世界クラシック音楽大系(概要)
人里に紛れて日銭を稼ぎつつ「いらないレコードとかあったら引き取りますぜ〜ヘッヘッヘッ」みたいなこと言ってたらほんとにいただけたのがこちら。
『世界クラシック音楽大系(The Great Collestion of Classical Music)』CBS・ソニーファミリークラブ(FCKA 101)
よくハードオフのジャンクコーナーにバラでころがってるやつ!よくハードオフのジャンクコーナーにバラでころがってるやつじゃないか!
たぶん百科事典とかとおなじノリで通信販売とか訪問販売されていたタイプの商品で、いろいろ仕様変更されつつ70年代からCD時代まで売られていたんじゃないかと。
これ譲ってくれたひとも訪問販売を断りきれなかったのかな…分割払いだろうけど全部で20万近くしたよなこれ……。
今回のセットはおそらく80年代前半の仕様でレコード100枚組ブックレット付き。
ヤフオクやメルカリをのぞくと同種のアイテムがぽろぽろ出品されていて、それらをみた感じ完品には「音の索引」と題されたダイジェスト盤みたいなレコード数枚や小冊子、木製キャビネットが付属してるっぽい(モーツァルトの肖像画みたいなのが付属してるものもあったが・・・)。
ざっと確認した感じボックスやジャケット背はかなり劣化が進んでいるものの盤自体は多少のカビや埃こそあれほとんど聴かれた形跡がない美品で、当時の国内盤らしく盤質も良さげ。
内容はCBS・ソニー系やRCA系のメジャーどころな演奏家やオーケストラが揃っていて、あんまり自発的に聴かなさそうなあたりなのも逆にありがたい。
というわけでこれからこいつらを洗っていくわけだけど、せっかくなので備忘録をかねて数パートに分けてブログにアップしようかと思います。思うだけは自由。
あと洗うと言ってもさすがにこれを1枚1枚ブラシで仕上げていくのはめんど、もとい手間がかかりすぎるし、なによりせっかく綺麗めな盤ばっかりなので、とりあえずぬるま湯でざざっと流してマイクロファイバークロスで拭きとるくらいで様子を見ようかと。
これはLPサイズぴったりで生地もしっかりしてて具合よかったやつ。
参考
Discogsに項目があった。完全なリストではなくCD版とLP版がごっちゃに登録されているけどあるだけありがたい。これを見た感じCD版のセットは1985年リリースなのだろうか?
ちなみにこの後の記事で触れることになるけど、手持ちのセットに含まれる盤の一部は1983年12月プレスではないかと睨んでいる。
ソニー世界クラシック音楽大系 コレクション | m.nishiuchi Museum | MUUSEO (ミューゼオ)
Muuseoに綺麗なスキャン画像あげてる方がいらっしゃった。紹介文も自分の記事よりよっぽどちゃんとしてるのでこっちを読んだ方がわかりやすいと思う。残念ながら各盤のレビューは最初の2枚で力尽きたようだけどまあそうなるよね……
2022年に聴いた音楽ふりかえり(Apple Music調べ)
これは2021年とおなじようにApple Musicで1年をふりかえろうとしたんだけど筆が(タイピングが)進まなかった記事の残骸です。
トップソング
そもそも再生回数の多かったトラックトップ10がこんな感じだったもんだからコメントに困って書き進められなかったとこある。
この記事書いたときに聴いてたWEATHER REPORTの1stとザヴィヌルのソロが半分を占めててなに書いたもんかわかんねえ・・・。
まあたぶん実際に2022年いちばん繰り返し聴いたトラックはこっちになるんだと思う。
それでも12回再生なんですが。
「Johnny Remember Me」は子供の頃に聴いたとき女性ヴォーカルや全体的な残響の具合が印象的ですぐ好きになり、以降ちょくちょく聴き返してたんだけどそのわりにジョン・レイトンの他のトラックは知らないままになってたので、この機会にあれこれ聴いてみてました。
あとジョン・レイトンってなんか『大脱走』の例のマーチに歌詞つけたシングル出してるなーとぼんやり思ってたんだけどそもそも俳優として本編に出演していて、しかもチャールズ・ブロンソンの相方という言われてみれば「ああっ、あの人か!」てなる役だったのね。
残りのトラックは80年代っぽい音作りのものに飢えてたときちょくちょく聴いてたビリー・アイドルとマンフレッド・マンにあとアイアイオー。
なんか全部で7284曲聴いたらしいけどなんの実感も湧かないのでコメントしようがない。
トップアーティスト
前回は触れなかったアーティストトップ10はこんな感じ。
2022年は途中から労働の行き帰りに特定のバンドだかミュージシャンのアルバムを古い方から順番に全部聴くということをやってたんだけど、上位2つはまさにそれで取り組んでたやつ。AC/DCよりSTATUS QUOが上なのはQuoのがアルバム枚数が多いから。
スティーヴィー・ワンダーとTRAFFICもおなじような試みをしてたんだけど、スティーヴィーは途中で力尽きTRAFFICはアルバム枚数が少ないのでこの位置に。
正直労働の行き帰りという条件下だと聴いてられるものと聴いてられないものが音楽そのものの好みとはまた別にはっきり分かれてしまい、特に帰り道に聴いてられないと眠気に直結するためあんまりいろんなジャンルやスタイルに挑戦できないという現実がある。
まあまさに自分にとってのAC/DCやSTATUS QUOみたいな「ある程度知ってはいるしそれなりに好きだけどひと通りおさえているとは言い難い」くらいのやつをおさえるには良い機会なのでしばらくはこういう感じでやってこうと思います。
他はなんか知らんうちに伸びてた。PRIMAL SCREAMとかそんなに再生したっけ?
これは記事のアイキャッチにできそうだなと思って撮っておいたスクショ。
全体で1281アーティストを再生したらしいけど、ぜったいクラシック関係の表記揺れとかで実際に聴いたのより増えてると思う。
トップアルバム
んでもって以下がアルバムトップ10。
ってこれあきらかに「アルバム全体を再生した回数」じゃなくて「アルバム収録曲を再生した回数の合計」じゃねーか。
堂々1位のミシェル・ルグランは初期アルバムのコンピレーションで、自分はApple Musicのライブラリでタグを編集して各アルバムに切り分けた状態で聴いてたので、それぞれのアルバムの再生数が集約された状態になってるんだと思われる。
こんな感じ。ジャケット画像は拾い物をあてがってる。
ミシェル・ルグランの再生回数が増えたのはマイルス・デイヴィスのギル・エヴァンスとのコラボ作品をより良く聴くための参考に再生したら「Mademoiselle de Paris」が耳に残って離れなくなってしまいのたうち回ってたため。
ついでにこっちも貼っちゃえ。
ほかにストラヴィンスキーとストーンズのモノラル箱もタグ編集してアルバムごとに切り分けた状態で聴いてたもの。
ストラヴィンスキーはこれほぼ詩篇交響曲と交響曲ハ調の再生回数じゃないかと。
ストーンズのモノ箱はそもそもDecca時代のアルバムを再生するときは特別な理由がない限り基本これになってるので、むしろ意外と再生回数少なかった印象。なおこのコンピなぜか『Aftermath』US盤のほうの「Going Home」だけ再生不可になってる。UK盤の同曲は再生できるからどういう意図でこうなってるのか、むしろなんの意図もなくて単に管理が杜撰なだけなのか・・・。
グレン・グールドのゴルトベルク変奏曲はぶっちゃけ演奏自体の鑑賞よりも、こんだけ古いモノラル録音がDolby Atmos化されてるのを面白がって再生してたら増えたんだと思われる。
そう、実はAVアンプをアトモス対応に買い替えたわけでもないのにApple Musicのサラウンド音源を再生できるのを発見したんだけど、これに関しては別途記事にしたいのでまた後ほど(みたいなことを書いておけば実際の記事を書かなくてもOKとか思ってないか?)。
Quoの1stはこれまで何度か聴く機会があったもののいまいちピンと来なかったのをある程度掴もうと何度かトライしていた名残。
このリストみたら思い出したけどPRIMAL SCREAMの再生回数が増えたの一時期なぜか寝るときにスマホのスピーカーで『Vanishing Point』流しまくってたからだわ。
全体で1336アルバムを再生したらしいけどもうなんもわからん。てかおなじアルバムの音源違いとかで水増しされてるだろこれ。
あとがき
プレイリストはそもそもあんまリスニング用途に使ってないのでカットで。
ほかに2022年に印象的だったトラックだと『まちカドまぞく 2丁目』が放送されてる間それ以外の記憶が曖昧になってた関係でそのエンディング曲とか、
なにとは言わないけど某おとわっかで懐かしくなってひさしぶりに再生したこのあたりとか、
あとアイアイオー。
レコード関係がごっそり抜けてるけど2022年の自分はわりとこういう感じだったらしいです。
夏だか秋だかに壊れっぱなしだったBDプレーヤーを買い替えたのを皮切りに10年くらい使って壊れかけてたパソコンとモニターを買い替えてAV機材のラックを整え直しスピーカーをアレしてそうこうしてるうちに20年くらい使ってた気がするプリメインアンプがとうとう壊れと、今に至るまで音楽聴いたり映画アニメ観たりする環境をいじくり回し続けてなんだか今後のための準備期間みたいな気分になってるとこあるので、とりあえず2023年は(も)目先の物欲に邁進していく所存であります。まあ欲に駆られる元気があるだけまだマシみたいな
TenLem
「TenLem」は『レミングス』のBGMのひとつ。
『レミングス』はもともとAmiga用に開発されたパズルゲームで多くのパソコンやゲーム機に移植されたので、BGMもそれにあわせてやたらバリエーションがある。
オリジナルのBGMはブライアン・ジョンストンとティム・ライトという方々が手がけたらしい。
Amiga版。イギリスの数え歌「Ten Green Bottles」にショパンの葬送行進曲とワーグナーの結婚行進曲をくっつけたもの。
自分は「Ten Green Bottles」をこのゲームではじめて知った。YouTubeで検索するといかにも海外の子供向けっぽい動画がわんさかでてくる。
こういう歌だからつまりBGMのタイトル「TenLem」はボトルのかわりにレミングが(例のSE)。
そういや『レミングス』のBGMにはほかに「She'll Be Coming 'round The Mountain」も使われてるけど、こっちも「Ten German Bombers」なんて替え歌にして数え歌がありました。
Ten German Bombers - Wikipedia
Twangといえばデュアン・エディ。
いちばんTwangしてるDOS版。サイケっぽい気もしてくる。
さて、この『レミングス』は1991年のうちに日本のSUNSOFTからスーパーファミコン移植版が発売されいる。
BGMははたけやまともみ氏により、どれもスーファミの音源に合わせた巧みな編曲が施されていてほかの各種移植版とは一線を画すものになっている。
「TenLem」もサックス風の陽気なリードをフューチャーし葬送行進曲と結婚行進曲の音色もそれっぽいものを使い分けていっそうコミカルな雰囲気になっていて、操作をミスってレミングが次々に落下していく様を呆然と眺めたりふつうに嫌気が差して全員爆破しはじめた際に最適。
なのだけど。
「Ten Green Bottles」のメロディラインに改変というか整地が施されていて、よりスムーズな印象になっている。
たぶんはたけやまともみ氏は原曲を知らないままこの編曲をしたんじゃないだろうか。
Sounds of Silence / SIMON & GARFUNKEL (1966)
1966年1月17日リリースの2ndアルバムにして、実質的な再結成第一弾。
フォーク・デュオとしてのシンプルな編成とその範疇で可能な音楽に徹していた1stアルバムに対し、状況の変化もあって「フォーク・ロック時代のポップス」として大きく変化した内容になっている。
制作過程に紆余曲折あったがメインとなるセッションはニューヨークのCBS Studiosで、ボブ・ジョンストンのプロデュースにより行われた。
あとジャケットの写真はガイ・ウェブスターによる。
制作経緯
なにはともあれこのトラック。
このアルバムは同曲のヒットを受けて急遽制作されたものなので、Wikipediaなどを参考にリリースに至る過程をざっとまとめてみます。
1964年、SIMON & GARFUNKELはトム・ウィルソンのプロデュースで制作された1stアルバム『Wednesday Morning, 3 A.M.』の商業的失敗ののち実質解散。ポール・サイモンは渡英し、アート・ガーファンクルは学業に戻った。
1964年5月、英Orioleレーベルからポール・サイモンのイギリスでの活動の取っ掛かりとしてなのかなんなのかJerry Landis名義でシングル「Carlos Dominguez / He Was My Brother」がリリースされる。これは1963年にポールがPaul Kane名義でリリースしたシングルと同内容のもの。
Columbiaとの契約が残っている都合で「Paul Simon」という名前が使えなかったのか、あるいはS&G以前からいくつもの名義を使い分けていた彼のことだし「Paul Simon」という看板は一旦おろして仕切り直すつもりだったのか。全然関係ないけど「Paul Simon」と「Paul Simonon」って紛らわしい。
1964年9月にそのOrioleのレコード工場がCBSに買収され、以降Orioleは段階的にCBSに吸収されていくことに。
1965年4月、ポール・サイモンがアメリカに一時帰国し、アート・ガーファンクルとともにトム・ウィルソンのもとで「Somewhere They Can't Find Me」と「We've Got a Groovy Thing Goin'」の2曲を制作。
デュオとしてのシンプルなアレンジが中心だった1stと違いポップス的なバックトラックを伴うフォーク・ロックを見据えた内容だが、この段階ではあくまでお試しだったのか普通にボツったか、これといってリリースに向けた動きはなかったっぽい。レコーディング終了後ポールは再度渡英。
1965年6月、ポール・サイモンは元OrioleのCBSスタッフの推挙やColumbiaとの契約が残っていたことをきっかけに、CBSにPaul Simon名義でソロアルバムを制作開始。
同じ時期、トム・ウィルソンはアメリカ東海岸の学生向けラジオ局を中心にSIMON & GARFUNKELの1stアルバム収録曲「The Sounds of Silence」が人気を博していることを知る。そこで同トラックにエレキギター、ベース、ドラムをオーバーダブし、THE BYRDSやトム・ウィルソン自身がプロデュースしたボブ・ディランの「Like a Rolling Stone」など折からの流行であったフォーク・ロックのスタイルに仕立て上げることを画策。
同1965年6月、トム・ウィルソン主導でスタジオ・ミュージシャンによる「The Sounds of Silence」へのオーバーダブ作業が行われる。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルは事前に知らされておらずトム・ウィルソンというかColumbiaの独断ではあったが、これはSIMON & GARFUNKELがColumbiaとの契約を残したまますでに解散状態にあり、今後の活動を望める状況になかったということも関係していると思われる。つまりトム・ウィルソンはともかく会社側としては、ちょっとでも売れてくれたらその分これまでの投資を回収できるから出さないより出したほうがまだマシ、くらいのものだったかも。
1965年7月、ポール・サイモンはジャクソン・C・フランクの唯一となるソロ・アルバムをプロデュース。ジャクソン・C・フランクはポールと同じアメリカ出身でイギリスに渡ったフォーク・シンガーで、当時ポールは彼の部屋で生活していたとも。
レコーディングにはちょうど渡英してきてたアート・ガーファンクルとアル・スチュアートも顔を出し、アル・スチュアートのほうはギターで参加もしている。
1965年8月、イギリスでCBSからポール・サイモンの1stソロ・アルバム『The Paul Simon Songbook』リリース。売上はそんなでもなかったっぽい。ちなみに当時S&Gの1stアルバムはイギリスでは未発売だった。
1965年9月、アメリカでトム・ウィルソン主導のオーバーダブが施されたシングル「The Sounds of Silence / We've Got a Groovy Thing Goin'」がリリース。ボストンを中心に好調な売れ行きでBillboard Hot 100に登場。
1965年12月、ポール・サイモンがアメリカに帰国し、ボブ・ジョンストンのプロデュースのもとニューヨークのCBS Studiosで「The Sounds of Silence」をメインに据えたSIMON & GARFUNKELのニュー・アルバムが制作される。さすがにトム・ウィルソンは外されたのか、もうオーバーダブやるだけやってMGM Recordsに移っていた頃合いか。
突発的な事態でマテリアルが不足していたこともあってか5曲は『The Paul Simon Songbook』の使い回しとなった。またこの一連のセッションにおいて次のシングルとなる「Homeward Bound」も録音される。
1966年1月、「The Sounds of Silence」がとうとうBillboard Hot 100で1位を記録。1月のあいだTHE BEATLESの「We Can Work It Out」とトップの座を争い1位と2位をいったりきたりすることに。またこのトラックはアメリカだけでなく諸外国でも大ヒットを記録。
同1966年1月、アメリカでColumbiaからSIMON & GARFUNKELの2ndアルバム『Sounds of Silence』がリリースされチャートイン。以降継続的に売れ続ける。
1966年2月にはシングル「Homeward Bound / Leaves That Are Green」がリリースされこちらも大ヒット。アメリカでは続く3rdアルバムに収録されることになるが、イギリスでは数ヶ月遅れで発売された『Sounds of Silence』に追加収録された。
こんな感じ。なんというかもうちょっといい感じにまとめられなかったのか。
収録内容
A1「The Sounds of Silence」
上記の通り1stアルバム収録のトラック(のモノラル音源)にオーバーダブを施したもので、曲自体は『The Paul Simon Songbook』でもとり上げられている。タイトルはリリースによって「The Sound"s" of Silence」だったり「The Sound of Silence」だったり。
小学生の頃の自分はこのトラックのヴォーカルとバックトラックのズレを「下手くそwww」と笑ってるクソガキでした。
しかし実際のところはむしろ逆で、元になった演奏がこの時期のフォーク系アーティストのものとしては整ったリズムを持ち、さらにスタジオ・ミュージシャンたちの能力が十分に高かったからこそ後から演奏を加えることが可能だった、つまりどうにか辻褄を合わせることができた、ということなのだと思う。
A2「Leaves That Are Green」
『The Paul Simon Songbook』から。小学生の頃からイントロのハープシコードが好きで気に入ってる曲。なんか自分、ガキの頃から今に至るまで楽曲総体としてよく作り上げられているかよりもそのトラックに含まれる断片的なフレーズや音色が気に入るかで音楽を判断しがちですね。
歌詞がカースティ・マッコールで有名な「A New England」に引用されている。
A3「Blessed」
前作ではけっこうストレートにクリスチャンな歌を演ってたのにいきなり皮肉っぽくなってんのは心境の変化があったのか正体現しただけなのか。
トラックのほうはなんというかいかにもフォーク・ロックのLPの3から4曲目あたりに入ってそうな感じ。
A4「Kathy's Song」
『The Paul Simon Songbook』から。ポール・サイモンのギターとヴォーカルのみというシンプルな弾き語り曲。
A5「Somewhere They Can't Find Me」
SIMON & GARFUNKELとしての活動が暗礁に乗り上げていた1965年4月に制作されたトラックの片割れで、1stアルバムのタイトル・トラック「Wednesday Morning, 3 A.M.」の歌詞にサビを加えて「Anji」の土台に乗せたもの。
長いこと原曲の繊細さが失われた乱雑なポップスという印象で嫌ってたんだけど、管とエレピが都会的な雰囲気を醸し出すどことなく曇ったようなサウンドのものとしては別に悪くもないかもしれないと思い直しつつある。
A6「Anji」
ポール・サイモンのギターテクニックが楽しめるアコースティック・ギターによる小品。デイヴィ・グレアムの楽曲だけど、このアルバムの初期盤ではタイトルが「Angie」、作曲がバート・ヤンシュとミスクレジットされていた。
実際ここでのポール・サイモンの演奏はあきらかにバート・ヤンシュのバージョンを踏まえていて、そのバート・ヤンシュのアルバムでは曲名が「Angie」になっていたので、そのあたりで取り違えがあったんだろう。
ポール・サイモンはロンドンでこのふたりと交流があったらしく、もし「The Sounds of Silence」の思いがけないヒットが転がり込まなければ、あのまましばらくイギリスに居着いてブリティッシュ・フォーク系の人脈と関わりを深めていた可能性があったのかもしれない。
ここから突然の動画連貼りとなります。
元祖デイヴィ・グレアムのバージョン。1962年。
バート・ヤンシュのバージョン。1965年。
全体的にオリジナルより過激になっていて、途中ナット・アダレイ「Work Song」のフレーズを挿入している。
ポール・サイモンのバージョン。いろいろ手を加えてるけど「Work Song」は踏襲。
そしてこれがポール・サイモンがふたりに分裂していた時期の映像記録。
んで録音時期こそ前後するけど、こういうロンドンでの交流があったうえでA5「Somewhere They Can't Find Me」とB4「We've Got a Groovy Thing Goin'」がレコーディングされている、ということになる。正直あの時点ではアルバムどころかシングルになるかどうかも定かじゃなかっただろうし、適当にそのとき取り組んでた曲のフレーズを使いまわしたんじゃないかと邪推してしまう。
B1「Richard Cory」
これとか「Blessed」とか、曲の取っ掛かりになるエレキギターのリフを軸にワンアイディアで押し切らずにちょっと捻った進行を用意して、と、この時点でのSIMON & GARFUNKELに求められていたであろうフォーク・ロックしいてはポップス的なトラック作りを試行錯誤してる印象。
歌詞の方はリチャード・コリーを羨む工場勤務の主人公を羨む工場のバイト面接に落ちた俺ってわけ。ゆるさんぞ
B2「A Most Peculiar Man」
『The Paul Simon Songbook』から。アコギ伴奏にオルガンを被せて他の楽器を加えた結果ソフトロックっぽく仕上がったようなトラック。
歌詞は異常独身男性についてで、余計なお世話じゃいという気分になれる。最初この記事に取り掛かったときはガス自殺についてあれこれ書いてたんだけど『ミッドサマー』に話がそれて収集つかなくなったので全部カットしました。
B3「April Come She Will」
『The Paul Simon Songbook』から。アート・ガーファンクル単独のヴォーカルにギター1本の伴奏で、A面の「Kathy's Song」に対応したアルバム構成なのかもしれない。
昔は中学校あたりで英語の暦を覚えるときよく引き合いに出されてたような、そうでもないような。
B面ここまでの3曲すべて登場人物が死んでるの、若い頃はわりとさくさくキャラを殺してた作家が年齢とともにあんまりそういうことしなくなってくやつっぽくてちょっと和みますね。
B4「We've Got a Groovy Thing Goin'」
1965年4月に制作されたもう一方のトラックで「Work Song」に歌詞乗っけてでっち上げた感じのもの。
正直1965年4月のトラックは2曲ともそこはかとないやっつけ感があって、ポール・サイモンあんまやる気なかったんじゃないの?とか思わないでもない。
B5「I Am a Rock」
『The Paul Simon Songbook』から最後の刺客にして稀代の引きこもり賛歌。
A面のラスト2曲とB面ラス前の「We've Got a Groovy Thing Goin'」がどれも「Anji」ネタでなんとなくアルバムがまとまっているかのような雰囲気を出しつつ〆の1曲。
「Homeward Bound」のあとにシングル・カットされけっこうヒットした。
KING CRIMSONの「Islands」ってこれに対するアンサーソングだったりするような、共通のモチーフというだけのような。
A面6曲でB面5曲と、微妙に曲が足りてないのが当時の状況を偲ばせる。
内容の面でも傑作ぞろいのSIMON & GARFUNKELのオリジナル・アルバムのなかでは多少曲ごとの出来栄えに差があるように思えてしまう、というのが正直なところ。ただ「April Come She Will」や「I Am a Rock」は自分には子供の頃から当たり前にあった普遍的な音楽すぎて逆に評価のしようがない、というのもありそう。
レコード
なんか2枚持ってるしせっかくなんで裏面も。左が国内盤で右がイギリス盤。
手持ちの盤その1。「Homeward Bound」がB面頭に追加収録された英モノラル盤。
モノラル盤が欲しかったんで見かけたときに確保してみたんだけど、あんま良い音とは言い難く、B面はずっと電波状況が微妙に悪いときのラジオみたいな一定のノイズが乗ってる。偽モノ*1だろうか。
なぜか2つ付いてた内袋。片方はプレーンでもう片方はCBSの広告入り。載ってるアルバムの感じからしてリリースから数年後に生産された盤だと思われる。
手持ちの盤その2。ジャンク屋で拾ったCBS/Sonyのステレオ国内盤。
盤質も音質も良好で安定感があり、自分が子供の頃から家にあったリマスター以前の国内盤CDとほとんど同じような鳴り方をする。
マトリクスは見てないけど、まあ米オリじゃないしあまりにも馴染み深い音だからこれ以上は深堀りしなくていいや。
ジャケットはゲートフォールドで歌詞インサート付き。
見開きにはなんか序文みたいなものとか各曲の歌詞とコメントの和訳さらに追加の文章が載せられている。家にあったCDのライナーノートにもまったくおなじものが転載されてたのでやたら懐かしい。
1968年に設立されたCBS・ソニーレコード株式会社が自社工場で最初に生産したレコードはこの見開きにも載ってる『卒業』オリジナル・サウンドトラックで、それが出荷されたのは1969年3月頃らしい。この『Sounds of Silence』も1969年のうちに早速生産され始めたんじゃないかと。
ただし1969年3月時点でのレーベル・デザインはおそらく上に載せた英盤に準じたオレンジ一色のものだったはずで、手持ちの白とオレンジのものに変更されたのは数ヶ月から下手すれば1年以上後だったと思われる。
とりあえずこの盤が1969年3月から1973年に社名が株式会社CBS・ソニーとなるまでの間に製造されたものなのは確か。たぶん『Bridge Over Troubled Water』リリース後もこっちのジャケットは『Bookends』までのままこれといって変更はなかったんじゃないだろうか。
リマスターとか配信とか
2001年にSony MusicのLegacyレーベルからVic Anesiniのリマスターで再発された。クレジットが「Mixed and Mastered by Vic Anesini」となっててすわリミックスかと慌てたんだけど、たぶんボーナス・トラックは今回ミックスしたってことなんじゃないかと。
とりあえずそのボーナス・トラックは4つ入り。
「Blues Run the Game」
ポール・サイモン自身がプロデュースしたジャクソン・C・フランクのカバーで、1965年12月のレコーディング・セッションのアウトテイク。1997年にボックスセット『Old Friends』で蔵出しされたもの。
原曲が良くてそれをそのまま演ってるからいい感じに聴けるけど、デュエットが活かされているわけでもないのでまあアウトテイク。
これはポール・サイモンがプロデュースしたオリジナル。自動生成のオフィシャル音源でリマスターと銘打ってる割に音質が微妙なんですけど、マスター・テープがお亡くなりになってたりするのだろうか。
残り3曲はこれまで未発表だったもので、すべて民謡をギター伴奏でとりあえず演ってみた感じのもの。
1970年7月8日、つまり最終作となった『Bridge Over Troubled Water』より後、ラストコンサートの10日前の録音となる。なんでそんな時期の音源をこのアルバムのボートラに……?
ふたりの人間関係が完全に終わってた時期と思われるけど、演奏自体は自然体で悪くない。
これら3曲はJen Wylerによるミックス。
「Barbriallen」
チャイルド・バラッド84番でラウド54番「Barbara Allen」。この後アート・ガーファンクルが1stソロ・アルバム『Angel Clare』でとりあげた。
「Rose of Aberdeen」
ラウド12708番「Rambling Gambler」。
「Roving Gambler」
ラウド498番。
Sounds Of Silence - Album by Simon & Garfunkel | Spotify
今作も2014年から各種サイトで24bit-192kHzのハイレゾ音源が配信され、現在SpotifyやApple Musicにあるのも基本的にこれだと思われる。Spotifyは相変わらず非可逆圧縮だけでApple Musicはハイレゾ。
音源の素性はよくわからんけど音質はいいと思う。クッキリしたVic Anesiniリマスターと比べると気持ちアナログ・マスターに近い柔らかさのあるサウンドな気がするけど先入観もありそう。
*1:ステレオ・ミックスの音源を擬似的にモノラル化して発売したものの通称。わりとよくあった
Wednesday Morning, 3 A.M. / SIMON & GARFUNKEL (1964)
1964年10月19日リリース。アメリカのフォーク・デュオSIMON & GARFUNKELのデビュー・アルバム。
ポール・サイモンとアート・ガーファンクルはおなじニューヨーク市クイーンズ育ちの同級生*1。
ハイスクール時代から学業の合間を縫って音楽活動を行い、1957年にはTOM & JERRY名義のデュオでリリースしたシングル「Hey Schoolgirl」がビルボードでチャートインするという成果を上げている*2。
TOM & JERRY時代はドゥーワップ色を強くしたTHE EVERLY BROTHERSみたいなスタイルだったが、サイモンの学業に一区切りついた1963年頃から流行りのフォーク・リバイバルにあわせてよりコンテンポラリーなフォーク色を強めたスタイルで売り込みをはじめ、他でもないボブ・ディランのプロデューサーであるトム・ウィルソンの目にとまったみたいな感じっぽい。なおガーファンクルのほうはまだ学業に一区切りついてなかった模様。詳しくは知らないけどコロンビア大学に進学して途中で学科を変更したんだったか。
レコーディングはトム・ウィルソンのプロデュースのもと1964年3月にニューヨークのColumbia Studiosで数回に分けて行われた。
セッションにはサイモンとガーファンクルのふたりに加えてアコースティック・ギターでバリー・コーンフィールド、アコースティック・ベースでビル・リー*3が参加。
エンジニアは今作以降SIMON & GARFUNKELだけでなくふたりのソロ・アルバムにも関わっていくことになるRoy Halee。
収録曲は民謡のアレンジを含むカバー7曲、オリジナル5曲という割合。
裏ジャケのライナーノートはアート・ガーファンクルがポール・サイモンに宛てた手紙の体裁をとりある種の需要に答えている。
収録内容
あくまで言葉の比重が大きい音楽ではあるが、ふたりのヴォーカルを主軸としつつ、伴奏もキレがよくアコギ2つにベースという制約の中でアレンジに工夫をこらしていて十分に楽しめるアルバムに仕上がっている。
当時ステレオとモノラル両方がリリースされ、ステレオではふたりのヴォーカルが左右両端に振り分けられ、伴奏がその内側というまとめられ方。
歌唱スタイルもあって音像のバランスが良く、適度なエコーも相まって聴きやすいサウンドになっている。
ただしヴォーカルが完全に左右に分かれていてヘッドホンやスピーカーの小音量再生ではヴォーカルが重ならずハーモニーって具合ではないので、そのあたりが楽しみたかったらスピーカーで音量上げるかモノラルをどうぞって感じなんだろうけど自分は持ってないしモノラル音源がデジタル・フォーマットでリイシューされたりもしていない。
A1「You Can Tell the World」
ボブ・ギブソンとハミルトン・キャンプの共作。
アコギをジャカジャカかき鳴らすいかにもフレッシュな感じのトラックで、歌詞はがっつりクリスチャン系。
A2「Last Night I Had the Strangest Dream」
エド・マッカーディの曲で、牧歌的な曲調と歌詞のもの。ポール・サイモンがバンジョーを弾いてる。
A3「Bleecker Street」
ポール・サイモンのオリジナル。「Paul Simon名義でのオリジナル曲」という意味では最初の1曲だったりするかもしれず、曲構成こそ単純だがポール・サイモンのスリーフィンガー(ツーフィンガー?)とそれに合わせるもう1本のギターによる伴奏はよく練られていて、ヴォーカルの淡々と進行していく感じが逆に歌詞の陰影を深める効果をあげている。かと思うとポールのヴォーカルがちょっとひっくり返っちゃったりするのも文学青年ががんばって歌ってる感出ててよい。
ブリーカー・ストリートはマンハッタンにある通りで、歌詞にはわりと宗教的なニュアンスが込められている。
A4「Sparrow」
ポール・サイモン作の、世知辛い版クックロビンみたいなやつ。
A5「Benedictus」
16世紀フランドル楽派の作曲家オルランド・ディ・ラッソのミサ曲をアレンジしたもの。ベースがボウイングで雰囲気を演出している。
ポール・サイモンはどういう経緯でこの曲を採用したのだろうか。
これは1988年録音の原曲。
A6「The Sounds of Silence」
ポール・サイモンのオリジナル。
歌詞と楽曲両方が展開までよく練られたこのアルバムの白眉であり、その歌詞が絶妙だったあまり本人たちと無関係なところでしょっちゅう引き合いに出され便利に使われているもの。最近ではYES「Roundabout」に続いて無事memeと化したりしていた。
B1「He Was My Brother」
ポール・サイモンのPaul Kane名義による自作曲で、1963年の時点でS&Gに先んじてそのPaul Kane名義でTribute Recordsというマイナーレーベルからシングル・リリースしている。
トム・ウィルソンの興味をひく切っ掛けになり、1963年版、本アルバム収録の1964年S&G版に加えて1965年のポール・サイモンのソロ・アルバムでもとりあげられた。
1963年版はたぶんこの音源*4。ガーファンクルのハーモニーも聴き取れる。
公民権運動をイメージしているとはいえ特定の事件を扱っているわけではないはずだったが、このアルバムのレコーディング完了後の1964年6月にポール・サイモンの知人を含む公民権活動家3人がミシシッピ州でKKKに殺害されるという事件*5が起き、ある種の真実味が出てしまった。
B2「Peggy-O」
ボブ・ディランが彼の1stアルバムでとりあげたスコットランド民謡。
牧歌的な曲調のまま物騒になる歌詞のオチが小学生の頃から妙に好き。
B3「Go Tell It on the Mountain」
ジョン・ウェズリー・ワークJr.が採集した黒人霊歌のひとつで、これ以前にPETER, PAUL & MARYも歌詞をいじってとりあげている。
ここではもうちょいストレートに演奏していて、ノリが「You Can Tell the World」に近い。
B4「The Sun Is Burning」
1960年代のブリティッシュ・フォーク・リバイバルの立役者のひとり、イアン・キャンベルの楽曲。
これも牧歌的な曲調に物騒な歌詞を乗っけてギャップを楽しむタイプのもので、途中から『太陽を盗んだ男』的な方の太陽の話にすり替わる。
B5「The Times They Are a-Changin'」
ボブ・ディランのオリジナルをアイロンがけして整えたような演奏。
B6「Wednesday Morning, 3 A.M.」
ポール・サイモンのオリジナルで、A面ラストを飾る「The Sounds of Silence」に対するB面ラストの力作。
方向性は「Bleecker Street」に近い、凝ったパターンのギター伴奏と淡々と進行するヴォーカルによって歌詞とハーモニーを際立たせるもの。
もともとTOM & JERRYでロックンロール色の強いパフォーマンスを行っていて今作にもアコースティックとはいえベースが入ってるからかこの時代のフォーク系としてはリズムがはっきりしていて、ヴォーカルは力みがちだがそれ故に次作以降とは違った魅力があり、ギター演奏もすばらしく全体としてかなり充実したアルバムになっていると思う。
しかしリリース当時はブリティッシュ・インヴェイジョンの波に飲まれさっぱり売れなかったらしい。
その後SIMON & GARFUNKEL復活とともに再発されるとチャートインするほど売上が伸び、1966年には日本でいろいろ仕様変更され『Last Night I Had the Strangest Dream』として、1968年にはそれまで未発売だったイギリスでやっと発売された模様。
レコード
手持ちの盤は「THE NICE PRICE」ステッカーも眩しいレコード100円市で買ったUSステレオ盤。カタログ#もバジェット・ラインの「PC」に切り替わり済み。
マトリクス末尾はA面が”3H”、B面が”2A”となっていて、聴いた感じA面がなんだかカセットテープに録音したみたいな音質なのに対してB面はもうちょっと鮮明さを維持してる。
ランアウト部分はほかにもよくわからん文字列やマークを含めいろいろ書かれてるけど、とりあえず両面とも手書きの”G1”がエッチングされているのでキャロルトン工場プレスだと思われ、つまり80年代になってからの盤ということになる*6。
ジャケットの紙質はあきらかに70年代までのものと違っていて裏地も白い。
リマスターとか配信とか
80年代のうちからCD化されていたアルバムだが、2001年にSony MusicのLegacyレーベルからVic Anesiniのリマスターで再発された。ボーナス・トラック3つ入り。
「Bleecker Street (Demo)」 ボックスセット『Old Friends』で既出
「He Was My Brother (Alternate Take 1)」
「The Sun Is Burning (Alternate Take 12)」
最大の違いは「He Was My Brother」で最終的に使われなかったハーモニカが試されていることだが、基本的には完成形が見えてる感じのトラックばかり。アルバム版よりアート・ガーファンクルの声のエコーが控えめ。
Wednesday Morning, 3 A.M. - Album by Simon & Garfunkel | Spotify
2014年には各種配信サイトで24bit-192kHzのハイレゾ音源が配信開始され、現在SpotifyやApple Musicにあるのも基本的にはこれだと思う。Spotifyはいまのところ非可逆圧縮だけだけどApple Musicはハイレゾで聴けます。
ただしどこのサイトにもColumbia Recordsという以外のクレジットがないので、どういった素性の音源なのかよくわからん。まあ聴いた感じ手持ちのレコードよりよっぽど鮮明な音質ですが