用され、後に1996年のリマスター盤CDに「Quad Version」として収録された経緯がある。

このCollector's Editionでは「My God (Early Version)」のみステレオ・リミックスだけでなくサラウンド・リミックスが制作されたが、後にAdapted Editionで「Wind-Up (Early Version)」のサラウンド・リミックスも追加された。

 

CD2-8「Wond'ring Aloud, Again (Full Morgan Version)」

1970年4月に制作されたトラックで、アルバムに収録された「Wond'ring Aloud」の初期バージョンにあたるもの。

アルバムでは2分に満たない小曲だがこちらは7分という「My God」に並ぶ長さで、もともと『Benefit』の延長線上にある手の込んだ楽曲だったその前半部だけがアルバムに採用されたことがわかる。

不採用となったこのテイクの後半部分は「Wond'ring Again」のタイトルで1972年のコンピ『Living in the Past』に収録され、このAssociated 1970 & 1971 Recordingsではじめてその全容が明かされた。

このトラックもCollector's Editionではステレオ・リミックスのみだったが、Adapted Editionであらたにサラウンド・リミックスが追加された。

 

CD2-9〜13は『Aqualung』より後、1971年9月にリリースされたEP『Life Is a Long Song』のトラック。

これらは1stアルバム以来となるSound Techniquesでレコーディングされ、ドラマーがクライヴ・バンカーからバリモア・バーロウに交代して初の作品となった。Island Studiosで痛い目にあったから懐かしのスタジオに戻ってみたとかそういうのもあるだろうか。

ここではA面の2曲がSWリミックス、B面の3曲がオリジナル・ミックスのPeter Mewリマスターで収録されているが、この後Adapted EditionではA面2曲のSWリミックスと5曲すべてのフラット・トランスファー音源という形に置き換えられた。

 

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CD2-14は恒例のUS Radio Spot。

 

 

2016 40th Anniversary Adapted Edition

Aqualung

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2016年にリリースされた40th Anniversary Adapted Editionは、先に扱った40th Anniversary Collector's Editionの内容を引き継ぎつつ、パッケージを2CD+2DVDのデジブックに変更して再発したもの。

BDがオミットされてDVDが2枚になり、収録内容の追加や音源の差し替えなどが行われている、言ってしまえば「修正版」とか「アップデート版」みたいなもの。

 

Adapted Editionでの変更点を挙げると、

 

  • Steven Wilsonによるリミックス音源のマスタリング

Collector's EditionではSteven WilsonのリミックスすべてにPeter Mewがマスタリングを行い音圧高めに仕上げていたが、このAdapted Editionではそれらのマスタリングが取り除かれSteven Wilsonがミキシングしたそのままの音源に差し替えられた。全体的に音圧低めダイナミックレンジ広めで、個人的にはCollector's Editionより好ましい音質。

 

同EPからの5曲はCollector's Editionでは2曲がSWリミックス、残り3曲がPeter Mewリマスターで収録されていたが、Adapted Editionではあらたに全曲のフラット・トランスファー音源が用意された。それに合わせてAssociated 1970 & 1971 RecordingsはSWリミックスの2曲とフラット・トランスファーの5曲両方を収録する形に変更となっている。

 

  • BDがオミットされDVD2枚に

Adapted EditionではBDがなくなったので、各種サラウンド音源のDTS-HD Master AudioがなくなりDTS 96/24とDolby Digitalのみ(つまり非可逆圧縮の音源のみ)になった。
その代わりAdapted EditionのDVDには2曲のサラウンド・リミックスとEP『Life Is A Long Song』5曲のフラット・トランスファー音源、そして「Life Is A Long Song」PV映像が追加収録された。PVは上に張ったBeat-Clubのものから映像に被せてある女性や文字を取り除いて音源をSWステレオ・リミックスに変更したもの。

 

という感じで、収録音源もちょっと増えたけどそれ以上に問題なのはそのマスタリングの違いとなっている。ついでに言うと「Steven Wilsonがミキシングしたそのままの音源」がリリースされたのは2015年のデジタルリリースが最初だけど、同時期に出た単品CD(記事の頭に貼ったやつ)のほうはPeter Mewマスターのままだったりした。

自分は最初のうちそもそも40th Anniversary Collector's Editionと40th Anniversary Adapted Editionが別のタイミングでリリースされたものだってことすらわかってなくてすごく混乱しました。ていうかこの記事を最初「いうてそこまで違いはないっすよ」くらいのノリで書いてたら変更点がぼろぼろ出てきて何回も書き直した。

 

 

以下はAdapted Editionで聴いた各種音源の所感。

 

Quad Mix

1974年にイアン・アンダーソン監修のもとRobin Blackによって制作された音源で、CD-4方式のLPのほか8トラック・カートリッジとリール・テープでリリースされた。

Aqualung」は昔のQuad盤でよくある「ほ〜ら4chですよ〜」みたいにやるために1曲目だけやたら変なミックスになってるやつでヴォーカルに変なエコーがかかってる。

Wind-Up」は上記したように別テイクで、マスター・テイクと比べて練れてない腰の軽い感じがある。オーバーダブも最低限でサウンド自体ちょっとショボい。

レイアウトは全体的にごちゃっとしていて、楽器をあっちゃこっちゃ配置した結果リズムの要になっている楽器と他の楽器のあいだのつながりが途切れてしまい、ステレオとおなじトラックからミキシングしてるはずなのにそうは思えないような箇所が散見されたり。

でも音質自体は2chステレオよりあきらかに良くて、各楽器の音の質感や量感に加えてQuadミックスでしっちゃかめっちゃかになってる結果オリジナルのステレオ・ミックスのレイアウトの微妙さから解放されてもいるのですよね。

海外の掲示板でSteven Wilsonによるリミックスがリリースされるより前の「Aqualungのベスト・バージョンはQuadリール!」みたいな書き込みを見かけた記憶があるけど、こうして聴いてみるとたしかにその意見にも一理あると思える。当時はだれにも相手にされてなかったけど(たぶんリール・テープなんて限られたひとしか聴いてなかったんだろう)。

 

Stereo Remix

一言でいうと劇的改善。オリジナルのステレオ・ミックスと比べてあきらかに音質が良く、すべての楽器のスカスカだった中低音や減衰していた高音が蘇っている。おそらくミックスダウン作業の拙さの結果ヒストリカルな響きになってたピアノがちゃんとピアノの音になっているし、パタパタポコポコとヘッドの音がするばかりだったドラムの胴鳴りが聴き取れる。

レイアウトは見事なまでにオリジナルのステレオ・ミックスを再現していて、中途半端な位置にずらされたベースまでそのまま。そりゃ弄っちゃったら全部の音の関係性にまで影響してしまうといえばそのとおりなんだけどさぁ……。

なんならこれからこのアルバム聴くひとはこっちだけ聴いときゃ十分なんじゃないでしょうか。

Associated 1970 & 1971 Recordingsのほうのステレオ・リミックスも良好です。

 

この記事を書き上げた当初続けて

ただちょっと気になるのが、後述するアルバム本編のフラット・トランスファーとあらためて聴き比べると、このステレオ・リミックスは特に高音域に妙な窮屈さというか、音が詰まった感じがあるようにも思えるんですよね。おなじSteven Wilsonが手掛けた他のアルバムのステレオ・リミックスではこういう感じは受けないんだけども。

という文章を載せてあったんですけど、じつはこれ書いてた時点でDVD収録のハイレゾ音源ばっかり聴いてCDのほうは聴いてなかったんですよね。

上記した2011年盤の「Steven WilsonのリミックスをPeter Mewがあらためてマスタリングした」という話でふと思い至ってCDやサブスクにある2011年版と2016年版それぞれのステレオ・リミックス音源と比較したりしたところ、具体的な数値で出せないあくまで印象でしかないんだけど、「Adapted EditionのDVD収録のステレオ・リミックス音源は、Collector's EditionとおなじPeter Mewマスターではないか?」という疑念が拭えなくなってきました。

でも自分の感覚ほど当てにならないものもありはしない訳でして、ちゃんと検証するにはDVDからデータ取り込んだりしなきゃならないんだけど正直しんどい。勘違いであってくれ。

 

Surround Remix

ステレオのレイアウトをとても尊重していることが伺えるリミックスで、曲によって鍵盤がリアに定位したりエレキギターやドラムの一部がリアに単身赴任してくることもあるが、基本的にかなりフロント側重点。

Quadのように各トラックを4つのスピーカーにあらためて配置し直すのではなく、ステレオのレイアウトを元にリア側にも各トラックの音が混ぜ込まれ、音同士の繋がりを維持しつつ前後感を出して重層的に配置していってる感じ。

オリジナルのステレオ・ミックスにおける音と音の間の繋がりや関係性はそのまま2つのスピーカーという制約から解き放たれているイメージで、ステレオ・リミックスで感じた妙な窮屈さもこちらには無い。

「My God」でフロント側にフルート3つ、リア側に合唱が対峙する場面とか「そうそう、こういうのが聴きたかったんです!」ってなる。

ただしQuadが「まあどうせ当時のミックスだしな〜」と逆にいいとこ探しみたいな姿勢で聴きがちなのと比べると、「この音とこの音がおなじトラックに詰め込まれてなけりゃ……」とか「そもそもなんでオリジナルのミックスはこんなちょっとずらした音の配置してんだ」みたいな歯がゆさを感じる箇所があったりもする。

「Hymn 43」は音がフロントにまとまっててステレオ・リミックスとおなじようにあんまぱっとしないし、「Wind-Up」中間部のエレキ・ギターもオリジナルのレイアウトと同じくバッキングがフロント左、ツインギターがヴォーカルに寄り添うフロント・センター寄り右に定位しててスパッと左右対称にも前後対称にもなってくれない。

Associated 1970 & 1971 Recordingsのほうのサラウンド・リミックスも同じく良好で、もともとアルバム本編ほど作り込まれた状態じゃない分逆に引っかかるような箇所もないかもしれない。

特に中間部のアレンジの違いがおもしろい「My God (Early Version)」や奇しくもQuadミックスと聴き比べできるようになった「Wind-Up (Early Version)」あたりは素直にサラウンドをたのしめる。

 

Flat Transfer

これまでに扱ってきた『Stand Up』『Benefit』のフラット・トランスファー音源と比べてはっきりとマスターテープの劣化が音に現れている。

でも全体的に曇ってるなりに伸びやかでなめらかな音で、これはこれで捨てがたい魅力のある音源です。

 

 

ところでJETHRO TULLのバックカタログはサブスクに旧リマスター、SWリミックスが揃ってることがわりと多くて(例外は『WarChild』くらいだろうか)、『Aqualung』にいたってはSWリミックスのPeter Mewマスターと非マスターまで聴き比べることができるので、ちょっと試しに並べてみました。

 

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1996年版、25周年リマスター。

 

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2011年版、Steven WilsonリミックスのPeter Mewマスター。

 

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2016年版とおなじ純粋なSteven Wilsonリミックス。

 

さあみんなも聴き比べてみよう!

 

 

*1:なおBD1枚あれば収録音源ぜんぶ聴ける模様

Stand Up / JETHRO TULL (1969/2010/2016)

 

Stand Up

Stand Up

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1969年7月25日リリース。イギリスのバンドJETHRO TULLの2ndアルバム。

JETHRO TULLのアルバムではじめてイアン・アンダーソンが全曲の作詞作曲を手掛け、前作の延長線上にあるブルース調のヘヴィ・ロックからフォーク色の強いトラックにクラシックの翻案など、グッとバラエティ豊かになった(わりにきらびやかさに欠けるあたりがこのバンドらしい)。

 

  • グレン・コーニック Glenn Cornick : Bass Guitar
  • クライヴ・バンカー Clive Banker : Drum, All manner of Percussion
  • マーティン・バー Martin Lancelot Barre : Electric Guitar, Flute on track 2 and track 9
  • イアン・アンダーソン Ian Anderson : Flute, Acoustic Guitar, Hammond Organ, Piano, Mandolin, Balalaika, Mouth Organ, Sang

 

1stアルバム『This Was』と続くシングル「Love Story」を最後にそれまで重要な役割を担っていたギタリストのミック・エイブラハムズが脱退。

これによってイアン・アンダーソンがバンドの実権を掌握し、以降今日まで続くJETHRO TULL=イアン・アンダーソンという図式が出来上がる。

 

次なるギタリストはバンドと交流があったトニー・アイオミ*1なる人物に決まりかけたものの、彼はバンド内の人間関係に馴染めずTHE ROLLING STONESが主催した『Rock and Roll Circus』の撮影に参加したのみで離脱してしまう。これはイアン以外のメンバーは当て振りだったので、残念ながらタルにおけるアイオミのプレイの記録は残されなかった。

THE NICEのデヴィッド・オリストやTOMORROWのスティーヴ・ハウに声をかけてみたり紆余曲折あったようだが、結局次のギタリストはGETHSEMANEというバンドにいたマーティン・バーに決定。なかなかになかなかな名前のバンドやなぁと思ったけどそれを言ったらNAZARETHとかも大概だしそんなもんか。

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バンドは彼が加入して早々のヨーロッパ・ツアーから初のアメリカ・ツアー、その道中でシングル「Living in the Past」レコーディングと精力的に働き、1969年の4月17日から5月21日にかけてロンドンのMorgan Studiosで2ndアルバムの制作に取り組んだのでありましたとさ。

プロデュースは前作とおなじくマネージャーのテリー・エリスとバンド自身により、エンジニアはAndy Johns。

 

JETHRO TULLのイアンに次ぐ重要人物となるマーティン・バーは以前日本で「マーティン・バレ」というフランス読みのカタカナ表記で紹介されたりミドルネームが「Lancelot」だったりと、いかにもフランスっぽい名前なバーミンガム出身のギタリスト。家系のルーツはフランスにあるらしい。

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彼のギターは今作の段階ではミック・エイブラハムズと比較すると物足りない面がないとは言い切れないが、メンバー個々の演奏を主軸にしていた前作からアレンジや音作りにこだわった楽曲そのものを聴かせる方向性が強まった今作の変化によく適応していて、すでにエイブラハムズの抜けた穴を補って余りある成果をあげているんじゃないかと。

加えて前作『This Was』は4トラック録音だったが今作は8トラック録音であり、エンジニアのAndy Johnsがレコーディングに際して様々なアイディアを提供したことも相まってメンバーの創作意欲が高まり、自ずと録音作品として趣向を凝らす意識が強まったのではないかと思う。

 

前作ではミック・エイブラハムズがリズムの要だったが今作ではマーティン・バーが健闘してるのに加えて、クライヴ・バンカーのドラムもよりシャープになったように感じる。一方グレン・コーニックのベースが意欲的にソロをとったりしつつもなんとなくもたつく感じなのは指弾きだとそうなりがちって面もあるだろうか。

 

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アルバムのジャケットは渡米中に知り合ったJames Grashowという木版画家による作品で、ゲートフォールドの見開きにはバンドメンバーのポップアップがあしらわれていた。

ジャケットの可愛いようで可愛くないわりとキモいデフォルメされたメンバーのイラストとファンシーみあるポップアップからの、いざアルバムを再生すると“It was a new day yesterday, but it's an old day now”とかいう「My Back Pages」のネガティブなパロディみたいな歌詞の重っ苦しい曲がはじまりなんか思ってたのとちゃうぞってなるのでした。

 

 

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A1「A New Day Yesterday」

前作の延長線上にあるヘヴィなブルース・ロック。ミック・エイブラハムズがあくまでピッキングのニュアンスを失わない範囲内でギターを歪ませていたのに対して、こちらはもっと思いきりよくサウンドを弄っている。また前作ではギターソロのバッキングにうっすらともう1本ギターを加える程度だったがこのトラックでは最初から大胆に2本のギターを使っていて、アプローチの違いとともにMorgan Studiosの8トラック録音をさっそく活用している様子が伺える。なんでもギターにレスリースピーカー風の効果を加えるためケーブルに繋いだマイクロフォンを振り回して録音したりしたらしい。

 

A2「Jeffrey Goes to Leicester Square」

ジェフリーふたたび。イアン・アンダーソンがエフェクトのかかったバラライカを弾いてる。なんかフレーズがちょくちょくレナード・バーンスタインの「America」っぽいような。フルートはイアンじゃなくてマーティン・バー。イアンより上手くね?

 

A3「Bourée」

JSなバッハのリュート組曲主題を用いたジャズ色強めのインストで、前作の「Serenade to a Cuckoo」とこのトラックの違いがブルースやジャズ的な演奏重視からより作曲を重視する方向へ移行したことを象徴しているような感じもある。制作が難航した結果このトラックだけ4月24日Olympic Sound Studiosでのテイクが採用されている。ちょうどこの日はMorgan Studiosが使えず、Andy Johnsに頼んで彼の兄Glyn Johnsが働くOlympic Sound Studiosを都合してもらったらしい。

 

A4「Back to the Family」

なかなか凝った展開でハード・ロック的な盛り上がりもあるトラック。歌詞はイアン・アンダーソンの私小説風。

 

A5「Look into the Sun」

イアン・アンダーソンがいよいよ詩人としての才能も発揮しはじめたのと同時に、いよいよ自分が苦手なタイプのやつも出てきたなってなるトラックで、詩とその雰囲気作りを重視するあまり音楽的にはほとんど停滞してしまっている。こうなると自分のような空気も読めなきゃ詩情も解さない木偶の坊はぼんやり曲が終わるのを待ってることしかできなくなるのです。エレキギターがひかえめに賑やかしてはいる。

 

 

B1「Nothing Is Easy」

これもわりと凝った展開の楽曲で、ライブでとりあげられる機会が多かった。

 

B2「Fat Man」

歌詞に感動した。それはともかく東欧というかインドというかなフォーク曲で、イアン・アンダーソンがマンドリンも弾いてる。間奏をはさんでレイアウトが左右反転するのはなんか意味があるのかやってみただけなのか。

 

B3「We Used to Know」

12弦ギターのイントロとレゲエのリズムを加えていれば全米第1位が狙えたやつ。マーティン・バーがワウを効かせたなかなかドラマティックなギターソロを披露している。あとギターソロがあけてちょっとしたあたりで左chのアコギが一瞬空振りしてドキッとしたり。

 

B4「Reasons for Waiting」

イアン・アンダーソンがめずらしく素直に朗々と歌ってるアコースティック中心のトラック。ともすると「Look into the Sun」とおなじ問題が頭をちらつくけど、こちらはデヴィッド・パーマーのストリングス・アレンジが華を添えている。

 

B5「For a Thousand Mothers」

ヘヴィ系の「A New Day Yesterday」に対するハード系みたいな激しめの楽曲。一度終わったように見せかけてまたはじまるけど、このとき転調してちょっと明るい雰囲気になるのがいい。これも家族ネタっぽい歌詞。

 

 

このアルバムはイギリスでアルバム・チャート第1位を獲得、ヨーロッパやアメリカでも成功をおさめバンドにとって重要なステップアップになった。

本人たちも手応えがあったらしくインタビューでお気に入りのアルバムみたいな話になるとたいてい言及されてる気がする。

 

 

2010 Collector's Edition

Stand Up

Stand Up

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2010年にリリースされたCollector's Editionは2CD+DVDの3枚組。ポップアップも再現。

  • CD1:2001年リマスターのアルバム本編+ボーナストラック
  • CD2:新規ステレオ・リミックスによる1970年11月4日カーネギーホール公演ライブ音源
  • DVD:新規ステレオ&サラウンド・リミックスによる1970年11月4日カーネギーホール公演ライブ音源(音声のみ)+イアン・アンダーソンへの2010年インタビュー

リマスターとリミックスはすべてPeter Mewによる。

 

CD1

アルバム本編は2001年リマスターの使いまわしといえば聞こえは悪いが、特に不満のない出来栄えなのでべつにこれでいいんじゃないでしょうか。

 

ボーナストラックは2001年盤からかなり増えている。

 

CD1-11および15「Living in the Past」とCD1-12「Driving Song」は『Stand Up』に先駆けて1969年4月末にリリースされたシングルのAB面。

 

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「Living in the Past」

JETHRO TULLにしてはめずらしいポップな佳曲で、タイトルを読んで字の如きテーマの歌詞と古めかしいストリングスにモヤッとした音質が相まって「Village Green」あたりの(つまりわりと近い時期の)THE KINKSというかレイ・デイヴィスを連想する雰囲気がある。

アメリカ・ツアーの途中ニュージャージー州エスト・オレンジにあるVantone Sound Studioというボロい(らしい)スタジオで録音され、New York Symphony Orchestraなる楽団のメンバーを雇ってLou Tobyというアレンジャーのもとストリングス・アレンジが施されたが、楽団員たちはきちんとリズムがとれず苦労したらしい。

New York Symphony Orchestraとは?ってなるけどまあたぶんニューヨークフィルのことじゃないかな……(さすがに“Living in the Past”ってフレーズとニューヨークフィルの来歴を踏まえてあえてこう記述したわけでもないだろう)。

それはさておきマネージャーの「ここらでひとつヒット曲作れない?」って要望に合わせさくっと作られたこの曲はさくっとイギリスのシングル・チャートで3位まで上昇し、押しも押されぬバンドの代表曲のひとつになったのでした。たぶんJETHRO TULLというバンドを「「Living in the Past」のヒットで知られグラミー賞を受賞した…」みたいに紹介するとむっちゃ嫌がられる。

1972年には同じ『Living in the Past』というタイトルのコンピレーションにステレオ・リミックス版が収録されたが、これは一部演奏の差し替えが行われているのと、元のモノラル音源がボロいスタジオでミックスしたからかだいぶモヤッとした音質だったのに比べて随分くっきりした音になっている。

この2010 Collector's Editionにはオリジナルのモノラル音源(CD1-15)と1972年ステレオ・リミックス音源(CD1-11)が収録。

 

「Driving Song」

「Living in the Past」制作後にB面も必要だよねってことでハリウッドのWestern Recordersで制作された。「Living in the Past」は「オリジナル・リリースのモノラル音源」と「1972年のステレオ・リミックス」なのにB面のこっちはふつうにステレオ音源じゃん!という至極もっともなツッコミどころがあるんだけどここではあえてスルーします。

 

CD1-13「Sweet Dream」とCD1-14「17」はアルバム『Stand Up』とそこからのシングル・カット「Bourée」の後、1969年10月ごろにリリースされたシングルのAB面。ちなみに「Bourée」のB面は「Fat Man」だった。

 

「Sweet Dream」

「Living in the Past」より凝った構成を持ちつつイギリスのシングル・チャートで7位まで上がった快作で、イアン・アンダーソンも手応えがあったのか1981年の『Slipstream』でとりあげられミュージックビデオが作られたりした。

 

「17」

なんかTHE BEATLESだかそのメンバーのソロだかで聴いたことあるようなギターリフをずっと繰り返してるやつ。

2001年盤ボートラには『20 Years of Jethro Tull』の際に編集された3分程度でフェードアウトするバージョンが収録されていたが、こちらはちゃんとフルバージョンになっている。とはいってもヴォーカル・パートが終わった後の同じリフ繰り返しながらずるずる続けてる部分が長いだけだけど。

それにしても「Sweet Dream」はステレオで「17」はモノラルなのはどういうこっちゃ。

 

CD1-16~19は1969年6月16日のJohn Peel Session音源。

 

CD1-20と21は1969年当時Reprise(JETHRO TULLアメリカでのリリース元)が制作した『Stand Up』ラジオCM。いろんなバンドのこういう音源だけ集めたプレイリストを作りたくなる。

 

CD2&DVD

CD2とDVDは名演として知られる1970年11月4日カーネギーホール公演の実況録音

もともと1972年のコンピ『Living in the Past』に「By Kind Permission Of」と「Dharma for One」の2曲が収録され話題を呼び、1993年『25th Anniversary Box Set』でその2曲を省いた残りのトラックがお披露目された。

この2010 Collector's Editionではそれら全曲をMC含むカットされていた部分まで収録し、Peter Mewがステレオとサラウンドでリミックスをおこない音質もずいぶんクッキリした(べつに元もそんな悪くないけど)。

あえて言うなら次のアルバム『Benefit』に伴うツアーからの音源をなんで『Stand Up』と組み合わせたんやと思わないでもないけど、まあ「ある程度売上が見込める大ヒットアルバムの豪華リイシュー」だからこそこうした音源もきちんとしたエンジニアにあらためてマルチトラックからリミックス作業をしてもらう、しかもDVDつけてサラウンドまで、という予算を捻出できたみたいな事情もあったりするんじゃないかなーとか勝手に予想してみたり。

あとは前作『This Was』の2008 Collector's EditionでもPeter Mewがステレオ・リミックスを手掛けていて、この翌年には『Aqualung』のCollector's EditionでSteven Wilsonがリミックスを担当することになるので、この時点でJETHRO TULLの過去のマテリアルをある程度包括的にリミックスしていこうというイアン・アンダーソンか誰かの考えはすでにあって、しかしこの段階では『Stand Up』本編のリミックスは叶わず代わりにこういうことになった、みたいな可能性もあるだろうか。

 

ライブの内容は折り紙付きで、アルバム『Benefit』を経ていよいよ実力を発揮しはじめたマーティン・バーのギターが冴え渡る、初期JETHRO TULLがひとつのピークを迎えた記録となっている。この数ヶ月前のワイト島ライブも歴史的意義のある記録だけど、演奏はこちらのほうが充実してると言っちゃっていいと思う。

おそらく公式にリリースされているタルのライブ音源全体でみても1978年マジソン・スクエア・ガーデン公演と並ぶものなんじゃないかと。むしろこのカーネギーからMSGまでの間の、黄金期なはずのライブ音源が不自然なほどリリースされてないって事情もありますが。

 

 

2016 The Elevated Edition

STAND UP

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2016年にリミックス・シリーズの一環として「The Elevated Edition」と題した2CD+DVDのデジブック仕様でリイシューされた。こちらもポップアップが再現されているのに加えて、ジャケットの元になった木版の写真も掲載されている。上に貼り付けたヘッタクソなポップアップの写真は手持ちのこれを片手に持った状態でスマホで撮りました。

  • CD1:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックのステレオ・リミックス+その他
  • CD2:1969年1月9日Stockholm Konserthusetでのライブ音源+その他
  • DVD:Steven Wilsonによるアルバム本編と追加トラックのステレオおよびサラウンド・リミックス+その他

Steven Wilsonがリミックスを担当したトラックとフラット・トランスファー音源以外はPeter Mewによるリマスター。

 

CD1

Steven Wilsonによるアルバム本編ステレオ・リミックスは、前回扱った『This Was』と同じオリジナルのレイアウトと元になったマルチトラック・テープに収められている音を最大限尊重した、非常にナチュラルな仕上がり。目新しいことはやってないけど、その必要はないってことだろう。

「A New Day Yesterday」では左右にパンするフルートの軌道がやたらはっきり追える。

 

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CD1-11~13にはAssociated Recordingsとして「Living in the Past」「Driving Song」「Bourée (Morgan Version)」のリミックスが収録されている。

どれも方針はアルバム本編と共通で「Living in the Past」には1972年リミックス版で追加されたオルガンの音も含まれる。

「Bourée」は上記したとおり4月24日Olympic Sound Studiosでのバージョンがアルバムに採用されたが、このMorgan Versionはその前日4月23日Morgan Studiosでのテイク。これに納得が行かず、翌日はMorgan Studiosが確保できなかったことがOlympic Sound Studiosでのレコーディングにつながったのだろう。

アルバム本編での「Bourée」はフルートを2声部使ってバッハぽい雰囲気を盛り上げていたがこちらはソロ。ここにもう1本フルートを重ねれば完成なようにも思えるけど、アルバム版でももたってたベースソロが意欲的だけどイメージに指が追いついてない感じだったりドラムが突っ込み気味な部分があったりと、気になる点が散見されるといえば散見される。そんなん気にしなくたってえーやんとも思うし、Steven Wilsonがこのテイクに魅力を感じたからこそこうして収録されてるのだろうけど。

 

CD1-14と15はOriginal 1969 Stereo Single Mixesとして「Living in the Past」「Driving Song」のオリジナル・ステレオ・ミックスを収録。

2010 Collector's Editionでは「Living in the Past」は1972年ステレオ・リミックスとオリジナルのモノラル・ミックス、「Driving Song」はステレオ・ミックスのみを収録していたが、これはおそらくコンピ『Living in the Past』に収録された際の音源を踏襲しつつオリジナルのモノラル・ミックスもレストアした、ということだったのだと思われる。

そもそもこのシングルが1969年に一般向けリリースされた際はモノラル・ミックスのみだったのだけど、同時にプロモーションやFMラジオ向けにステレオ・ミックスも制作されていた。「Driving Song」はコンピ『Living in the Past』でこの際のミックスが使われたが「Living in the Past」はリミックスされた結果こちらのオリジナル・ステレオ・ミックスはリリースされる機会がなくそのままになっていたのだろう。じつは日本盤EPでいちどリリースされてるけど

ちなみに「Sweet Dream」と「17」は次作『Benefit』のCollector's Editionにお引越ししました。

 

CD1-16~19は2010 Collector's Editionにも収録されたJohn Peel Session音源だけどなぜか曲順が異なる。なんでだろ。

 

CD2

CD2のメインはブートレグで有名だった(らしい)1969年1月9日Stockholm Konserthusetでのライブ音源の公式リリース。

Second ShowのおそらくほとんどとFirst Showの1曲が収録されている。THE JIMI HENDRIX EXPERIENCEの前座としての出演で、楽屋でジミとおしゃべりしたりもしたらしい。

この時点でマーティン・バー加入後の初ライブからまだ1週間ちょいぐらいしか経っておらず、彼があきらかに手探りでおそるおそる自己主張してる感じが伝わってくるのがおもしろいっちゃおもしろい。

音質は録音時期とかを考慮すれば十分良好な部類で、マーティン・バー作曲のその名もズバリ「Martin's Tune」や「To Be Sad Is a Sad Way to Be」というスタジオ・レコーディングされなかった楽曲が含まれ、マーティンとイアン・アンダーソンのフルート合戦とかイアンがMCでマーティンのミドルネーム「ランスロット」をかるくおちょくってる様子とかが聴ける。

あとこのときのライブは一部撮影されていて、その際の映像がDVDのほうに収録されている。

 

CD2-10と11はOriginal 1969 Mono Single Mixesで、「Living in the Past」「Driving Song」のモノラル・ミックスを収録。なにげに「Driving Song」のモノラル・ミックスはこれが初CD化か。

 

CD2ー12と13は2010 Collector's Editionにも収録されたRadio Spots。

 

DVD

DVDの収録内容をあらためてリストアップすると以下の通り。

  • Steven Wilsonによるアルバム本編とAssociated Recordingsのステレオ・リミックス(96/24 LPCM Stereo)
  • Steven Wilsonによるアルバム本編とAssociated Recordingsのサラウンド・リミックス(DTS 96/24 & Dolby Digital AC3)
  • アルバム本編のフラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)
  • シングル「Living in the Past」「Driving Song」ステレオ&モノラル・ミックスのフラット・トランスファー音源(96/24 LPCM Stereo)
  • Film Footage Recorded 9th January 1969 At The Stockholm Konserthuset

 

Steven Wilsonのステレオ・リミックスは無圧縮ハイレゾで収録。なのでぶっちゃけこっちばっかり再生してCDほとんど聴いてません。

 

このセットの本命であるサラウンド・リミックスはあまり派手に前後を使うようなことはしておらず、あくまでステレオのフロント側レイアウトを大事にしつつオリジナルでも左右にパンさせていた音をリアまで回したりするのが中心。

しかし何度も書いているように、こういったサラウンド・リミックスで本当に大切なのは派手な演出とか新体験的なものではなく、マルチトラック・テープに収められた音を2chステレオという窮屈な檻から解放してやることなわけでありまして、もともと動いてない音を動かしたりもともとのってない残響をのせたりする必要はまったくないのです。

そういった観点でいくと、ここでのSteven Wilsonの仕事はまさに必要十分と言うのがふさわしいもので、すべての音がステレオ・リミックス以上に豊かに鳴っていてしかも空間的に余裕がある仕上がり。

あとはまあブルースやジャズの要素が濃いとSteven Wilsonがよくやる対位法的に進行する2つの楽器を前後に振り分けて、みたいなレイアウトができなくて必然的に地味になるって事情もありそう。

 

アルバム本編とシングルのフラット・トランスファー音源は、あくまでマスターテープの音(しかもかなり時間経過した後の)であってこれを元に最終調整されているLPとはまた違った音質のものだけど、現状入手できるオリジナル・ミックスの音源のなかでも最良の部類に入るものなんじゃないだろうか。

さすがにテープ由来のノイズが大きいけど気になるようなものでもないし、高音域の柔らかさや中低音の太さなどかなり魅力的。逆に低音域はけっこう弱い印象。

この音源とPeter Mewによる2001年リマスターを比較するのもまた楽しそう。

 

Film Footage Recorded 9th January 1969 At The Stockholm KonserthusetはCD2のライブの際に残された白黒映像。

「To Be Sad Is a Sad Way to Be」と「Back to the Family」の2曲分あり、このうち前者は1988年の『20 Years of Jethro Tull』VHSに収録されていた。

 

 

デジブックの分厚いブックレットにはこの時期のJETHRO TULLに関する情報が満載でむちゃくちゃ読み応えがあり、ぶっちゃけこの記事で書いたようなことにはだいたい言及されてます。

それだけじゃなく当時のツアー日程や2014年に亡くなったグレン・コーニックの追悼記事、ドッグフードを食べた話やJames Grashowへのインタビューなども掲載されている。

 

 

*1:記事公開後しばらくしてから「トミー・アイオミ」と誤表記してたことに気づいて死ぬほど恥ずかしい