プライムビデオで観た映画メモ
どっかにメモっとかないとぜったい後でなに観たか忘れるし、逆にタイトルと感想ひとことでもメモっとけばあとでわりと思い出せる(場合もありうる)のでやっとく。
『トップガン』(1986)
『トップガン・マーヴェリック』の予習に観たやつ。
OPについて前回の記事で「「Top Gun Anthem」のまだギターが入ってこない前半部分」って書いたあと再確認したら正確には「ギター抜きのバックトラック」でした。こいつをひたすら繰り返して焦らされるとべつに嫌いなわけじゃないけど特別好きでもない「Danger Zone」で「よっしゃきたーーーっ!」という気分になる。
BGMとして流れるのはケニー・ロギンスとかBERLINあたりながら劇中で登場人物たちに歌われるのはTHE RIGHTEOUS BROTHERSだのジェリー・リー・ルイスだのという古さ。
特にマーヴェリックが「You've Lost That Lovin' Feelin'」を歌って女の子にアプローチする場面は「こいつ何やらかすかわからんから嫌だな……」と身構えてたらこれだったので思わず笑っちゃって、しかもサビ前のコーラスが入ってくるところでなんとなくあわせて歌ったら劇中の他の客たちも歌い出したのでたぶん俺はあの場に居ました。なおその後の女子トイレ突撃でスッと冷静になった模様。
マーヴェリックは言うなればとんでもねーいたずら小僧なクソガキなんだけど、演じるトム・クルーズがなんか異様に可愛くてこれじゃ男も女もみんな「まったくしょ〜がね〜な〜」ってなるよねという謎の説得力が出てる。いや本来は可愛いからじゃなくてそれでも評価せざるを得ない実力があるとか、マーヴェリック本人は知らないことだけど彼の仲間を助けるために危険を顧みない姿勢が彼の父親を知る上官たちに刺さるとかが基本的な筋のはずなんですが。
そのくせ両親の話で心の傷をチラつかせたり相手がその気になってきたら引いてみたりと立派に恋の駆け引きしやがってなんなんだこいつは。とりあえずアイスマンがギャグこそつまんないけどあれでけっこう気を遣うタイプなので、そりゃアイスマンのほうがギャグはつまんないけど出世するというのはわかる。
飛行機に関してはよくわかんないながら主人公たちの機体がF14という名称で、これは翼が可動するのでちょくちょくシルエットが変わるということさえ認識できてれば、登場機体自体は絞られてるのでそれなりに状況を把握できているかのような気分で観てられた。飛行機がたくさん飛んで動き回ってるととりあえずうれしい。
プライムビデオにあるのはたぶん2005年頃のリマスター版。DVDはこの時期を境に仕様の異なる盤がリリースされていて、BDのほうもたぶん同一ソースなんじゃないかと。
オリジナルの音声はたぶんDolby Stereoで、リマスターに際して音声もあらためて5.1chで制作し直されたと思われる。逆に言えばこれより古いDVD収録の音声は形式こそおなじ5.1chでもよりオリジナルに近い音源なんじゃないだろか(憶測まみれ)。
あと2020年頃に出たUHDBDにはDolby Atmosも収録されてるっぽい。
『07/ドクター・ノオ』(1962)
007シリーズって昔ちょろちょろ観たはずなんだけど、覚えてるのはゲルト・フレーベの腹が飛行機の窓に引っ掛かるシーンと黄金銃の組み立てシーンとジャパニーズNINJAが天井裏から糸を垂らして毒を盛るシーンくらいなので、せっかくプライムビデオにあるし最初から観てみるか〜と再生してみたもの。たぶん初見。
ジェームズ・ボンドのテーマ自体ぶっちゃけオリジナルよりこっちに聴き馴染みがある状態。
まるでTHE VENTURESのようにキレの良い演奏(直喩)。
本編がはじまって「おお、これが第一作のオープニング……」と思ってると急にいかにも南国っぽい陽気な音楽に切り替わって驚く。来たぜジャマイカ レゲーじゃないか(ロックステディもまだな時期だろ)。
そういやあっちのほうが政治的に注目を集めたのとか文化面でいうなればアメリカにおける「異国情緒」みたいなのが流行したのもわりと近い時期なのでは。いやこれはイギリスの映画ですが。
ジェームズ・ボンドというキャラクターをはじめてまともに観たわけだけど、自身の立場とか任務のわりに*1看板しょって歩いてるようなある種の怪人物で、しかも無神経とか無防備なんじゃなくて自分が狙われるのをわかった上でわざとそのように振る舞って手を出されるのを待ち構えているタイプの趣味の人なんやろーなーという印象だった。ちょっとした運の良し悪しでサクッと殺されるだろうしそれこそ気が緩んで口をつけたコーヒーに案の定睡眠薬が盛られてるくらいの人生綱渡りっぷりでしかも自ら進んでそういう状況を作り出してるまであるみたいな。
どうも島を買い取った中国系の男が怪しいって流れからあからさまに欧米の考えるアジア系美人みたいなやつに誘い誘われ当然のごとく罠をはられても嬉々としてかいくぐるし、なんならそのカーチェイスシーンがいちばん楽しそうじゃないかこいつ。
ジェームズ・ボンドのそういう在り方が通用するくらいの緩さがこの作品のリアリティラインで、なんとなれば例のドラゴン戦車を「な、なんてこった…さすがのボンドもこいつにゃかなわないぜ……」くらいの気分で観るのがちょうどいいのかもしれん*2。
ドクター・ノオはむこうの俳優さんを中国系に寄せようとした結果今やったらえらい騒ぎになりそうな状態になってるけどまあ60年前の作品やしこれはこれでいい感じの雰囲気出してる悪役。最後は「いやその義手のパワーで鉄柱に握った跡残しながら這い上がってくるんじゃないのかよ!握力アピールはそのための伏線では?」とか思ったり思わなかったり。
なんか嫌味っぽく読める書き方になっちゃった気もするけどそれだけわいわい言いながら観てたということで(ひとりで)、セリフや人物の振る舞いに気が利いていてちゃんとおもしろい娯楽映画でした。こんだけおもしろけりゃそりゃシリーズ化するわ。
めちゃくちゃ有名なドクター・ノオとボンドのマティーニに関するやり取りが実際に観たらなんかすごくグッとくる会話だったり、CIAのにーちゃんとのスーツの仕立てに関するちょっとしたやり取りとかもなんかよかった。
ボンドの拳銃を交換させられるシーンも、これ自体印象的なうえにどんなキャラか知ったあとだとこいつベレッタの威力の低さや不発でピンチって状況を楽しんでたんじゃないだろうな……?と思える。劇中での拳銃に関する描写と実物ではだいぶ話が違ったりもするらしいが。
ところでスパイものといえば『ミスター・モト』とかリブートしてみたり……いや無理か。せめて原作を日本語で読めるようになるといいんだけど。
『サイコ』(1960)
有名だけど微妙に観たことなかったので。なにが微妙って、そもそも有名すぎてネタバレもへったくれもありゃしない作品なうえに昔テレビでリメイク版をそうとは知らずに途中から観たことがあるんですよね。
その時はテレビを付けたらちょうど探偵さんがなんか調査してるっぽい場面で彼はそのまま屋敷で何者かに襲われてしまい、沼に沈んでた車を引き上げるシーンあたりでやっと「あれ、これってモノクロじゃなくてカラーだけど『サイコ』ってやつなのでは?」と気づいた次第で(最後の最後じゃねーか)。
あらためてオリジナルを最初から観たことで、本来はいかにも主人公っぽいお姉さんが大金を持ち逃げしてさてどうするどうなる!?というサスペンスかと思いきや中盤で大金とは無関係にいきなりぶっ殺される、しかもたぶん当時としてはかなり挑戦的(むしろ挑発的?)だっただろう念入りな描写で、というデカいどんでん返しのある作品だったことがやっと認識できた。これあれだ、古典的名作が古典的名作であるがゆえに発表当時衝撃的だったギミックが割れちゃってる状態で作品に触れることになるパターンのやつ……!
バーナード・ハーマンの音楽もあまりにもパロディを耳にしすぎていたせいではじめてなのに「あれ、こんなんだったっけ?」ってなったりしてた。はじめて観てるのにこんなんだったもなにもあるか。
全然関係ないけどこの人がロンドンフィルを指揮したホルストの『惑星』が、多分に演出的ではあるもののこの曲にもともと内包されているうねうねしたものを引き出した濃い演奏でとても良いです。
とにかくアンソニー・パーキンスの演技とか映画としての見せ方が魅力的で、彼が画面に現れた当初のちょっとナヨナヨしてそうで吃りはあるけど親切な好青年みたいな感じのとこから段階を踏んで変化している印象操作が最高。沼に車を沈めるシーンでの表情の変化が最後にほぼ答え合わせされるのもいい。あの最後のシーン、本編観るまではたんにドクロっぽいものとしか認識してなかったけどつまり母親の顔(ちょっと乾燥気味な)がオーバーラップしてるのか。
アンソニー・パーキンスって自分は子供の頃に「オールディーズ・ベストヒット」みたいなやつで聴いた「Moonlight Swim」を歌ってるひとと認識していたので、じつはわりと最近までこのノーマン・ベイツ役のひとと同一人物だということがわかってませんでした。
あるいはアメリカだと俳優としての「Anthony Perkins」表記と歌手としての「Tony Perkins」表記で区別してたのかも知れないけど、自分の記憶にあるCDにはふつうに「アンソニー・パーキンス」って表記されてたような。AnthonyとTonyとなるとどうしてもGENESISが思い浮かびますね(本当に関係ない)。
あとオープニングのホテルの一室で密会する男女の部屋に窓から入っていくカメラがわかりやすく「覗き見」という欲望を具現化してるのと同時に、逆に本来なら不愉快で見たくもねえ男と女のあれやそれを半ば無理やり覗き見させることで「これからこんなもんじゃないもっと不愉快なものをお見せしてさせあげますよ」とでも宣言してるかのようでもあってよかった。ある種の不愉快さって画面越しならエンターテイメントだもんなぁってなる。
この映画、オリジナルは当然モノラルだろうけど配信されてるのはなんか音が後ろから聞こえたりもするのでリマスターとかレストアとかされてるんだと思う。
あとこれって続編あるんすね。しかもちゃんとアンソニー・パーキンスが出演してる……
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』(1968)
以前CATVで『ゾンビ』(Dawn of the Dead)を放送してたとき何気なく観てみたらやたら面白くて3回くらいリピートしたので、ほかの作品も観なきゃなあと思ってたらこれがあった。著作権がアレしているおかげだろうか。
『ゾンビ』の前作でもあるからゾンビの身体能力もそんなもんだろうと思ってたら冒頭のやつがけっこうアグレッシブで、走らないけど歩く速度はけっこう早く(正直小走りくらいしてない?)石で窓ガラスを割る知能がある。他のゾンビも刃物を使ったりするし、全体的な脅威度が『ゾンビ』より上じゃない?
いちおう主人公の片割れなのかも知れないお姉さんはお荷物系ヒロインというか、屋敷までの逃走劇で完全にキャパオーバーしちゃって以降は音の出る置物くらいな感じ。まあイラつきポイントを貯める用のキャラになってるんだけど『ゾンビ』のお姉さん以上になにも知らない状態でいきなりひどい目にあってる上に時間の猶予がほぼ無かったから……
もう一方の主人公っぽい青年にここまでの経緯をまくしたてるシーンで、冒頭のゾンビに遭遇した際に実際は黙ってやり過ごそうとしたのを「謝ろうと思って声をかけたら……」なんて言ってるのが、しょうもないところで見栄を張りやがってという可笑しみで逆に状況のしんどさが際立っていい。
モダン・ゾンビ第1作にして「手近なもので籠城戦の準備」「立て籠もった内部での仲間割れと、それに拍車をかける銃の存在」「生死不明(たぶん死んでる)な身内との再会」「ゾンビに傷を負わされた子供とその親」あたりのキーワードで欲しいものぜんぶばっちり取り揃えてあるので嬉しくなっちゃう作品。
フレッシュな内蔵パクパクもさっきまで元気にガソリンこぼしてた気のいいにーちゃんねーちゃんの顔が思い浮かんで◎。
クライマックスの崩壊感に最後の観てて思わず制止したくなるけどいざ自分がその立場だったらじっとしてられるかとなるとなんとも言えない青年の行動と、いやー充実した作品でした。
といった感じでニコニコしてるとエンディングで急に社会派っぽくなってさてどんな顔したもんかとなる作品でもある。
『武器人間』(2013)
ナチス驚異の武器人間軍団 vs またしてもなにも知らないソ連兵たち。原題は『Frankenstein's Army』。
フランケンシュタイン博士の誇るビックリドッキリ武器人間が惜しげもなくバンバン登場してそれぞれ事情はあれどだいだいロクでもないソ連兵たち(とついでにドイツ兵たち)が物理的にひどい目に合うお話。それだけだしそれで十分みたいなやつ。
「私は衛生兵よ(キリッ」からの脳みそポロリとか博士のそれにしたってクソ雑な手術とか笑いどころもたっぷり。あのプロペラエンジンに手足くっつけたみたいなやつはなに考えて作ったんだ。
そういえばナチスの手で改造人間として蘇ったリヒャルト・ワーグナーとフランツ・リストが宿命の対決を繰り広げる『リストマニア』という映画があって是非観てみたいんだけどBD化とかされんもんですかね。そもそもDVD化されてたっけ?
最後に
感想は1行くらいにしとかないと後で読み返したとき書けたことより書けなかったことのほうが気になっちゃうからやめとけと言ったのに……
近況メモ
ブログが更新できてないと後で見たとき「この時期生きてたっけ?」てなるので近況をメモっとくやつ。
BDプレーヤー逝く
ちょうど『フレンチ・コネクション』の特別編DVDとフリードキン監督自らカラーコレクションとかを弄ったというBDをぼちぼち本編比較したり特典見たり聞いたりしようかというタイミングでこれまで使っていたBDプレーヤー、PioneerのBDP-170がうんともすんとも言わなくなってしまって出鼻をくじかれ、しかも自分はこの子にBDとDVDだけでなくSACDやらCDやらレコード以外の手持ちのディスクの再生をすべて依存していたためそのまましばらく映画観る気力も音楽聴く気力も沸かなくなってました。あとちょうど放送中だった『まちカドまぞく 2丁目』で忙しかった。
『フレンチ・コネクション』はそのうち記事にできるといいんだけど、これについて書くとなると『ブリット』→『フレンチ・コネクション』→『重犯罪特捜班/ザ・セブン・アップス』の流れと、それを踏まえて『フレンチ・コネクション2』はどうだったか、そしてそのフランケンハイマー監督はのちに『RONIN』で…みたいに風呂敷を広げたくなるのは目に見えていてなんならいざ書きはじめたら全然言いたいことを文章化できずに放り出すことまでわかるのでダメですね。
BDプレーヤーはすぐにでも買い替えたいんだけどここ数年人生どうでもEDMしてたので金がなく、しかたなく里に降りて民の仕事を手伝ったりしたものの人間のふりをするにもあれこれ入用なものでそのまま今日に至ってます。ふと気がついたら破れてない衣服をほぼ持ってない状態になってたりするの、わりとありがち。
BDP-170もたぶん電源まわりのコンデンサを交換すれば復活するんじゃないかと思うのでそのうち作業したい。
Fire TV Stick
金無いって言ったそばからAmazonのプライムデーで異様に安くなってたので買ってしまったやつ。しかも複数買いで更に安くなるもんだから2つ。
そもそも知り合いにずっと「お前の環境だったらこれ使ったほうがぜったい快適だろ!」と言い続けてたのでそいつに買い与えるついでに自分のまで買ってしまった感じの事故。プライム会員になる気すらなかったのに。
まあせっかくなのでプライムビデオで『トップガン』とか『007/ドクター・ノオ』とか『まちカドまぞく』とか『まちカドまぞく 2丁目』とか観てたけどサクサク動いて非常に快適です。
いつか使ってないテレビかモニターにこいつをぶっ刺して24時間YouTubeのナミブ砂漠ライブカメラあたりを垂れ流し続ける物体を作りたい。
『シン・ウルトラマン』と『トップガン・マーヴェリック』
『シン・ウルトラマン』は冒頭のウルトラQパートでなんかわからんがウルッときてしまい泣きながら観てた。一部ちょっとセクシャルっぽいギャグシーンは正直苦手なやつだったんだけど、仮にあれの対象が長澤まさみじゃなくて有岡大貴や山本耕史だったら手を叩いて喜んでただろうなとも思うのでまあ。
観た後しばらくはずっとこの映画のこと考えてたんだけどけっこう時間が経ったから忘れてしまった。
そういえばなんで『ウルトラQ』OPテーマって本来の音源だと中間部だか2つ目の主題だかを2回繰り返す部分が本編映像だと1回にカットされてんだろうと思ってたら、そもそもあのテーマには複数のバージョンが存在していてそれによって異なってたりするのね。
『トップガン・マーヴェリック』はそもそも前作が数ある「サントラはさんざん聴いてるくせに本編観たことない映画」のひとつだったのでプライムビデオで予習してから行った。ちなみにこれ以外だとトム・クルーズの出てる映画って『アイズ・ワイド・シャット』くらいしか観たことない。
観たひとみんな言ってる気がするけど、あの前作からこんな面白い続編ができるのか……!というのが率直な感想。
前作だとヒロインに存在意義がないというより主人公マーヴェリックが妻子持ちのグースやクーガーと違ってそういう関係を構築できない(両親の問題を引きずってたり本人が精神的にガキだったりで)、せいぜい女の子は自分が調子いいときに楽しむ相手程度でむしろ軍隊という共同体中での気遣いや励ましをもとに再起する、みたいな印象だったところから、今作における中年の恋愛模様はあの主人公が年を経た姿としてしっくりくるとともに相手の娘がしっかり釘刺してくるの含めやっと落ち着くべき相手と落ち着いたというかこいつにも熟す機があったんやなぁという納得感や安堵感があってよかった(誰目線なんだ)。
戦闘機まわりの描写は詳しくないので細かいことはわからんけど、エリア88とかエスコンで見たやつを映画でやってる!と思いながらキャッキャしてました。
あとOPだけど、なんかあのシーン自体は前作を公開当時観てそれっきりだった人向けに空母上のなんか発進準備みたいなやつ見せつつ「Top Gun Anthem」からの「Danger Zone」をひと通りこなしておく感じでわりとおざなりというか、とりあえずノルマ消化しとくべ、くらいのものという印象だった。あるいは自分が前作の「「Top Gun Anthem」のまだギターが入ってこない前半部分をひたすら繰り返しながらむちゃくちゃ焦らした末の「Danger Zone」」って流れを思いのほか気に入ってたりするだけかも知れないが。
それとハングマンがジュークボックスでFOGHATの「Slow Ride」を選曲してたが当時ヒットしたとはいえ今でもアメリカだとわりと有名なんでしょうか。ルトガー・ハウアーのアメリカ・デビュー作『ナイトホークス』のクラブシーンでも流れてましたねこの曲。
この記事のオチ
なんも思い浮かばん。いやべつにオチなんかつける必要ないんですが。
Sounds of Silence / SIMON & GARFUNKEL (1966)
1966年1月17日リリースの2ndアルバムにして、実質的な再結成第一弾。
フォーク・デュオとしてのシンプルな編成とその範疇で可能な音楽に徹していた1stアルバムに対し、状況の変化もあって「フォーク・ロック時代のポップス」として大きく変化した内容になっている。
制作過程に紆余曲折あったがメインとなるセッションはニューヨークのCBS Studiosで、ボブ・ジョンストンのプロデュースにより行われた。
あとジャケットの写真はガイ・ウェブスターによる。
制作経緯
なにはともあれこのトラック。
このアルバムは同曲のヒットを受けて急遽制作されたものなので、Wikipediaなどを参考にリリースに至る過程をざっとまとめてみます。
1964年、SIMON & GARFUNKELはトム・ウィルソンのプロデュースで制作された1stアルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』の商業的失敗ののち実質解散。ポール・サイモンは渡英し、アート・ガーファンクルは学業に戻った。
1964年5月、英Orioleレーベルからポール・サイモンのイギリスでの活動の取っ掛かりとしてなのかなんなのかJerry Landis名義でシングル「Carlos Dominguez / He Was My Brother」がリリースされる。これは1963年にポールがPaul Kane名義でリリースしたシングルと同内容のもの。
Columbiaとの契約が残っている都合で「Paul Simon」という名前が使えなかったのか、あるいはS&G以前からいくつもの名義を使い分けていた彼のことだし「Paul Simon」という看板は一旦おろして仕切り直すつもりだったのか。全然関係ないけど「Paul Simon」と「Paul Simonon」って紛らわしい。
1964年9月にそのOrioleのレコード工場がCBSに買収され、以降Orioleは段階的にCBSに吸収されていくことに。
1965年4月、ポール・サイモンがアメリカに一時帰国し、アート・ガーファンクルとともにトム・ウィルソンのもとで「Somewhere They Can't Find Me」と「We've Got a Groovy Thing Goin'」の2曲を制作。
デュオとしてのシンプルなアレンジが中心だった1stと違いポップス的なバックトラックを伴うフォーク・ロックを見据えた内容だが、この段階ではあくまでお試しだったのか普通にボツったか、これといってリリースに向けた動きはなかったっぽい。レコーディング終了後ポールは再度渡英。
1965年6月、ポール・サイモンは元OrioleのCBSスタッフの推挙やColumbiaとの契約が残っていたことをきっかけに、CBSにPaul Simon名義でソロアルバムを制作開始。
同じ時期、トム・ウィルソンはアメリカ東海岸の学生向けラジオ局を中心にSIMON & GARFUNKELの1stアルバム収録曲「The Sounds of Silence」が人気を博していることを知る。そこで同トラックにエレキギター、ベース、ドラムをオーバーダブし、THE BYRDSやトム・ウィルソン自身がプロデュースしたボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」など折からの流行であったフォーク・ロックのスタイルに仕立て上げることを画策。
同1965年6月、トム・ウィルソン主導でスタジオ・ミュージシャンによる「The Sounds of Silence」へのオーバーダブ作業が行われる。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは事前に知らされておらずトム・ウィルソンというかColumbiaの独断ではあったが、これはSIMON & GARFUNKELがColumbiaとの契約を残したまますでに解散状態にあり、今後の活動を望める状況になかったということも関係していると思われる。つまりトム・ウィルソンはともかく会社側としては、ちょっとでも売れてくれたらその分これまでの投資を回収できるから出さないより出したほうがまだマシ、くらいのものだったかも。
1965年7月、ポール・サイモンはジャクソン・C・フランクの唯一となるソロ・アルバムをプロデュース。ジャクソン・C・フランクはポールと同じアメリカ出身でイギリスに渡ったフォーク・シンガーで、当時ポールは彼の部屋で生活していたとも。
レコーディングにはちょうど渡英してきてたアート・ガーファンクルとアル・スチュアートも顔を出し、アル・スチュアートのほうはギターで参加もしている。
1965年8月、イギリスでCBSからポール・サイモンの1stソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』リリース。売上はそんなでもなかったっぽい。ちなみに当時S&Gの1stアルバムはイギリスでは未発売だった。
1965年9月、アメリカでトム・ウィルソン主導のオーバーダブが施されたシングル「The Sounds of Silence / We've Got a Groovy Thing Goin'」がリリース。ボストンを中心に好調な売れ行きでBillboard Hot 100に登場。
1965年12月、ポール・サイモンがアメリカに帰国し、ボブ・ジョンストンのプロデュースのもとニューヨークのCBS Studiosで「The Sounds of Silence」をメインに据えたSIMON & GARFUNKELのニュー・アルバムが制作される。さすがにトム・ウィルソンは外されたのか、もうオーバーダブやるだけやってMGM Recordsに移っていた頃合いか。
突発的な事態でマテリアルが不足していたこともあってか5曲は『The Paul Simon Songbook』の使い回しとなった。またこの一連のセッションにおいて次のシングルとなる「Homeward Bound」も録音される。
1966年1月、「The Sounds of Silence」がとうとうBillboard Hot 100で1位を記録。1月のあいだTHE BEATLESの「We Can Work It Out」とトップの座を争い1位と2位をいったりきたりすることに。またこのトラックはアメリカだけでなく諸外国でも大ヒットを記録。
同1966年1月、アメリカでColumbiaからSIMON & GARFUNKELの2ndアルバム『Sounds of Silence』がリリースされチャートイン。以降継続的に売れ続ける。
1966年2月にはシングル「Homeward Bound / Leaves That Are Green」がリリースされこちらも大ヒット。アメリカでは続く3rdアルバムに収録されることになるが、イギリスでは数ヶ月遅れで発売された『Sounds of Silence』に追加収録された。
こんな感じ。なんというかもうちょっといい感じにまとめられなかったのか。
収録内容
A1「The Sounds of Silence」
上記の通り1stアルバム収録のトラック(のモノラル音源)にオーバーダブを施したもので、曲自体は『The Paul Simon Songbook』でもとり上げられている。タイトルはリリースによって「The Sound"s" of Silence」だったり「The Sound of Silence」だったり。
小学生の頃の自分はこのトラックのヴォーカルとバックトラックのズレを「下手くそwww」と笑ってるクソガキでした。
しかし実際のところはむしろ逆で、元になった演奏がこの時期のフォーク系アーティストのものとしては整ったリズムを持ち、さらにスタジオ・ミュージシャンたちの能力が十分に高かったからこそ後から演奏を加えることが可能だった、つまりどうにか辻褄を合わせることができた、ということなのだと思う。
A2「Leaves That Are Green」
『The Paul Simon Songbook』から。小学生の頃からイントロのハープシコードが好きで気に入ってる曲。なんか自分、ガキの頃から今に至るまで楽曲総体としてよく作り上げられているかよりもそのトラックに含まれる断片的なフレーズや音色が気に入るかで音楽を判断しがちですね。
歌詞がカースティ・マッコールで有名な「A New England」に引用されている。
A3「Blessed」
前作ではけっこうストレートにクリスチャンな歌を演ってたのにいきなり皮肉っぽくなってんのは心境の変化があったのか正体現しただけなのか。
トラックのほうはなんというかいかにもフォーク・ロックのLPの3から4曲目あたりに入ってそうな感じ。
A4「Kathy's Song」
『The Paul Simon Songbook』から。ポール・サイモンのギターとヴォーカルのみというシンプルな弾き語り曲。
A5「Somewhere They Can't Find Me」
SIMON & GARFUNKELとしての活動が暗礁に乗り上げていた1965年4月に制作されたトラックの片割れで、1stアルバムのタイトル・トラック「Wednesday Morning, 3 A.M.」の歌詞にサビを加えて「Anji」の土台に乗せたもの。
長いこと原曲の繊細さが失われた乱雑なポップスという印象で嫌ってたんだけど、管とエレピが都会的な雰囲気を醸し出すどことなく曇ったようなサウンドのものとしては別に悪くもないかもしれないと思い直しつつある。
A6「Anji」
ポール・サイモンのギターテクニックが楽しめるアコースティック・ギターによる小品。デイヴィ・グレアムの楽曲だけど、このアルバムの初期盤ではタイトルが「Angie」、作曲がバート・ヤンシュとミスクレジットされていた。
実際ここでのポール・サイモンの演奏はあきらかにバート・ヤンシュのバージョンを踏まえていて、そのバート・ヤンシュのアルバムでは曲名が「Angie」になっていたので、そのあたりで取り違えがあったんだろう。
ポール・サイモンはロンドンでこのふたりと交流があったらしく、もし「The Sounds of Silence」の思いがけないヒットが転がり込まなければ、あのまましばらくイギリスに居着いてブリティッシュ・フォーク系の人脈と関わりを深めていた可能性があったのかもしれない。
ここから突然の動画連貼りとなります。
元祖デイヴィ・グレアムのバージョン。1962年。
バート・ヤンシュのバージョン。1965年。
全体的にオリジナルより過激になっていて、途中ナット・アダレイ「Work Song」のフレーズを挿入している。
ポール・サイモンのバージョン。いろいろ手を加えてるけど「Work Song」は踏襲。
そしてこれがポール・サイモンがふたりに分裂していた時期の映像記録。
んで録音時期こそ前後するけど、こういうロンドンでの交流があったうえでA5「Somewhere They Can't Find Me」とB4「We've Got a Groovy Thing Goin'」がレコーディングされている、ということになる。正直あの時点ではアルバムどころかシングルになるかどうかも定かじゃなかっただろうし、適当にそのとき取り組んでた曲のフレーズを使いまわしたんじゃないかと邪推してしまう。
B1「Richard Cory」
これとか「Blessed」とか、曲の取っ掛かりになるエレキギターのリフを軸にワンアイディアで押し切らずにちょっと捻った進行を用意して、と、この時点でのSIMON & GARFUNKELに求められていたであろうフォーク・ロックしいてはポップス的なトラック作りを試行錯誤してる印象。
歌詞の方はリチャード・コリーを羨む工場勤務の主人公を羨む工場のバイト面接に落ちた俺ってわけ。ゆるさんぞ
B2「A Most Peculiar Man」
『The Paul Simon Songbook』から。アコギ伴奏にオルガンを被せて他の楽器を加えた結果ソフトロックっぽく仕上がったようなトラック。
歌詞は異常独身男性についてで、余計なお世話じゃいという気分になれる。最初この記事に取り掛かったときはガス自殺についてあれこれ書いてたんだけど『ミッドサマー』に話がそれて収集つかなくなったので全部カットしました。
B3「April Come She Will」
『The Paul Simon Songbook』から。アート・ガーファンクル単独のヴォーカルにギター1本の伴奏で、A面の「Kathy's Song」に対応したアルバム構成なのかもしれない。
昔は中学校あたりで英語の暦を覚えるときよく引き合いに出されてたような、そうでもないような。
B面ここまでの3曲すべて登場人物が死んでるの、若い頃はわりとさくさくキャラを殺してた作家が年齢とともにあんまりそういうことしなくなってくやつっぽくてちょっと和みますね。
B4「We've Got a Groovy Thing Goin'」
1965年4月に制作されたもう一方のトラックで「Work Song」に歌詞乗っけてでっち上げた感じのもの。
正直1965年4月のトラックは2曲ともそこはかとないやっつけ感があって、ポール・サイモンあんまやる気なかったんじゃないの?とか思わないでもない。
B5「I Am a Rock」
『The Paul Simon Songbook』から最後の刺客にして稀代の引きこもり賛歌。
A面のラスト2曲とB面ラス前の「We've Got a Groovy Thing Goin'」がどれも「Anji」ネタでなんとなくアルバムがまとまっているかのような雰囲気を出しつつ〆の1曲。
「Homeward Bound」のあとにシングル・カットされけっこうヒットした。
KING CRIMSONの「Islands」ってこれに対するアンサーソングだったりするような、共通のモチーフというだけのような。
A面6曲でB面5曲と、微妙に曲が足りてないのが当時の状況を偲ばせる。
内容の面でも傑作ぞろいのSIMON & GARFUNKELのオリジナル・アルバムのなかでは多少曲ごとの出来栄えに差があるように思えてしまう、というのが正直なところ。ただ「April Come She Will」や「I Am a Rock」は自分には子供の頃から当たり前にあった普遍的な音楽すぎて逆に評価のしようがない、というのもありそう。
レコード
なんか2枚持ってるしせっかくなんで裏面も。左が国内盤で右がイギリス盤。
手持ちの盤その1。「Homeward Bound」がB面頭に追加収録された英モノラル盤。
モノラル盤が欲しかったんで見かけたときに確保してみたんだけど、あんま良い音とは言い難く、B面はずっと電波状況が微妙に悪いときのラジオみたいな一定のノイズが乗ってる。偽モノ*1だろうか。
なぜか2つ付いてた内袋。片方はプレーンでもう片方はCBSの広告入り。載ってるアルバムの感じからしてリリースから数年後に生産された盤だと思われる。
手持ちの盤その2。ジャンク屋で拾ったCBS/Sonyのステレオ国内盤。
盤質も音質も良好で安定感があり、自分が子供の頃から家にあったリマスター以前の国内盤CDとほとんど同じような鳴り方をする。
マトリクスは見てないけど、まあ米オリじゃないしあまりにも馴染み深い音だからこれ以上は深堀りしなくていいや。
ジャケットはゲートフォールドで歌詞インサート付き。
見開きにはなんか序文みたいなものとか各曲の歌詞とコメントの和訳さらに追加の文章が載せられている。家にあったCDのライナーノートにもまったくおなじものが転載されてたのでやたら懐かしい。
1968年に設立されたCBS・ソニーレコード株式会社が自社工場で最初に生産したレコードはこの見開きにも載ってる『卒業』オリジナル・サウンドトラックで、それが出荷されたのは1969年3月頃らしい。この『Sounds of Silence』も1969年のうちに早速生産され始めたんじゃないかと。
ただし1969年3月時点でのレーベル・デザインはおそらく上に載せた英盤に準じたオレンジ一色のものだったはずで、手持ちの白とオレンジのものに変更されたのは数ヶ月から下手すれば1年以上後だったと思われる。
とりあえずこの盤が1969年3月から1973年に社名が株式会社CBS・ソニーとなるまでの間に製造されたものなのは確か。たぶん『Bridge Over Troubled Water』リリース後もこっちのジャケットは『Bookends』までのままこれといって変更はなかったんじゃないだろうか。
リマスターとか配信とか
2001年にSony MusicのLegacyレーベルからVic Anesiniのリマスターで再発された。クレジットが「Mixed and Mastered by Vic Anesini」となっててすわリミックスかと慌てたんだけど、たぶんボーナス・トラックは今回ミックスしたってことなんじゃないかと。
とりあえずそのボーナス・トラックは4つ入り。
「Blues Run the Game」
ポール・サイモン自身がプロデュースしたジャクソン・C・フランクのカバーで、1965年12月のレコーディング・セッションのアウトテイク。1997年にボックスセット『Old Friends』で蔵出しされたもの。
原曲が良くてそれをそのまま演ってるからいい感じに聴けるけど、デュエットが活かされているわけでもないのでまあアウトテイク。
これはポール・サイモンがプロデュースしたオリジナル。自動生成のオフィシャル音源でリマスターと銘打ってる割に音質が微妙なんですけど、マスター・テープがお亡くなりになってたりするのだろうか。
残り3曲はこれまで未発表だったもので、すべて民謡をギター伴奏でとりあえず演ってみた感じのもの。
1970年7月8日、つまり最終作となった『Bridge Over Troubled Water』より後、ラストコンサートの10日前の録音となる。なんでそんな時期の音源をこのアルバムのボートラに……?
ふたりの人間関係が完全に終わってた時期と思われるけど、演奏自体は自然体で悪くない。
これら3曲はJen Wylerによるミックス。
「Barbriallen」
チャイルド・バラッド84番でラウド54番「Barbara Allen」。この後アート・ガーファンクルが1stソロ・アルバム『Angel Clare』でとりあげた。
「Rose of Aberdeen」
ラウド12708番「Rambling Gambler」。
「Roving Gambler」
ラウド498番。
Sounds Of Silence - Album by Simon & Garfunkel | Spotify
今作も2014年から各種サイトで24bit-192kHzのハイレゾ音源が配信され、現在SpotifyやApple Musicにあるのも基本的にこれだと思われる。Spotifyは相変わらず非可逆圧縮だけでApple Musicはハイレゾ。
音源の素性はよくわからんけど音質はいいと思う。クッキリしたVic Anesiniリマスターと比べると気持ちアナログ・マスターに近い柔らかさのあるサウンドな気がするけど先入観もありそう。
*1:ステレオ・ミックスの音源を擬似的にモノラル化して発売したものの通称。わりとよくあった
Wednesday Morning, 3 A.M. / SIMON & GARFUNKEL (1964)
1964年10月19日リリース。アメリカのフォーク・デュオSIMON & GARFUNKELのデビュー・アルバム。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルはおなじニューヨーク市クイーンズ育ちの同級生*1。
ハイスクール時代から学業の合間を縫って音楽活動を行い、1957年にはTOM & JERRY名義のデュオでリリースしたシングル「Hey Schoolgirl」がビルボードでチャートインするという成果を上げている*2。
TOM & JERRY時代はドゥーワップ色を強くしたTHE EVERLY BROTHERSみたいなスタイルだったが、サイモンの学業に一区切りついた1963年頃から流行りのフォーク・リバイバルにあわせてよりコンテンポラリーなフォーク色を強めたスタイルで売り込みをはじめ、他でもないボブ・ディランのプロデューサーであるトム・ウィルソンの目にとまったみたいな感じっぽい。なおガーファンクルのほうはまだ学業に一区切りついてなかった模様。詳しくは知らないけどコロンビア大学に進学して途中で学科を変更したんだったか。
レコーディングはトム・ウィルソンのプロデュースのもと1964年3月にニューヨークのColumbia Studiosで数回に分けて行われた。
セッションにはサイモンとガーファンクルのふたりに加えてアコースティック・ギターでバリー・コーンフィールド、アコースティック・ベースでビル・リー*3が参加。
エンジニアは今作以降SIMON & GARFUNKELだけでなくふたりのソロ・アルバムにも関わっていくことになるRoy Halee。
収録曲は民謡のアレンジを含むカバー7曲、オリジナル5曲という割合。
裏ジャケのライナーノートはアート・ガーファンクルがポール・サイモンに宛てた手紙の体裁をとりある種の需要に答えている。
収録内容
あくまで言葉の比重が大きい音楽ではあるが、ふたりのヴォーカルを主軸としつつ、伴奏もキレがよくアコギ2つにベースという制約の中でアレンジに工夫をこらしていて十分に楽しめるアルバムに仕上がっている。
当時ステレオとモノラル両方がリリースされ、ステレオではふたりのヴォーカルが左右両端に振り分けられ、伴奏がその内側というまとめられ方。
歌唱スタイルもあって音像のバランスが良く、適度なエコーも相まって聴きやすいサウンドになっている。
ただしヴォーカルが完全に左右に分かれていてヘッドホンやスピーカーの小音量再生ではヴォーカルが重ならずハーモニーって具合ではないので、そのあたりが楽しみたかったらスピーカーで音量上げるかモノラルをどうぞって感じなんだろうけど自分は持ってないしモノラル音源がデジタル・フォーマットでリイシューされたりもしていない。
A1「You Can Tell the World」
ボブ・ギブソンとハミルトン・キャンプの共作。
アコギをジャカジャカかき鳴らすいかにもフレッシュな感じのトラックで、歌詞はがっつりクリスチャン系。
A2「Last Night I Had the Strangest Dream」
エド・マッカーディの曲で、牧歌的な曲調と歌詞のもの。ポール・サイモンがバンジョーを弾いてる。
A3「Bleecker Street」
ポール・サイモンのオリジナル。「Paul Simon名義でのオリジナル曲」という意味では最初の1曲だったりするかもしれず、曲構成こそ単純だがポール・サイモンのスリーフィンガー(ツーフィンガー?)とそれに合わせるもう1本のギターによる伴奏はよく練られていて、ヴォーカルの淡々と進行していく感じが逆に歌詞の陰影を深める効果をあげている。かと思うとポールのヴォーカルがちょっとひっくり返っちゃったりするのも文学青年ががんばって歌ってる感出ててよい。
ブリーカー・ストリートはマンハッタンにある通りで、歌詞にはわりと宗教的なニュアンスが込められている。
A4「Sparrow」
ポール・サイモン作の、世知辛い版クックロビンみたいなやつ。
A5「Benedictus」
16世紀フランドル楽派の作曲家オルランド・ディ・ラッソのミサ曲をアレンジしたもの。ベースがボウイングで雰囲気を演出している。
ポール・サイモンはどういう経緯でこの曲を採用したのだろうか。
これは1988年録音の原曲。
A6「The Sounds of Silence」
ポール・サイモンのオリジナル。
歌詞と楽曲両方が展開までよく練られたこのアルバムの白眉であり、その歌詞が絶妙だったあまり本人たちと無関係なところでしょっちゅう引き合いに出され便利に使われているもの。最近ではYES「Roundabout」に続いて無事memeと化したりしていた。
B1「He Was My Brother」
ポール・サイモンのPaul Kane名義による自作曲で、1963年の時点でS&Gに先んじてそのPaul Kane名義でTribute Recordsというマイナーレーベルからシングル・リリースしている。
トム・ウィルソンの興味をひく切っ掛けになり、1963年版、本アルバム収録の1964年S&G版に加えて1965年のポール・サイモンのソロ・アルバムでもとりあげられた。
1963年版はたぶんこの音源*4。ガーファンクルのハーモニーも聴き取れる。
公民権運動をイメージしているとはいえ特定の事件を扱っているわけではないはずだったが、このアルバムのレコーディング完了後の1964年6月にポール・サイモンの知人を含む公民権活動家3人がミシシッピ州でKKKに殺害されるという事件*5が起き、ある種の真実味が出てしまった。
B2「Peggy-O」
ボブ・ディランが彼の1stアルバムでとりあげたスコットランド民謡。
牧歌的な曲調のまま物騒になる歌詞のオチが小学生の頃から妙に好き。
B3「Go Tell It on the Mountain」
ジョン・ウェズリー・ワークJr.が採集した黒人霊歌のひとつで、これ以前にPETER, PAUL & MARYも歌詞をいじってとりあげている。
ここではもうちょいストレートに演奏していて、ノリが「You Can Tell the World」に近い。
B4「The Sun Is Burning」
1960年代のブリティッシュ・フォーク・リバイバルの立役者のひとり、イアン・キャンベルの楽曲。
これも牧歌的な曲調に物騒な歌詞を乗っけてギャップを楽しむタイプのもので、途中から『太陽を盗んだ男』的な方の太陽の話にすり替わる。
B5「The Times They Are a-Changin'」
ボブ・ディランのオリジナルをアイロンがけして整えたような演奏。
B6「Wednesday Morning, 3 A.M.」
ポール・サイモンのオリジナルで、A面ラストを飾る「The Sounds of Silence」に対するB面ラストの力作。
方向性は「Bleecker Street」に近い、凝ったパターンのギター伴奏と淡々と進行するヴォーカルによって歌詞とハーモニーを際立たせるもの。
もともとTOM & JERRYでロックンロール色の強いパフォーマンスを行っていて今作にもアコースティックとはいえベースが入ってるからかこの時代のフォーク系としてはリズムがはっきりしていて、ヴォーカルは力みがちだがそれ故に次作以降とは違った魅力があり、ギター演奏もすばらしく全体としてかなり充実したアルバムになっていると思う。
しかしリリース当時はブリティッシュ・インヴェイジョンの波に飲まれさっぱり売れなかったらしい。
その後SIMON & GARFUNKEL復活とともに再発されるとチャートインするほど売上が伸び、1966年には日本でいろいろ仕様変更され『Last Night I Had the Strangest Dream』として、1968年にはそれまで未発売だったイギリスでやっと発売された模様。
レコード
手持ちの盤は「THE NICE PRICE」ステッカーも眩しいレコード100円市で買ったUSステレオ盤。カタログ#もバジェット・ラインの「PC」に切り替わり済み。
マトリクス末尾はA面が”3H”、B面が”2A”となっていて、聴いた感じA面がなんだかカセットテープに録音したみたいな音質なのに対してB面はもうちょっと鮮明さを維持してる。
ランアウト部分はほかにもよくわからん文字列やマークを含めいろいろ書かれてるけど、とりあえず両面とも手書きの”G1”がエッチングされているのでキャロルトン工場プレスだと思われ、つまり80年代になってからの盤ということになる*6。
ジャケットの紙質はあきらかに70年代までのものと違っていて裏地も白い。
リマスターとか配信とか
80年代のうちからCD化されていたアルバムだが、2001年にSony MusicのLegacyレーベルからVic Anesiniのリマスターで再発された。ボーナス・トラック3つ入り。
「Bleecker Street (Demo)」 ボックスセット『Old Friends』で既出
「He Was My Brother (Alternate Take 1)」
「The Sun Is Burning (Alternate Take 12)」
最大の違いは「He Was My Brother」で最終的に使われなかったハーモニカが試されていることだが、基本的には完成形が見えてる感じのトラックばかり。アルバム版よりアート・ガーファンクルの声のエコーが控えめ。
Wednesday Morning, 3 A.M. - Album by Simon & Garfunkel | Spotify
2014年には各種配信サイトで24bit-192kHzのハイレゾ音源が配信開始され、現在SpotifyやApple Musicにあるのも基本的にはこれだと思う。Spotifyはいまのところ非可逆圧縮だけだけどApple Musicはハイレゾで聴けます。
ただしどこのサイトにもColumbia Recordsという以外のクレジットがないので、どういった素性の音源なのかよくわからん。まあ聴いた感じ手持ちのレコードよりよっぽど鮮明な音質ですが
WEATHER REPORT (1971/1991)
1971年5月12日リリース。ジョー・ザヴィヌルとウェイン・ショーターがマイルス・デイヴィスのもとを離れ構想を練っていた新グループにミロスラフ・ヴィトウスが合流する形で結成されたジャズバンド、WEATHER REPORTのデビュー・アルバム。
オーストリア出身のジョー・ザヴィヌルは1932年生まれ38歳、ニュージャージー出身*1のウェイン・ショーターは1933年生まれ37歳。
これに対してチェコ出身のミロスラフ・ヴィトウスは1947年生まれ23歳で、多少の年齢差がある。
3人ともここに至るまでのキャリアがある方々だけど自分は「Mercy, Mercy, Mercy」くらいしか知らないので、これを取っ掛かりにできたらいいなという気持ちで書いてます。
とりあえずマイルス以外でもこの前年にレコーディングされたジョー・ザヴィヌル『Zawinul』ですでに3人は共演していて、ミロスラフ・ヴィトウス『Purple』*2にザヴィヌルが参加したりもしているっぽい。
- ウェイン・ショーター Wayne Shorter:Saxophone
- ジョー・ザヴィヌル Joe Zawinul:Electric and Acoustic Piano
- ミロスラフ・ヴィトウス Miroslav Vitouš:Electric and Acoustic Bass
- アルフォンス・ムゾーン Alphonse Mouzon:Drums
- アイアート・モレイラ Airto Moreira:Percussions
この時点でのWEATHER REPORTはザヴィヌル、ショーター、ヴィトウスの3人によるグループと言って過言ではなくその他のメンバーは流動的で、アルフォンス・ムゾーンとアイアート・モレイラもこの1作のみの参加。
パーカッションは雰囲気作り、ドラムは3人の演奏に薪をくべるのが主な仕事となっている。
クレジットされていないがドン・アライアスとバーバラ・バートン*3がパーカッションで参加してるらしい。
エンジニアはWayne Tarnowskiだけど、いつ頃どこのスタジオでレコーディングされたのかは明記されてなくてよくわからん。とりあえずWikipediaによると1971年の2月から3月にかけて作業が行われたっぽいが。
ジャケットの写真はEd Freemanによるもの。長いことネット上の小さい画像でしか見たことなくて、ぼんやり雪山の航空写真かなにかだろうと思ってたらもっとよくわからないものだった。
あとなにげに裏ジャケにはクライヴ・デイヴィスが文章を寄せている。
基本的にアルバム全編を通じて最初に主題を提示してソロを回していくオーソドックスなスタイルの演奏ではまったく無く、3人が持ち寄った素材を元にスタジオで相互反応的に作曲行為を積み重ねていった様子の記録のようであり、むしろそうであるかのように事前に計画されたもののようでもある。
自作曲でも主題を自ら提示するのを避けるザヴィヌルの演奏に顕著だけどショーター、ヴィトウスも必要な場面以外でははっきりメロディを提示しきってしまうことをなるべく避けて断片的なものに留め、他の奏者のための空間の余白をつねに確保しているような、そう聴こえるように作曲されているような。
いかにも即興っぽい奏者が他の奏者に反応した結果の積み重ねのようでありつつ、エレピの左右のパンニングやオーバーダブなど、事前に計画されていなければ最終的にこんなふうに整えられないんじゃないか?と思わせるような箇所が散見される。
ザヴィヌルが関わった時期のマイルス・デイヴィスは、スタジオでまとまりのない散漫なセッションを演りっぱなしにし、そのテープをテオ・マセロが自由に切り貼りしてアルバムという完成品へとでっち上げ、それを聴いたマイルスが次のセッションにフィードバックし……というスタイルをまさに確立する時期にあった。
ザヴィヌルとショーターがそういった工程をどの程度認識していたかはわからないけど、少なくとも本人たちがスタジオで行った演奏と実際に出来上がったレコードの間にある多大なギャップは明白なわけで、それらの音楽的成果を踏まえた上で「複数の立場の人間が関わって知らんうちにそうなってた」のではなく「あくまで自分たちのコントロールで行う」というのがこの時点でのWEATHER REPORTだったんじゃないかという気が今はしてるんだけど、今後いろいろ聴いたりザヴィヌル関係の書籍とかをちょろっと読んだりしたら一瞬で撤回することになるかもしれない。「けど」が多すぎるけどそこまで考えてるとなんも書けなくなるのでこのままいきます。
あと正直このアンサンブルにパーカッション要らなくね?と思っちゃったりするんですが、パーカッションによるお膳立てみたいなものによって主役3人が演りやすく、もっと言えば「音を出さない」という選択肢をとりやすくなっている面があるのかもしれない。
ステレオのレイアウトからして3人のスペースは一定以上確保されるようになっているので、そうした沈黙の際にたとえパーカッションが鳴っていともその瞬間その場所はあくまで空白であると認識できるようになっている。
でもこれらのパーカッションのうちどれほどが他の楽器と同時に演奏されどれほどが後から追加されたのかさっぱりわからんし、この文章全部自分の妄想でしかないんですよね。
とりあえず書いてる本人が自分でよくわかんなくなってる御託を抜きにしても、ヴィトウスのけっこうグイグイ行くベースがかっこいいし、ザヴィヌルのエレピの一粒一粒が磨かれたようなサウンドが最高に気持ちいいのは確かです。
こういう音源をYouTubeのビットレートで聴くのはけっこうきびしいな……
A1「Milky Way」
アルバムの導入にあたる不思議な音響の小品。ザヴィヌルとショーターの共作。
1:11あたりのアタック感や全編を通じて聞こえるゴソゴソとかカチャカチャしてる音などから考えて、ピアノの弦をなにかしらの方法で鳴らし、それを切り貼りして制作したんだと思う。音の印象的にピアノのダンパーを勢いよく開放した際にうっすら鳴る開放弦の音を増幅したような感じ。
あと1:37あたりで一瞬だけサックスっぽい音が紛れ込んでびっくりしたり、遠くでこの音響と関連しているのかそもそも意図したのかどうかすらわからない別の音楽らしきものがうっすら鳴ってたり。ピアノを録ってる最中に隣の部屋でやってたリハかなにかが乗っちゃったとかもありそう。
環境音楽的という表現がされたりして実際後年のそういったものに影響を与えた側面もあるんだろうけど、これ自体はどちらかというと現代音楽的な、ピアノの音響に対するアイディアと実践そしてその成果報告、みたいな趣のトラック。
あえて音量を絞って再生すると、環境音やホワイトノイズが小さくなって相対的にメインの音響が浮かび上がり、「ピアノの弦の音(たぶん)の切り貼り」じゃなく「不思議な音の連なり」という印象が強くなる。
A2「Umbrellas」
ここからグループとしての演奏が始まり、ドラムのビートとブイブイいうエレキベースで前曲とのコントラストが強調されてる感じ。ザヴィヌル、ショーター、ヴィトウスの共作。
A→B→Aという楽曲構成があって、AからBへの特徴的なリズム・チェンジとかそれを踏まえてかまされるソプラノ・サックスの「プッ」てひと吹きがあまりにも『Bitches Brew』期マイルスなんだけど、むしろあの音楽性に対する自負からこういう演奏をしてるのかもしれない。
とはいえアンサンブルのあり方は独自色が強く、ベースがドラムの支援のもとある程度演奏を主導していくような立ち振舞をしつつもサックス、エレピと対等に近い、互いに互いの出方を見つつ押したり引いたり、あるいは互いに反応して形を変えつつ自らの領域の収縮拡張を繰り返していく関係性を構築している。
A3「Seventh Arrow」
ヴィトウスの楽曲。
前曲に引き続きアップテンポなリズムに乗って3人が相互に反応していく楽曲なんだけど、その3人のやり取りのかなりの部分が事前に作曲されているようにも思える。本当にそうなのか、だったとしてそれを手掛けたのがヴィトウスなのかちょっとわからないが。
ベースはアコースティックながらこちらもずいぶんブイブイいっており、エレピもリングモジュレーターでちょっとやんちゃする。
A4「Orange Lady」
ザヴィヌルの楽曲で、これ以前にマイルス・バンドでも録音している(発表はこちらが先)。
マイルス版の初出は1974年の『Big Fun』でその際は「Great Expectations」後半部分という扱いだったが、「Orange Lady」自体の楽曲構成はおなじA→B→A(マイルス版は前半A部分の繰り返しがやたら多いけど)。
マイルス版ではB部分で明確にリズムが強調され盛り上がるのに対してこちらはリズムは明瞭にならず、ゆったりとリラックスした演奏のようであり、ベース、エレピ、サックスの3者が互いに相手の様子を探りながら慎重に駒を進めていく独特の緊張感がある演奏がもともとの曲調や散りばめられたワールド・ミュージック的なパーカッション類によって偽装されているようでもある。
A部分では主題をサックスとベースのボウイングで合わせてるんだと思うけどちょっと自信ない。
この楽曲自体「In a Silent Way」にテオ・マセロが加えた編集を踏まえたもののようにも思える。
B1「Morning Lake」
ヴィトウスの楽曲。
他の楽曲と比べて「雰囲気の維持」が主要な目標として掲げられているような趣があって、そういう意味では「Milky Way」より環境音楽的。
つまりエレピ、サックス、ベースの3人全員が旋律的になり過ぎず、あくまで抽象的断片的な範囲内で一定の空気感を維持し続ける試み、みたいな感じのもの。
あくまでそういう試みなので演奏上の目印みたいなものはあっても他の楽曲ほどきっちり構成されておらず、聴かせたいとこを聴かせたらさくっとフェードアウトする。でも右側に出てくるエレピって後から追加で弾いたものだと思うのでやっぱりどの程度作曲されてるのかわからん。
パーカッションは正直ちょっと説明的すぎて過剰なような。
B2「Waterfall」
ザヴィヌルの楽曲。「Morning Lake」に近いコンセプトだけどこっちのほうががっちり作曲されてる感じ。
左右に配置されたエレピの音の粒の連なりによって空間が維持および操作される。
タイトルとエレピのリフレインがあまりにもイメージ通りすぎて逆に枷になってる気も。
B3「Tears」
ショーターの楽曲で、ザヴィヌルやヴィトウスのものと比べると旋律的というか叙情的というか。
途中から混ざってくる男性のスキャットはタイトルのイメージから来てるんだろうけど、最初に聴いたときお風呂で気分が良くなったおじさんの声と思ってしまったせいでそのイメージから逃れられなくなってる。
B4「Eurydice」
ショーターの楽曲。
今作に収められたアンサンブルのなかで唯一ベースが明確にリズムを刻んでいるトラック。
そういう意味ではこのアルバムでいちばんオーソドックスなアンサンブルなんだけど、ここまでの楽曲でエレピ、サックスとベースがより対等に近い関係性で演奏を紡いでいくのを聴いてきたうえでこの楽曲に至ると、逆に違和感というか如何ともし難い不自由さを感じるようになる。
つまりベースがエレピ、サックスとの対等な関係を離れ一定のリズムを刻むということは、音楽のなかの一定のスペースをベースが占有し続けるということで、そうなるとサックスのほうもエレピと対等な関係性を築くにはスペースが足りず、ソロ楽器として振る舞うしかなくなってしまう。上を飛ぶか引っ込むかという極端な二択しか選べない、みたいな感じ。
WEATHER REPORTはこのアルバムのあとパーカッションをドン・ウン・ロマンに交代しヨーロッパ・ツアーを行うが、その途中ドイツでBeat-Clubに出演している。曲名は「Waterfall」になってるけど「Seventh Arrow」と「Umbrellas」のメドレー。
こうして聴くとライブでは全員もっとガンガン演奏してるし、ドラムとパーカッションもスタジオでよりずっと重要な役割になっている。そういえばクイーカはマイルス・バンドでもけっこう存在感がある(他の奏者がしっかりレスポンスを返す)楽器だった。
あとヴィトウスが若くてかわいい。
Reissue
今作は1991年にColumbia Jazz Contemporary Mastersシリーズの一環でVic Anesiniによるリマスターが施され、今に至るまで新規にリマスターされることもなければ廃盤になることもなくずっと売られ続けている。自分が聴いてるのもこれです。
記事冒頭に貼ったのが現行品で、こっちは2009年のリプレス。
日本では独自にMaster SoundとかDSD Masteringで何度かリイシューされている。正直マイルス・デイヴィス関連とかで何枚か持ってるDSD Mastering盤は音圧高すぎて聴けたもんじゃなかった印象があるんですがこれはどうなんでしょう。
これは2007年DSD Masteringによる廉価盤。
こっちは2017年に出た英Talking Elephant盤。これといってリマスターの表記はない。Talking Elephantはライセンス元のリマスター音源をそのまま使ってるのがよくあるパターンだから、これもふつうにVic Anesiniリマスターかもしれない。
SpotifyやApple MusicにはVic Anesiniリマスターが配信されてるけどジャケット画像までColumbia Jazz Contemporary Mastersの赤枠そのまんまで、正直見栄えのいいものではないのでどうにかしてほしい。
Weather Report - Album by Weather Report | Spotify
あと上に貼ったBeat-Clubの出演映像は放送されたのこそあれだけだけど実際にはもっと長時間撮影されていて、2010年になって『Live in Germany 1971』というタイトルで全編収録のDVDがリリースされた。
なんか『Live in Hamburg 1971』ってタイトルになってるが。